魔法

 飛んでいる最中、バンダナの青年がだるそうに腕を振っているココに話しかけた。

「ココロ? はいつからロマンナ様のもとで修行してるんだ?」

「ココでいいですよ。ちょうど一年前ですね。開拓者の方々はユウリ様が罪人として捕らえられてから消息が掴めなかったので会うのに苦労しました」

 ココの言葉に俺以外の表情が暗くなる。何か訳ありらしい。何があったのか聞きたかったが、とてもそんな空気ではなかったので、ただ気まずい沈黙に耐えた。

 ココはロマンナさんがいた時と雰囲気が随分と違ってかなり落ち着いている。ロマンナさんの前ではとてもハキハキとした元気っ子だったが、単純に知り合ったばかりの連中といるからなのか、それとも他に理由があるからなのか。いつまで経っても答えは浮かばないのだろうと、なぜかそう思った。

「そういえばそちらの方、魔法が使えるみたいですが……」

 ココは飛びながら振り返ると、褐色僧侶の方へ視線を向けた。

「魔法……それは我の一族でいう宗術……というよりここ以外で奇術と呼ばれているものか?」

 ココは頷くと少し飛行スピードを上げた気がした。

「師匠や私が使う魔法……厳密にはあなたたちの奇術と同じなんですが、練度や規模、魔の法則に対する理解が違いすぎるので、やはり別物と言ってもいいでしょう」

 ココの話を聞いて何となく理解してきたが、どうやらこの世界は俺が思っているほど、魔法という概念が定着していないらしい。

 異世界と聞けば、ほとんどの人間が、科学に代わって魔法を日常としている世界を想像すると思う。俺もそうだ。だけど、どうやらこの世界では魔法というものは広く浸透しておらず、奇術と呼ばれる下位互換として扱われているようだ。

 もしかしたら、ロマンナさんの魔女という呼び名もあっちの世界でいうところの山姥やまんばとか完全なるフィクションとして捉えられていたのかもしれない。こっちの世界では実際に魔女であるロマンナさんがいたわけだが。

「そこが向こうとの違いか……」

 きっとここはそういったお伽話や噂話なんかの出来事が本当に起こりうる世界。

「どうしたの? 難しい顔して」

「え? あ、いや。なんでも」

 俺は一旦考えるのをやめて、ココの話を聞くことにした。

「ここを出てからは魔……奇術を使うときは慎重になったほうがいいですよ」

「それは?」

「おそらくこのあと、師匠からお話があるでしょうし、師匠の客人なので隠しませんが、この森は世界子樹と呼ばれるこの世界にとって重要な樹を守っています。世界子樹の力を受けたものは魔力の質が格段に上がり、魔力炉の……いえ、奇術の力が大きく上昇します。近くにいたあなたも例外ではありません」

 世界子樹……世界樹じゃないのか? まだ子供の世界樹ということだろうか。

「すごいじゃないかフィース。奇術じゃなく魔法だってさ」

「魔法……そちらの方がいい響きだな」

 この世界はこれから先、俺が最初に想像していたように、魔法が浸透していくのだろうか。魔法のない世界から来た俺からすれば、それはとても魅力的で、希望に満ち溢れた未来だ。

「さ、着きましたよ」

 それは向こうの世界のツリーハウスだった。二股に分かれた木に乗っているところは秘密基地を彷彿とさせる。この森に入ってから神秘的な雰囲気に少し落ち着いていたが、樹屋を目にした途端、この世界に来たときのワクワクが胸の奥からマグマのようにふつふつと迫り上がってきた。

