第七話 群青日和 ~Violet fizz~

第31話 ホワイト・レディ

「いってえ……」

 

 あまり喧嘩慣れしていないらしき相田をぶちのめしたはいいものの、奴もバレー部の次期エースなだけあって(そんなやつに怪我させて後で苦情きたらどうしよ……)、中々にタフだった。

 そのせいで、俺もふらふらだ。

 キィィィ。

 やっとの思いで、屋上から校舎へとつながる扉を開ける。

 刹那。

「おっはー、勝利ィ?」

 ――扉開けた途端 未知なる世界へと そんなのないよありえない。

 思わずそんなフレーズが浮かんでしまった。

 何故って? 三鷹先生が来た!(絶望)

 俺は、仁王立ちでにっこり笑うめんこいおっぱいギャルを、見なかったことにした。

 その横を、素知らぬ顔でよたよた通り過ぎようとする。

「オイ、なーに無視しようとしてーんだ?」

 作戦失敗。肩をガシッと掴まれた。

「え、ええ……、だって、先生、俺に用があってここに来たわけじゃないでしょう?」

「ここに来れば勝利に会えるって、とある女の子から聞いて……えへへ、きちゃった☆」

「は、はあ」

 先生の年甲斐はないがちゃんとかわいいぶりっこも、今は聞きたくない。

「なにさーそのしょっぱい反応―。もっと喜ぼうよー。センセーのこと好きなんでしょー?そのセンセーが自ら会いに来たんだぞー?」

「だって、絶対先生俺のこと指導しに来たでしょ?」

 むしろ好きな人から怒られるこの無常感よ。

「んなことは当たり前田のクラッカーだよー。ま、とりま保健室いこっか?」

「相田はほっといていいんすか?」

 あいつの方が五体不満足だと思うけど。

「あっちはたぶんー、アイカが来てくれるからダイジョーブ!」

「わー、うらやましいなー」

 これが身分の違いってやつか。俺が先生に怒られてる間に、あのイケメンは自分に惚れてるクラス一顔のいい女に看病してもらえんだもんな。なんだこの格差。やっぱ資本主義ってクソだわ。共産主義万歳。

 などとくだらないことを考え、頭の中で、なんでもいいから誰も泣かない世界が欲しいと熱く叫んでいると、先生は、そのアラサーとは思えない若若ほっぺを膨らませた。

「なになにー? センセーじゃ不満なのかー?」

「いえ、最高です! ただ、その役職的に、ちょっとお叱りハッピーセットがついてそうなのが、やだなって」

「センセーと本気で付き合う気なら、それくらい我慢しろー?」

「え、それを我慢できたら先生と付き合えるってそれマジ?!」

「勝利がそう思うならそうなんでしょう。勝利の中ではね」

「急に倫理教諭っぽいこと言わないでくださいよ……」

「キュウにとはなんですかキュウにとは! いつもだろー?」

「そもそも白衣着てる時点で意味わかんないんですよね」

「これはさー、センセーの心の清さの象徴なワケよ。ね?」

 背中に軽く黄色いチョークの粉ついてるのは言った方がいいのかな……?

「じゃあいつか黒衣を羽織ることもあるんですか?」

「ノンノン、勝利―。センセーはエーエンにセーレンケッパクだよ?」

「はえー」

「なにー? そのハンノ―? 信じてねえなー? このこのー」

 そう言いながら俺の脇を小突いてくる先生。

 かわいい子のボディタッチは神速で男子を恋に落とすので止めて欲しい。

 まあ、もうとっくに落ちてるんですけども。



 保健室につくと、嗅ぎ慣れたあの薬品の匂いに歓迎された。

 他に人はいないらしく、校庭から遠く響く野球部の声以外は、無音。

 先生は俺を長椅子に座らせると、慣れた手つきで戸棚から道具を取り出し、俺の横に座った。いやん、肩と肩が触れ合っちゃう。

 ……って、えっ、近っ!? 普通にドキドキするわ! 電車で隣に綺麗な人が座ってきた時の五倍くらい緊張する!

