Épisode 28「あなたは、魔女なの?」


「ダニエル、入るよ」

 ベッドに座っていたダニエルは、見たところいつもと変わらない。急変したと言うわりには、彼は穏やかな顔をこちらに向けている。

「待っていました、ユーフェ。ご苦労様です父上。あとはもういいので、仕事に戻ってくれて構いませんよ」

「あ、ああ。だがね、ダニエル。その前にまだ聞いていないよ。彼女をどう……」

「父上。僕の言ったこと、聞こえませんでしたか? それとも、母上もここに呼んだほうがいいでしょうか」

「いやっ、そ、そうだな。私は仕事に戻るとするよ」

「そうしてください。ああそれと、君たちもさがっていいですからね」

 ダニエルがそう言うと、無言で頭を下げた家令や侍従たちまで、この部屋から出て行ってしまった。

 ユーフェは一人、状況についていけない。

 急変したというダニエルはいつもと変わらず、部屋に二人きりで残される。それだけでも困惑ものだが、部屋を出て行くときの伯爵の表情が、ユーフェをさらに戸惑わせた。

 だってまるで、自分の息子に怯えているような。

「さあユーフェ、ここに座ってください。少しだけ、僕とお話しませんか?」

「えっと、ですが、体調は」

「すみません、実は仮病なんです。ちょっと有事が起こりまして、あなたに協力をお願いしたくて」

「有事……?」

 ユーフェは立ったままだ。ダニエルの指したベッド横の椅子には座ろうとしなかった。それだけでなく、近づこうともしなかった。いつもよりダニエルの瞳に恐怖を感じて、緊張で喉が枯れる。

「ユーフェ、こちらに来てください」

 困ったようにダニエルが微笑む。その穏やかな表情には、どこにも怖がる要素などない。

 けれどやはり、ユーフェの本能は、近づくなと警告していた。

「困りましたね」

 言いながら、彼が頬を掻く。うーんと少しだけ悩む素振りを見せて、仕方ないですねとため息を吐いた。

「これは最終手段にしたかったんですが、これを見れば、あなたは言うことを聞くでしょうか」

「……?」

 当惑するユーフェを置いて、ダニエルは呪文を唱えた。

 そう、呪文を唱えたのだ。どこからか取り出した、杖を使って。

 魔法でクローゼットの扉が一人でに開く。

「んーっ」

 そこにいたのは、ユーフェもよく知る、フラヴィだ。

 両手を後ろで縛られて、口に布を咥えさせられて、両足までご丁寧に拘束された状態で。

 フラヴィは涙を流しながら、恐怖に顔を歪めていた。

「フラヴィ……!」

 思わず駆け寄る。が、その途中で透明の結界に阻まれた。

「これはどういうことですか、ダニエル様!」

 彼への恐怖も忘れて問い詰める。

「よかった、あなたが怒ってくれて。彼女とあなたは仲が悪いのでしょう? あなたが怒ってくれなかったら、どうしようかと思っていました。取引きに使えないのなら、フラヴィさんには早々に消えてもらうしかありませんでしたから」

 ダニエルは、あくまで穏やかな表情で、恐ろしいことを平気で言ってのけた。

 そのちぐはぐな状況に、ユーフェの頭の中では嵐が起こっている。

(どういう、こと?)

 なぜ、ダニエルがフラヴィを拘束したのか。自分はいったい、何に協力させられるのか。

 そもそも、自分をここに連れてきたのは伯爵だ。つまりこれは、親子で仕組まれたということなのか。

(こんなとき、リュカがいてくれれば……っ)

 なんともタイミングが悪い。ユーフェの師は、すでに家に帰ってしまった後である。

「あなたは、魔女なの?」

 とにかく時間を稼ごうと、ユーフェは頭に思いついた疑問を口にすることにした。

「そうですよ。気づいてなかったんですか? リュカは気づいていたようですけど」

「う、そ。リュカが?」

「ええ。そしてそれは、あなた方も、ですよね」

 その答えに息を呑む。つまりダニエルは、ユーフェとリュカも魔女だということに気づいていたというわけだ。

「だからこそ、リュカは僕の病気を魔力欠乏症だと診断しました。いえ、正確には、彼の師が」

 そんなこと、ユーフェは聞いていない。いつもただ、言われた薬を煎じていただけだから。

「ですが、本当は違うんですよ。魔力は他の魔女よりも多いほうです。でも、僕は古の魔法を使うので」

「古の、魔法」

 それは、つい今朝方、リュカから聞いたものだった。ユーフェの使う癒しの魔法も、その古の魔法の一つだと教えられた。

 そしてそれは、多くの魔力を使うとも。

「ユーフェも知っていますよね? この魔法は、とても多くの魔力を使うんですよ。だから僕は、常に魔力欠乏症に近い状態になっていたんです。それをリュカは勘違いして、いつも魔力の回復をほんの少し促す薬を、あなたに煎じさせていました」