 中に入って驚いたのはその広さだ。どう考えても広すぎる。外から見た時はそこまで大きくなかったのに、中は迷ってしまいそうなほど広くお金持ちの豪邸のようだった。

「うわっ……すごい。想像してたよりずっと立派だわ」

「ええ、バニーアの城を思い出します」

 しかし、ココが人差し指で小さく円を描くと、中の構造は漫画のように目まぐるしく変わっていき、たちまち思い描いていた一部屋になった。

 なんかこういうの映画で見たことあるな。なんだっけな……結構前に見たんだよな。

 中央に大きな円形のテーブルがあり、周りには人数分の切り株イスが用意されていた。

「先生が帰ってくるまで好きにしててください」

 ココは部屋の端にあったベッドに「おやすみなさい」と言って潜り込んだ。

「マイペースな子だな……」

「こっちが急に押しかけたんだ。そっとしておこう」

 青年の言葉に他のみんなも頷くが、俺はなんとなくその優しさにツッコミたくなった。我慢したけど。

「ふふ……優しい人たちね」

 突然聞こえた声の方を見ると、ロマンナさんがまるで最初からいたかのようにイスに座っていた。

「ろ、ロマンナ様!」

 全員目が飛び出すほど驚いたが、ココに気を遣って声だけはなんとか抑えた。

「さ、飲んで。迷いの森名物のきのみジュース」

 これまたいつのまにかテーブルの上に置いてあったコップの中には透明な飲み物が湯気を立てていた。一瞬、お湯かとも思ったが、普段目にしている水よりも透き通っているように感じる。とてもきのみジュースとは思えない。

「い、いただきます」

「どうぞ」

 俺は恐る恐るといった感じでゆっくりと口をつけた。俺以外も同じような様子だった。

「こ、これは……」

 なんだこの味。不味くはない……けど、美味しいとも違う。口に含んだ瞬間はすっきりした甘さがあるのに喉に流し込んだ途端、手のひら返したように苦くなって、最後には謎の背徳感が襲ってくる。けど、飲んでよかったと思える。もう一口飲んでみるがやっぱり分からない。

「これは何のきのみ使っているのですか。ロマンナ様」

 鎧男がロマンナさんに尋ねると、ロマンナさんは悪戯っぽく笑った。

「世界子樹のきのみ。世界中で、これを飲んだことがあるのは私と冒険をした三人とココとあなたたちだけよ」

 なるほど、全く分からないけど世界子樹のきのみと言われると納得してしまう自分がいる。

「その世界子樹っていうのはなんなんですか? さっきココもちらっと言ってましたけど」

 俺を含めた全員、コップのきのみジュースはなぜか少しも減っていなかった。

「あれはこの世の命を護る木。正確にはこれから護ることになる木」

「命を護る……?」

「この世の生はすべて、神龍に護られているの。世界子樹が育てば、神龍の役割は世界子樹に引き継がれることになる」

 黙って聞いていた俺だが、他のみんなはどうやら引っかかるところがあるらしく、わちゃわちゃと動いている。

「えっえっえ! し、神龍って……お伽話に出てくるあの⁉︎」

 姫様の言葉にロマンナ様は優しく微笑んだ。

「そうよ、あの神龍。空より大きくて、どんな宝石より美しく、どの王よりも偉大で聡明な世界の護り主」

 俺以外はどうしようもないくらい驚いている。それこそ、百億円当たったって言われたときみたいに。

 ……この例えはピンとこないな。

「し、しかしっ、神龍……様? の役割をなぜあの樹木に?」

「神龍だって生きているもの。ずーっと、同じ事してたら疲れちゃうでしょ? だから」



 ――神龍だって生きている。



 その言葉はさっきまでの言葉と違って、みんなを大人しくさせた。そりゃそうだ。俺たちの世界で、雪女、宇宙人、恐竜なんかが現代にいるとわかった直後に、彼らの事情や感情を、彼らの立場になって考えるというのはとても難しいだろう。

 今の会話だけでも、目の前のロマンナという人物がどれだけ“先”にいるのかがわかる。

「一度に色々言われて大変よね。少し話題を変えましょうか」

 その時、少しだけロマンナさんの雰囲気というか、部屋の空気が変わった。おそらく、気づいているのは俺だけだ。ココの体が少しだけ動いたように見えたのは気のせいか。

 ロマンナさんは何もない場所で指をちょこちょこ動かすと、クスリと笑った。

 その瞬間、何もない空間から風が吹いた。俺が間違っていなければ風は、俺以外のみんなへ向かって吹いた。

「な、なんです? これ」

 何がなんだかわからないので、ロマンナさんに尋ねると、ロマンナさんは不敵な笑みでみんなの方を指差した。

 みんなは口をポカンと開けて、驚いたように目を見開いていた。な、なんだ? 

