The Glass coffin

Scene.06

 The Glass coffin


 冷たい肌の人間だけしか愛せない人種の話を、場末のバーで語られたことがある。

 只その時は、そんな世界もあるのだろう、と思っていた。人間の狂気に色めいた都市伝説なんてものは、教訓染みた話の種として広く一般的であるからだ。特にそんなものと掛け離れた世界の中では。

 東の空が白く縁取られ始めた時、彼女は列車のドアを潜り、薄暗いホームへと降りた。誰もいないホームには靴音がよく響く。まるでこの空間全体がラッシュの喧騒に恋をしているように。朝方の張り詰めたような痛々しい冷気に、コートの襟を立てる。吐息の白さに遠い故郷を思い出しながら、無人の改札を抜けた。

 身を隠すには、都合の良い街だと聞いていた。

 黒ずんだコンクリートの、長い階段を昇った先は、雪に覆われた世界だ。今まさに、地上に降り積もろうとする雪が頬を掠めていく。行き着く先は雪の絨毯。ふわり、と重なって。

 雪の様に白く、冷たくなった人間の肌は、こんな温度なのかもしれない。実際には、外気温に近づくものなのだろうが、血が通わないと聞いただけで絶対零度をイメージしてしまう。それほど私の中の死というものが、官能的で抽象的で刹那的な、鋭さにも似た美しさを孕んでいるのだろうか。触れただけで消えてしまいそうな儚さと脆さが、何とも心地良いのだ。

 その芸術とも言える魅力が私を強く惹きつけている。

 そう解釈すれば、私がこの街に移り住もうと決めた理由にも成り得る。この御時世だ。身を隠す場所なんて、いくらでもあった。何もこんなところでなくとも……。

 けれども、私は常夏の楽園よりもこの街に惹かれた。殺戮と暴力の横行する、統治者のいない街。氷に閉ざされた死者の街。この街のような排他的な世界では、人間の空想が肥大化しすぎてしまうものだ。私もその空想に引き寄せられたのかもしれない。或いは、夢を見たのかもしれない。私のような人間を許容できそうな、そんな理想郷だと。

 私は、私の唯一の趣味と言えるそれを止めるつもりはなかった。

 この街なら、思う存分、創作活動に没頭できそうだ。

 本来は、芸術的でも何でもないのかもしれない。赦されることのない罪かもしれない。そうだとしても、棺の中の隣人に恋した私は、引き返すことが出来ないステージに上がってしまった。シンデレラに恋した王子も、ガラスの無機的な冷たさに惹かれたのだろう。白雪姫を見初めた王子も、その死体じみた彼女の魅力に心を奪われたのかもしれない。

 同じなのだ。

 何故なら、私は死体しか愛せないのだから。

 雪の様に白くなった肌にメスを這わせることが、氷の様に冷たい躯の中に包まれることが、私にとっては何よりの悦びだった。灰色めいた紺色の空を見上げながら、煙草のフィルターを噛む。女は紫煙を吐いた。

 薄明に、赤い焔がひとつ。

 夜明けを待っている。


 氷の都トロイカ。

 年間を通して雪と氷に覆われたこの街は、そこに存在する全てのものが儚く映る。時としてそれは現実では到底覗くことが出来ない空想を作り出すのだった。

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