「そう、なの?」

「あれはリュカの師が研究し、リュカが完成させた薬です。ですが、そんなもので回復できるほど、古の魔法は生易しいものじゃない。だから僕も常に研究しているのですよ。リュカとは全く違う研究を。どうやったら、またル・ルーの一族を作れるのか、とね」

「ル・ルーの一族?」

 初めて聞く名前だった。それはリュカにも教わっていない。

 その一族が何なのだと、問うような瞳を向けた。

「もしかして、知らないんですか?」

 意外そうな声音に、ここは素直に頷いた。

「魔女なら誰しも知っていると思っていましたが、まさか知らない魔女がいたなんて……。いいでしょう。お教えしたら、もしかしたらあなたは、喜んで僕に協力してくれるかもしれないですしね」

 そんなことは絶対になさそうだったが、ここで口を挟むほどユーフェも馬鹿ではない。

「ル・ルーの一族とは、古の魔女が生み出した、言わば魔女の餌ですよ。彼らは古の魔法によって、その体内で魔力を生み出すことができるんです。でも自分では使えない。ただ魔女に貪られるためだけに、魔力を作り続けてくれる都合のいい餌です。ただ、元は人間だからか、魔力を持っていても感知できないんですよ。なので見分け方として、彼らの首筋には薔薇の花のような痣がありましてね」

「ま、って。餌? 人間が?」

「いいえ。元人間です。彼らはもう、人間という概念からも外れた存在なんです。その証拠に、人間からは〝魔女の餌〟と呼ばれていたはずですよ。ただ、彼らはとても便利な存在ですが、みな短命なのが玉に瑕でした。無理やり魔力を持たせたからでしょう。また、大量の魔力を使って作られる存在のため、魔女もあまり量産できなかった」

 ユーフェは吐き気を覚えた。

 彼はきっと自覚していない。自分がどんなにおぞましいことを口にしているかということを。

 もし仮に、リュカもル・ルーの一族について知っていたとして。

 彼がユーフェにその存在を教えなかったのは、わざとそうしたのだろうと理解できた。あのどこか過保護な少年が、こんな残酷なことをユーフェに教えたがるわけがない。

「しかし嬉しいことに、それが遺伝することは判明していたのです。だから古の魔女たちは、彼らに子孫を残すことを強要した。そうしてしばらくは、彼らの血液を介して魔力の回復を行なっていたんです。まあ、稀に、嗜好品として彼らの血を貪り喰う魔女もいて、そのせいで古の魔女はほぼ絶滅しましたが」

 信じられなかった。信じたくなかった。

 これでは、人間から魔女が恐れられるはずだ。疎まれるはずだ。

 だって、ユーフェでさえ、恐ろしいと思う。自分の中に流れる、古の魔女と同じ魔力が。

「ほぼ、というのは、僕のような古の魔法を扱える魔女は、その子孫だとされるからです。ごくたまに、人間同士の夫婦からでも魔女が産まれるのは、その遠い先祖が古の魔女だったせいなんです。いわゆる先祖返りみたいなものですね」

 そんな事実、知りたくなかった。

 知らなければ、ユーフェは両親をただ責めればいいだけだった。

 でもこれでは、両親の言ったことのほうが正しいことになる。

 ――〝卑しい魔女め〟

 そのとおりだ。

 ――〝恐ろしい子〟

 自分でもそう思う。

 ――〝化け物〟

 ああ、間違いなく、この身に宿るものは化け物なのだろう。

 まさか、人の血を餌に、生きていたなんて。

(魔女なんて、ただ魔法が使えるだけで、人と変わらないと思ってた)

 いいや、変わらない。リュカのような、普通の魔女は。

 違うのは、自分やダニエルのように、人の血を餌としてきた、古の魔女とその末裔だけだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る