25.お見合い実現!?

 その眼鏡の男は爽やかに言った。

「福岡で学会があったんです。小倉からフェリーが出ていると知りまして、港と港を渡ってようやっと島まで来られました」


 清子がお茶を出してくれている。ダイニングで待たせている間に、清子がお昼ごはんの支度に来てしまったからだった。

 清子にも見合い相手を直に見られてしまった。


「向かいの家におります、重見と申します。小澤先生。遠いところを大変でございましたね」

「いいえ。一度、僕も離島に来てみたかったんです。美湖さんが『船を乗り継いで島まで会いに来い』とおっしゃられたようなので、その通りにさせていただきました」


 父からの電話に美湖が叫んだ言葉そのままを返され、びっくりする。そしてその言葉を聞いてしまっていた清子が『あら、まあ』とくすりと笑った。


「父が……、そう伝えたのですか」

「まさか。大輔先輩からそう聞きました」


 兄貴がそのまんま伝えたのかと美湖は顔をしかめる。


「美湖先生もお座りになったら。小澤先生、お膳を置いておきますので美湖先生とゆっくり召し上がってくださいませ」

「申し訳ないです。昼時におじゃましてしまいまして」

「いいえ。私は美湖先生に雇われてお仕事で作っているだけですので。それでは私はお時間が来ましたら片づけに参ります」


 いつもは一緒に楽しく食事をするのに、今日の清子は自分の分を和哉にあげてしまい、さっと向かいの自宅へ帰ってしまった。


 本当の『お見合い』になってしまっていた。清子は、つまりのところ『お若い者同士でごゆっくりどうぞ』といわんばかりに退散していったのだ。

 彼女が望んでいたお見合いの席が出来上がってしまっている! 美湖は茫然とした。大人の彼が颯爽と出現したことにも、清子が手際よく席を整えてしまったことにも。


「おいしそうですね~。美湖さん、頂きませんか。午前の診療、お疲れ様でした。割と診察に島民が来ていて驚きました」

 美湖も諦めた。椅子を引いて彼の正面に座る。そして、腹をくくった。本人を前にきちんと本心を言おうと。

「兄にはお断りするように伝えたはずです」

 箸を持った眼鏡の彼がにっこりと笑う。

「はい。聞いておりますよ。ですが……、僕はね。昔から大輔先輩の妹さんには興味があったんですよ」

「興味、ですか?」

「大輔先輩がよく言っていました。歳が離れている妹が生意気で、負けん気が強くてかわいくない――と」

「合っています。父から兄から、周囲の同僚によく言われています」

「大輔先輩のご友人で、あなたに会われた先輩たちは『だけれど、さすが大輔の妹。美人だ』と聞いていましたからね」


 また、それかと美湖は溜め息をついた。確かに兄貴は二人とも男前で優秀で、嫁取りには困らなかったほど。美湖の女性先輩、同期、後輩も、ことごとく兄達を見ると紹介してくれと言ったぐらい。しかしあっという間に結婚したため、女性たちが群がるのもあっという間になくなった。


「一度、お会いしてみたかったんですよ。こちらはお兄さんからいただいたスナップ写真がお見合い写真でしたけれど、美人だというのは先輩方が口を揃えていたし、女医としてのキャリアもあって……。なによりも『噂どおり、かわいくない』返答をいただいてしまい、ますます興味が湧きました」


 彼はそうして始終、にっこりした笑顔のまま。あ、この男も吾妻と一緒だとすぐにわかった。にっこり愛嬌よくしているけれど、腹の底に黒いものを持っていて、きちんとコントロールしている。しかし、それは美湖から見れば『大人の男』というのに過ぎない。嫌悪はない。

 だからなのだろう。だから、美湖は晴紀のまっすぐさに惹かれてしまったのかもしれない。この日、改めてそう思えた。


「申し訳ないのですが、いま結婚は考えられません」


 少し前ならここで『男性とつきあうことはめんどくさいし、興味はない』と言い切れていたのに、いまは言えない。美湖が断るのは好きな男が出来てしまったからだから。

 しかしそれすらもこの男には知られてはいけない。家族に筒抜けになるに決まっている。早くこの島から出ていってもらいたい。


「ですから。私に会いに来てくださったのは、大変ご足労をおかけしてしまい申し訳ないのですが。父と兄が持って来たお話はなかったことにしていただけませんか」

「それも……、わかっていて会いに来ました。僕の勝手です。気にしないでください。離島医療にも興味がありましたしね」


 ただそれだけのために、こんな島までわざわざ会いに来ない。美湖だって易々その笑顔を信じようとは思っていなかった。やはり開業独立の資金が狙い? なんとか丁重に帰らせたい。その思いしか浮かばない。


