迷いの森

「よし入るぞ……」

 青年の声に今度こそ全員が頷く。先頭を歩く青年が森へ足を一歩踏み入れる。緊張からか静寂が訪れた。

「い……よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

「うるさいわよ‼︎」

 喜びのあまりガッツポーズで叫んだ青年の背中に姫さまが銃弾のようなドロップキックをかます。しかし、その勢いで二人はそのまま森へ飛び込んでいってしまった。

「ミア様!」

 鎧男も後を追って森へ入る。僧侶も俺も後に続く。

「あれ……」

 森に足を踏み入れてまだ数秒。目の前に見えていたはずの広い背中を見失った。見失ったというより、消えてなくなったという方がきっと正しい。森のどこかから姫さまや鎧男の声が微かすかに聞こえてくる。しかし、それもすぐに木々のさざめきや鳥のさえずりで聞こえなくなる。

「こんなことあるんだなぁ」

 かなり気楽だけど、今焦ってもどうしようもない。とにかく森を歩こう。迷ったときは大声で場所を知らせて、来た道を戻ることになっているが、多分戻っても外には出られないだろう。すぐ背後も入口ではなくなっていた。

「綺麗な森……」

 思わず呟いてしまったが、森に綺麗なんて向こうでは言ったことがない。そもそもこちらに来てからを除けば、森に入ること自体小学生ぶりだ。

「なんかこっちきてからこんなことばっかり考えてるな」

 改めて考えると本当にすごいな。俺は今、異世界に来てるんだ。そこら中にワクワクが広がっているこの世界に。しかも、この世界はとても平和そうだ。人も親切だし、とても良い世界だ。

 それから少しの間、四人とはぐれたことも忘れて森の中を探索した。不思議な形の葉や、妙な匂いのする木々はあったが、特に元いた世界と変わった感じはない。

「……お」

 歩いていると、少し開けた場所に出た。動物の気配も感じず、どこか不気味だったこの森の印象をガラッと変える場所だった。

 開けたスペースのちょうど真ん中辺りに一際大きい樹木があり、差し込んだ光が立派な幹を照らしている。

 大樹の根元まで行くとその大きさをより一層感じられて、自分がちっぽけな存在であることを再認識させられる。

 大樹を一周しようと歩き始めたとき、何かにつまずいて転んでしまう。

「痛っ……浮かれすぎてたか」

 大樹の根につまずいたのだろうと思っていた俺は思わぬものを目にした。

「えっ……え」

 俺の視線の先には大樹の根元に座り込んで気持ちよさそうに寝息を立てる少女がいた。

 まん丸なメガネに紺色のとんがり帽子。分厚い本を大事そうに抱えている。

「こ、これはどうするのが正解なんだ……」

 ゲームなんかじゃあ明らかにストーリーイベントだけど……これは現実だし。

「あぅ……大変、先生のところに行かなくちゃ」

 その時、タイミング良く、いやタイミング悪くというべきなのか、眠っていた少女が目覚めた。

 まだ眠たそうに目を擦る少女と目が合ったが、どうすればいいか分からなかったのでとりあえず挨拶だけしておく。

「ど、どうも……」

「あ、どうもです……出口ならそこを左に曲がって五回くらいテキトーに曲がったら見えてきます……って」

 少女は飛び起きると、俺の方を凝視していた。

「どどどどどどどどどど、どうしてっ! どうして森の聖域である世界子樹せかいしじゅの元に人間が⁉︎」

 急にあたふたし始めた少女をなんとか落ち着かせようとするが、俺が動くと余計に慌てた。

「い、いや……どうしてって言われても……普通に歩いてたらここに着いただけなんだけど……」

「ふ、普通に? まさか、たまたま五十八の正解ルートを通ってきた? そんなまさか……そんなのありえないって先生も」

 何やらぶつぶつと呟き始めた。なんかマイペースな子だな……。

「ま、まぁ、出られるんならいいや。左曲がって五回くらいね。ありがとう」

「待って」

 大樹と少女を背にしてその場を去ろうとすると、やけに色っぽい声に引き止められる。間違いなく、さっきの少女のものではない。

 しかし、振り返ってみても、特にさっきと変わった様子はない。空耳だろうか。

「あわわわ……師匠」

「…………?」

 疑問を残しつつも、今度こそ森を出ようとしたその時、森の中だというのに明らかに不自然な突風が吹いた。

「な、なんだ……」

 目を開けると、少女の隣、大樹の根元に巨大なとんがり帽子を被った美しい女性が立っていた。いや、よく見れば宙に浮いている。

「し、師匠ォーッ!」

 女性の視線に俺は体が強張るのを感じた。その視線は、俺の全てを見透かしているようだった。

「迷いの森の……魔女」

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