 しかしそんな俺の心の動揺など関係なく、三鷹先生は。

「それじゃあ改めて。勝利、おしごとお疲れ様」

「っつ! ……それは傷口を消毒しながらじゃないと言えなかったんですかね?」

 十数分前に出来た傷に染み入るオキシドールに、思わず声が出る。

「めんごめんごー。これはあれだよー勝利。そのあの、ツンデレってやつじゃん? 男子はみんな、これが好きなんでしょ?」

「えぇ……(困惑)。そこはかとなく何かが違う気がしますけど」

「うー? 聞いた話ではー、ツンツンとデレデレがアウフヘーベンしたのがツンデレだって聞いたんだケドー? センセーもまだまだ勉強が足りないかー」

「思い出したかのように唐突な倫理教師アッピル!?」

 見た目アホの子な先生が、授業中でもないのにそれっぽい単語を自然に会話へ織り込んできたことに、仰天。見事な手際だと関心はするがどこもおかしくはないはずなのに、やはり違和感は拭えないことは確定的に明らか。

「なに言ってんの勝利ィ? センセーはいつでも哲学者然としてるじゃん?」

「あの、すいません。これは新手のアメリカンジョークかなにかですか? 俺そういうのに疎くて、笑いどころがちょっとわかんなかったんですけど」

「いや、ジョークじゃねーし! 見なさい、センセーのこのいつまでも子供心を忘れない佇まいを! どっからどーみても哲学者でしょー? 龍樹(ナーガルジュナ)もびっくり!」

 なぜかそう言って胸を張ってくれたので、俺はここぞとばかりにその豊満な恵みを凝視させていただいた。堪能。超自然的堪能。どっからどうみても巨乳。

 しかしまあその感想は色々アウトなので、自主規制。

「どっからどう見ても覚えたての変な単語を使いたがってる今時ギャルなんだよなあ……」

「なーに言ってんだっつーの~。センセーが龍樹について勉強したのはもう、かれこれ十年以上…………はっ!?」

「どうしたんですか、急に?」

 くわっと目を見開く先生。ただでさえ大きなお目目が、倍プッシュ。

「今の、聞いた?」

「十年以上前ってあたりまで」

「いやいやや、ちょちょちょちょっとまちんしゃい! センセーは前なんて一言も言ってない! 十年以上としか言ってない!」

 なんかめちゃくちゃ必死に俺の肩を揺すってくるが、個人的には、こんだけかわいいんだからそこまで気にせんでも……といったところ。

 まあそろそろ結婚はしたほうがいいと思うけど。というわけで俺と……(以下妄言。

「そうでしたっけ?」

「そうだったの!! センセーは十年以上前には竜樹なんて知らなかった。まだ幼稚園にいた。いいね?」

「え、ええ? それだと先生は俺たちより若いことに……」

「いいね?」

「あっはい」

 有無を言わさぬというのはまさにこの事だなと思った。昔やったゲームで、わたしと一緒に旅をしない? というセリフに、「はい」と答えないと一生ストーリーが進まなかったことを思い出す。でもああいうのって、無限にいいえ押してるとたまにちょっと違うこと言ってくれる時あるよね。俺はそういう遊び心、好きです。

