Curtain call

Scene.03

 Curtain call


「お客様、チケットを」

 黒く、大きな鞄を抱えた銀髪の女が、劇場の入口で鞄の肩紐を直した。彼女はエントランスを抜け、客の疎らな二階の客席へと向かう。初演にしては、大盛況だ。粗末な椅子に腰掛けて暫く待つと照明が落ち、深紅の幕が開いた。オーケストラの演奏を合図に、華やかな舞台が始まる。

 その舞台の上、清らかなソプラノを披露する歌手を見つめながら、女は一筋の涙を流す。恨みを宿したコバルトブルーの瞳は、真っ直ぐに彼女を睨んでいた。

 本来ならそこは私だけの舞台なのに、と。

 何故、私が降りなきゃいけないの。

 許せない。

 美しい歌声と、儚げなメロディーが観客たちを魅力する。舞台が終われば、観客達は立ち上がり、惜しみない拍手と歓声を彼女に贈るだろう。そうなってはメディアも彼女を放っては置かない。彼女は一夜にして、一躍、トップスターの称号を得る。かつての自分の様に。

 煌々とスポットライトに照らされるその姿は後を彼女を象徴している様だ。

 そんな結末を、許せるはずもなかった。

 歌を奪ったあの女を。


 舞台は佳境に入る。

 ふと、舞台上の女性歌手の腹部に赤い滲みが現れた。それは、ゆっくりと上へ移動を始める。胸をなぞり、喉から額へと。舐める様に。

 レーザー照準の赤い光の点。

 額の中央で、それが留まった。刹那、赤い点が縫われる。銀髪の女が構えるレミントン製のライフルの銃口から音もなく放たれた弾丸に。

 霧の様に紅が舞い、自らの脳と血を撒き散らしながら、今宵のプリマドンナは仰向けに倒れる。呆気ない幕切れだ。そのラストシーンに誰もが静止した。ただ一人、銀髪の女を除いて。しん、と場内は静まり、やがて悲鳴というスタンディングオベーションが聞こえ始めた頃、女は劇場の外にいた。エントランスに今日の日付が書かれたキスマーク付きのメモを、ひらり、と舞わせて彼女は宵闇に消えていく。

 その顔に満足げな微笑みを浮かべて。

 彼女の背中に何も知らないドアマンは微笑みかける。

「またお越しくださいませ」


 氷の都トロイカ。

 年間を通して気温が氷点下になるこの街では、あらゆるものが凍り付く。時に些細な復讐心さえも凍り、溶けることなく膨張し続けるのだった。

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