「何、今の……」

 まず最初に姫さまが言葉を発した。それを皮切りに鎧男もバンダナの青年もスキンヘッドの僧侶も、全員が同じような言葉を口にした。

「ロマンナ様、今、我々に何をなさったのですか……」

「まるで何十年も別の場所にいたみたいだ」

 バンダナの青年は一度大きく深呼吸をすると、真っ直ぐな目でロマンナさんを見つめた。

「今のも……魔法、ですか」

 みんなの顔はさっきまでの嬉々としたものとは違い、疲れを感じる。

「ええ。今あなたたちには魔法というものの可能性をほんの少し見せたわ。ほんの少しよ」

「じゃあ、今見たものは……全て、奇術……魔法で実現可能なものということですか?」

 そうよ、とロマンナさんの答えに青年は軽く息を吐いた。

「すごいな……魔法っていうのは。汗が止まらない」

「私、少しだけ怖くなったわ……」

 ロマンナさんが魔法で何かを見せたというのは、みんなの反応でなんとなく伝わった。けど、どうして俺には見せてくれなかったんだろう。

「じゃあ、一つ質問させて」

 ロマンナさんの声に全員が視線を集める。そこになぜか少しの沈黙があった。そして、これまたなぜか、ロマンナさんは一瞬、俺の方を見た。

「もし、さっきみたいなことが、誰にでもできるとしたら、どうする?」

 生唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。中々答えないみんなに、ロマンナさんは優しく語りかけた。

「勝手に魔法をかけてごめんなさいね。少し外で休んできて」

 ロマンナさんの気遣いで、四人はふらふらと外へ出ていく。

「待って。あなたには話があるわ」

 後を追おうとした俺をロマンナさんが引き留めた。正直、俺も外の空気を吸って休みたかったのだが、ロマンナさんの目を見ると、断ることができなかった。

「師匠、なぜ彼らに見せたのですか。アレは気まぐれに見せていいものでは……」

 さっきまで眠っていたはずのココが急に起き上がってきたのでびっくりした。しかも、寝起きとは思えないほど真剣な眼差しだ。

 ……でも、どこか悲しいそうでもある。

「気まぐれじゃないわ。あの子たちを視て、私が見せてもいいと……見せるべきだと思ったの」

 なんだか置いてけぼりにされている気がしたので俺は気になっていることを質問した。

「あのー……魔法の可能性を見せたって言ってましたよね? どうして俺には見せなかったんですか?」

 ここにきて冒険者だからといって、いついなくなるかわからないからといって、仲間外れにされるのは少し寂しい。

「魔法は……希望。だけど、それと同じくらい魔法はどうしようもないくらい“力”なの。使う人次第で世界を豊かにすることも、破壊することもできるわ」

 それを聞いて喉の奥で何かが詰まった。

 考えなかったわけじゃない。当たり前のことだ。例えば魔法の力で火を出せるのなら小さな火種だとしても子供一人で森一つ簡単に燃やせる。他にも魔法の悪用方法なんていくらでもある。それに一人が持てる力が増えれば一人で起こせる悪事の規模も頻度もより大きくなるだろう。

「この世界には争いや悪というものがここ最近までまったく無かったから、この世界の人たちは魔法の可能性……力の使い道、悪用の形を予期していないの。だからほんの少しだけ、魔法の可能性を覗き見てもらったの」