「よーし! じゃあそんな素直な勝利には、ご褒美を……」

 不意にそう言うと三鷹先生は、俺に顔を近づけてきた。

 ぐいっと、エキゾチックに浅黒い肌が迫る。赤い唇の瑞々しさが、しかと目視できる距離にまで。揺れたピンクのツインテからは、芳醇な、大人の香りがした。

 脳が蕩けてしまいそう。

 けれど、その夢うつつは、消毒液が、溶解。

「っく! ああっ、やるならやるって言ってくださいよ。痛い……」

「えー、ご褒美あげるって言ったじゃん?」

「これのどこがご褒美なんだ……」

「白衣の天使に看病されてるのにぃ、なーに寝ぼけたこと言ってんだっ?」

「まあ、実際けっこう嬉しいんですけども……」

「だろだろー?」

「……」

 バンドエイドを目の下に貼ってくれる先生の目つきがあまりにも真剣すぎて、心臓の高まりが制御できない。

 そんな俺の緊張を察したのか、先生は最後の傷跡の処置を終えると、額にかるくデコピンをして。

「はいっ、これでおしまいっと」

 そう言って俺から距離を取った。

 というか、俺の隣から立ち上がって、正面に立った。

 彼女は言う。

 俺の目をまっすぐにみつめて。

「勝利はさ、今回の解決法、点数をつけるなら、何点だと思う?」

「辺見と相田の件ですか?」

「うん」

「百点かなー。俺めちゃくちゃがんばりましたし!」

 そう思って満面の笑顔で先生に笑いかける俺。

 しかし、先生はなぜか芳しくないといった表情で。

「もう、君はほんとにポジティブだにゃー。ま、でもそうか。勝利はこの結果に満足しているわけか。おっけーおっけー。そう来たかー」

「だったら、先生が採点するならどうなんですか?」

「えー、それ聞いちゃうー? 後悔しない?」

「愛しの先生が俺をどんなふうに評価しているか気になるじゃないですかっ」

 きゃっ、言っちゃった。

「あーはいはい。センセーは彼ピいるから諦めろー。で、冗談はさておき……」

「俺は本気なのに……」

 こっちは乙女の気持ちになってまでの発言だったのに先生のあしらいがあまりに淡白すぎて泣きそうになった。

 すると。

「本気だから困ってんだぞー?」

 先生はにっこりそう言った。しかし目が笑っておらず、怖い。

 まだ先生との明るい未来への道のりは険しそうだ……。

 俺が先生との将来設計図に思いを馳せていると、彼女はおっぱいの下で腕組みをして言い放つ。

「今回の青春同好会の活動はー、C評価ってかんじかなー」

「ええ、なぜですか!?」

 そんなのぜったいおかしいよ!

「それに気付けないとこなんてまさにー、その原因だぜー? 何が悪かったかは、今後の活動を通してじっくり考えて欲しいです、センセー的には。なにせ、君たちが卒業するまでにはまだまだ時間があるからね」

「でも相田も納得してましたし、辺見だってこれで悩むことはないはずで……」

「じゃー、迷える子羊勝利クンにー、センセーから一つだけアドバイスぅ。そんなに難しい話じゃなくてさ、君は結局、今回も一人だった。そういうことだよ。勝利があくまでそれを貫くっていうなら、センセーももう止めないけど、この部活の趣旨には反するでしょ? そーゆーこと」

 そもそもこの部活の趣旨ってなんだ? という素朴な疑問に頭を悩ませつつ、俺はそれよりももっと今反論したいことを口にする。

「黒羽や四鬼条の手なら、一応借りてはいたと思いますが……」

 俺は数年ぶりに、団体行動を自主的に行った気がする。あれのどこが一人だというのか。ま、たしかに疎外感はすごかったけど……。

「そうだね、紫蘭とは惜しかったかも。でも、緋凪や玄葉とは、ただ、利害が一致していただけ。そんなのは、大きくなってからいくらでもできる。今の君たちの関係ってさ、そうじゃ――ないでしょ?」

 なんだかすごい深いことを言っているような気がするが、ずばりと言ってくれないのでよくわからない。

 そして俺はそんなことよりもっとずっと気になっていることがある。

「……よくわからないですが、とりあえず先生のおっぱいは揉めるんですか?」

「勝利ィ?」

 ギロリと向けられる怒りの目線。

「ええ?! だってそういう約束だったじゃないですかぁー!?」

「残念ながら、今回は健人をぼこったのでその罰としてご褒美は帳消しです! 以上!」

 なんでや、暴力と女(おっぱい)は相関概念やんけ! なんでそれを振るっておっぱいが遠ざかるんや! 普通逆やろがい! 暴力という絶対的力のもとにおっぱいは集まるの! 非暴力にもとにおっぱいは集わない! わかれ! わかって!(ヤクザ理論)

「そんなあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「ちょ、びっくりするじゃん! そこまで凹むことかなー?」