 晴紀が帰ってくるまでに追い出さなくちゃ。いまのところは大人しくして……。兄貴の後輩だから無碍には出来ない、それは美湖にもわかっている。


「いやー、おいしいですね!」

 美湖も大人しく、彼と一緒に食事をすることにした。


 


・・・◇・◇・◇・・・


 


 その彼が何故か、午後の診療で『手伝う』と言いだした。


 いやいや、ちょっと待って――と美湖が止めようとしても、こちらは医師としても先輩、男としても大人で、テキパキと待合室に『問診デスク』なるものを設けて、白衣姿で居座ってしまった。


 愛美も困惑していた。

「先生。なんなんですか、あの男性」

 やんわりだけれども愛美に『あれしてこれして』と指示をしたらしい。

「ごめん、兄貴の知り合いで無碍に出来なかった」

「それにしても、勝手すぎませんかっ」

 もう愛美には言ってしまおうと、美湖も心に決めた。

「他の人には言わないで絶対。お願い」

 愛美がそこで首を傾げたが美湖は告げる。

「父が持ち込んできた見合い相手なの。この前、断ったんだけれどね。なんか来ちゃったの。神戸とか広島とか松山でもいいとか、都市部まで出てくるから私にもそこまで出てこいなんて勝手なこと言うから、簡単に会えると思うな、島まで船を乗り継いで来いと突き返したら、ほんとうに来ちゃったんだよ……」

「はあ!? おみ……」

 仰天した愛美が出そうになった大声をなんとか抑えてくれた。


「先生、いつの間にそんなことに!」

「父が島から実家に帰そうとしている作戦だって」

「そんな……。先生のお父様、ご実家も確かお医者様一家でしたよね。お嬢様が島にいること反対されているってことですか……」

「いままで、実家は兄貴二人もいれば充分だったから、私は気ままにしてきたんだけれどね。ここに来ていきなり……、私もびっくりしているんだって」

「もう、帰ってもらいましょうよ。ここは私たちの診療所ですよ!」


 愛美が鼻息荒く待合室で長机を設置して、待っている患者の問診を始めている小澤先生のところへと突進しようとしていた。


「血圧を計りますね。今日はどうされましたか」

 眼鏡の穏やかな、大人の男が白衣姿で現れたので、診察に来ていた島民たちも目を丸くしていた。

 高橋のおじいちゃんがさっそく診てもらっている。

「先生、どこの人」

「東京の大学病院にいます。美湖先生のお兄さんの後輩です。お兄さんが心配されていたのと、離島医療に興味がありまして、学会の帰りに妹さんの様子見がてら訪ねてきました」

 見合いとは言わず、それらしい理由で手際よく、愛想良く患者と馴染んでいるため、愛美の勢いが止まってしまう。美湖もそのまま黙って様子を眺める。

「ほう~、美湖先生のお兄さんも医者けえ」

「お父様も、お兄様お二人もですよ。お医者さん一家の末っ子なんですよ」

「へえ、知らんかった。ほな、先生。美湖先生は元気でやっとると、兄さんにも親父さんにも伝えてなあ」

「かしこまりました。おや、血圧高いですね~」

「いつもや~。そやから美湖先生に診てもらってるんや」

 そうして彼が問診で診断を捌いてくれたので、午後の診療はいつも以上にさくさく進んでしまった。


 だからなのか、愛美もなにも言わなくなってしまった。和哉が医師として真摯に島民に接してくれていたからなのだろう。


 日が短くなってきた夕の海はもう黄金色。診療札をクローズにする頃には、島の影が濃く海に落ちていた。


「小澤先生、お疲れ様でした。助かりました。ありがとうございます」

 美湖も素直にお礼を伝える。愛美も同じく。二人で一礼をする。


「いや、僕も一度やってみたかったんですよ。ドクター離島みたいなのを。大輔先輩も言っていましたよ。ちょっと妹が羨ましいって。僕から見ると、お父さんの跡を継げる医院がある先輩も羨ましいですけれどね」