 改めて、この人はすごい人だ。魔法という強大な法則を扱う人類の未来を考えている。

 日本で……誰だって一度は想像する魔法。杖から、手の平から、火を出し水を出し、空を飛ぶ。だけど、もし魔法が本当に使えたなら、多くの問題があっただろう。

 それこそ、秩序なんて簡単に崩れてしまうような。

「あなたは……わかっているでしょ? 魔法の可能性。本気で悪に利用されたら、どれくらいの規模で事が起きるか。本気で目指せばどれだけの人を幸せにできるか。だから、見せなかったわ」

 まぁ、たしかに。魔法という概念があちらとこちらで共通しているのなら、魔法については外にいる四人よりは詳しいのかもしれない。

「でも師匠。それなら、奇術と呼ばれる今の段階で早々に抑えてしまった方がよろしいのでは? そうすれば、無闇に広まることなく、信用の高い人間や種族だけに教えることが可能でしょう。エルフィ一族などはどうでしょう。彼らはそれほど数も多くありませんし、誠実で欲の少ないと種族と聞きます」

 エルフィ一族……これは向こうでも聞いたことがない。帰るまでに会うことができるだろうか。って、そもそも帰り方がわからないんだった。ドラグニフ爺さんの軽い態度も一緒になって思い出される。あれでもロマンナさんと並んですごい人なんだよなぁ。

「この世界に“魔”の法則がある限り、すべては時間の問題なのよ。もし今止めたとしても、いつか必ず広がるわ。でも、だから多くの人に考え、知ってほしいの。魔法がどれほど危険で、どれほど素晴らしいのか。そして、お互いの考えや知識を共有して、他人を尊重することができれば、世界は別々な個でできた一つの大きな輪になれる」

 次第に二人の会話は言い争っているかのように激しくなっていく。ココに関してはもはや怒りさえ感じる。

「師匠にしてはえらくふんわりしていますね。お互いの考えや知識を共有し、他人を尊重するなんて、そう簡単にできることじゃないです。主義主張が違えば、当然争いが生まれます。くだらない論争は魔法という力で、やがて大きな戦争へと発展するでしょう。その時、師匠は後悔しませんか? 戦争で死んでいく多くの人、それを悲しむ人に自分は間違っていなかったと胸を張れますか。きれいごとで世界は救えません。それは開拓者あなたたちが一番よく知っているはずです」

「時間は掛かるわ。途方もない時間が。実感なんて一生……終わってみても湧かないかもしれない。けど、最初の私たちが人を信じないと、それこそ人が人を信じられないことの証明になってしまう」

 未来について話し合っているロマンナさんとココを見ていると、呑気に旅でもと考えていた自分が恥ずかしくなる。こうやって、未来について考えてくれた人たちがいるから未来は良くなっていくんだろうな。それはきっと、現実むこうでも同じだったんだ。

 多くの人の未来、世界の未来、国の未来、家族の未来、そして……彼女との未来。

 小さい頃「将来の夢は?」と聞かれる度に黙って何も答えられなかった自分を思い出す。思えば、自分の未来さえ……真剣に考えたことはなかった。何もせず、流れに身を任せて、それも運命だと、どこかで思い込んでいた。大いなる運命のような、はじめから決められた流れがあり、逆らうことなどできないと決めつけていた。

 今気づいた。それは、神が敷いたレールとか大いなる運命とか、そんなものじゃなくて、過去の人たちが、もがいて、足掻いて作り出してくれた過去から現在、そして未来へと続く想いの流れだったんだ。

 それも長い年月を経て、想いと意思は薄く溶かされ、未来という形だけが残滓として残ろうとしている。

 未来を生きる俺たちが考えないから。

 ダサい、無謀、イタい、理解不能、理想。多くの言葉が頭をよぎった。

 変えようと思えば変えられるものだった。だが、これまでの人生で俺がそれに気づくことはなかった。

 俺が気づいたのは奇しくも、俺がこれまで生きてきた世界ではない、別の場所だった。

「……それがいいんだか、悪いんだか」

 その後、ロマンナさんとココの激しい声を聞きつけ部屋に戻ってきた四人によって二人の会話は鎮火された。

 

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