 俺が頭の中で訳のわからないことをのたまいながら口では奇声を上げていると、先生はドン引きしていた。当たり前である。

 しかしここで引き下がる俺ではない。

「そりゃそうでしょうよ! 俺は今日までそのためだけにしたくもないことたくさんして、命からがらここにいるんですよ!?」

「ふーん、じゃー、今回の件を解決するにあたって、勝利は困ってる緋凪を助けてあげたいなんて気持ちは微塵もなかったって言うのかー?」

「当たり前ですよ! あんなやつすぐさま地獄の炎に抱かれて死ね!!!」

 俺の怨嗟を聞くと、先生ははちきれんばかりの胸を抱きしめた。

「はーい、ならなおさらおあずけでーす! そんな非道徳的な勝利に揉ませてあげられるおっぱいなんてどこにもありませーん」

「なっ!? なに、おっぱいは心の清らかな人しか揉めぬとでも言うのか!?」

「センセーのおっぱいはー心の汚い人が触るとその人を昇天させちゃうからねー」

 !!!

「え、むしろ出来るなら昇天したい……」

「ちょ、勝利! へんなこと考えてたでしょ! そーゆー意味じゃないからねっ? もー」

「では逆に聞きますけどその胸に対してどうすればそれ以外のことを考えられるというんですか!?」

 我ながら俺は自分の担任の先生になんてことを言ってるんだ……。

 だが、やめられないとまらない。三鷹パイセンのパイオツが俺を狂わせる。

「あれれー? ちょっと勝利クンにはー、オキシドールがたりなかったかなー? ヒャッハー、汚物は消毒だーーー!!」

 可愛らしい声と共に三鷹先生が消毒液をコットンに垂らす。

「あ、ごめんなさい先生。すみませんでした。あの、俺が悪、ひぎゃっ!」

 いい加減変質者化していた俺の傷口を、それは火炎放射機の如く焼き払った。

 感じる、熱。熱。熱。

 けれど、その次に感じたこの熱は、決して化学的なものなんかじゃなくて。

「――と、冗談はもうおしまい」

「えっ…………?」

 俺の体は先生に、ぎゅっと抱きしめられていた、

 打撲の痕が少し痛む。

 でもそんなこと、気にもならないくらい、何かが癒えていく気がした。

「……勝利さあ、こんだけ自分の体ボロボロにしといてさ、百点だった、なんて言わないでよ。勝利はよくてもね、センセーはつらいよ?」

 耳元で直に響く声は、どこまでもやさしい。

「いや、でもこれくらいの怪我なら慣れっこだし……」

「体だけじゃない。心も。みんなで分かち合うはずの傷を、全部自分で抱えないでよ。君だけが嫌われることで解決するような問題なんて、センセーは解決したと認めたくないの。その気持ちも、わかってほしいな。」

「先生……」

 言葉にならない。あまりにも多くのものをもらいすぎて、処理落ちした頭に浮かぶのは、まっさらな空白。

 なのに、先生はそんな擦り切れた一言のつぶやきだけで、この気持ちをわかってくれる。

 なんというか、心が通じ合っている感覚がした。

「うん。センセーの想い伝わったかな?」

「はい。とっても」

 とにかく言えるのは、先生が俺の担任でよかった、ただそれだけ。

「よかった。じゃー次からは……」

 先生が何か言おうとしている。

 しかし、俺はこの感謝の極地に至った今、叫びたいことがあった。

「伝わり過ぎて抑えられません! 先生、俺と結婚してください!!」

「あのねー、勝利ィ? 時と場をー、かんがえろっ!!」

 べちん!

「げはっ!」

 先生は基本、怪我人にも容赦はしない。

 悪いことは正されるべきだと、信じている。


 そんな折れない先生の信念を見ていると、大人になっても未だに守っているそれを見ていると、こんな小童にも、感じるもモノがある。

 その若い容姿の底に潜むなにかを。

 そんな彼女が言いたかったであろうことの何割かは、俺だってわかっている。

 わからないふりをして誤魔化したけれど、わかっている。

 きっと俺だって、心の奥底ではわかっているんだ。

 けれど、やっぱり自分一人傷ついて他のみんなが幸せなら、それでもいいと思うんだ。

 だって、頑張っている奴には報われて欲しいだろ。

 だから。

 俺は。

 辺見緋凪が……。

 きっと。

 ――どうでもいいなんて、思えていない。


 先生は正直者が好きなのだと、女将さんは言っていた。

 だから今日の俺は、先生からOKをもらえないんだろう。

 他のすべての前提を取り払った上で、なお。

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