 穏やかな笑顔にもう嫌味は感じられなかった。大人の男の寛大な笑みに、ついに美湖の心もほぐれてしまった。


 だからこそ、愛美がそばにいたが美湖ははっきり彼に尋ねた。


「私との結婚条件に、父は開業と独立を約束されたそうですね」


 愛美がギョッとしている。そしてまた、和哉を不審な目で見ている。とても警戒しているようだった。


 だが和哉はなんのその。やはり眼鏡の笑顔は崩さず、こともなげに答える。


「そうですね。とても魅力的な条件でしたよ。願ってもいない……。ですが、その前にやっぱり『前から噂の、大輔先輩のかわいくない妹さん』に興味がありました。しかも女性で単身、島の診療所へひょいと赴任するその度胸。ますます興味が湧きました。島で働いているあなたを見てみたかった、が本心ですね」


「私はどうでしたか。小澤先生……」


「頑張ってますね。ですが……、どこまで頑張れますかね。ひとりの医師としてそう思っています。まだ赴任して半年も経っていない。いまは最初で頑張れるでしょうけれど。これからもっといろいろあると思いますよ。そう甘くはない。お父様もお兄様もそこを心配されているのでしょう。大学病院という組織にいてくれたほうが、組織に揉まれたとしてもまだ預けて安心だったのでしょう」


「まだわかりませんよ。私はやっていくつもりです」


 こんな時に。小澤先生が真顔になった。父や兄と同じ大人の男の厳しい目。


「美湖さん。わかっていますか。ここの島民は三千人ほど。大学病院がある都市部でもなにかが起きて三千人が詰めかけてきたら大事ですよ。それを港の中央病院とこの診療所でまかなっているのです。その重みを、あなたと吾妻先生と数少ない医師が担っている。そのお一人として、傷つくこともある、責任を背負うこともある。そういうことを僕は言いたい」


 至極真っ当な大人の医師の説教が、美湖の胸を貫いた。これを父が説いても美湖は聞き入れなかっただろう。他人という、客人だからこそ。彼が白衣を羽織って医師の姿を真摯に見せてくれたからこそ、受け入れられた言葉だった。


 だが愛美が憤慨した。


「三千人、確かにいますよ! こんな時だけ医師が少ないぶん島は診る人がいっぱいいるみたいに大袈裟に言い換えて、美湖先生をそんな怖がらせるのはやめてください!」


 いつも強気で何事にもフラットに構えている美湖が動揺しているのを愛美は感じ取ってしまったようだった。


「ああ、これは失礼……。ですけれど。僕は今日、診察をさせて頂いてそう思ってしまったので……」


 彼も『いけない、柄にもなく熱くなってしまった』と眼鏡を取りさり目頭を疲れたように押さえた。彼も彼なりに知らない土地での診察に気疲れしていたようだった。


「小澤先生、心得ておきます。確かに島に慣れてきて、甘くなっていました。ここに来た時も何事もなく過ぎていくので恐ろしく順調だと思っていましたら、台風接近の暴風雨でヘリも来ない救急艇も来られないかもしれない、でも島では処置できない患者が運ばれてきて恐ろしい思いをしました。つまり、そういうことですよね」


「既に、ご経験でしたか……。島外から来て偉そうなことを言ってしまいました」


 美湖も『いいえ。ご心配身に沁みました』と素直に受け答えをしていた。そこには、医師と医師で通じる眼差しが重なっていた。


 この大人の男性は、自分と同じ気持ちを持つ医師なのだという気持ちが湧いた。もし結婚するとしたら、きっとお互いにそれが気持ちが重なる条件となるのだろう。そう思えた。


「会いに来て正解でした」

「私も。お会いできてよかったです」

 これで見合いの話が終了しても、お互いに納得がいく別れが出来そうだった。


「小澤先生。もう海も暗くなってきますが、お泊まりは松山市まで帰られるのですか」

「いいえ。せっかく島に来ましたので、中央病院近くの民宿を取っております。ネットで予約しましてね。掲載されていた夕食の写真が海の幸でおいしそうでしたので今夜は島の夜を楽しみたいと思います。明日の夕の飛行機便で、帰る予定にしていますが、それまでにまたご挨拶に来ますね」

「お疲れですよね。お茶を一杯いかがですか」


 それは美湖からの歩み寄りでもあった。島まで会いに来てくれた大人の男を快く送り出すまでの心遣いを。兄の後輩として尽くしておきたかっただけ。

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