#46





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「元気そうね」

 と、エリはワーカムの画面に現れた柏木に言った。

「もうあの土鍋ご飯が恋しいよ」

 柏木はいつもの口調で答えた。

 エリは自宅の縁側に座って、暮れてゆく夕方の港を見ていた。

「こちらは静かな夕暮れよ」

 ワーカムの、妙にリアルに音を拾ってくるマイクが、ソウルの柏木の部屋の外のシティーノイズを伝えてくる。

 パタパタパタ、と乾いた音がした。

「いまのは?」

「ん?」

「何の音?」

「ああ、機関銃だろ? こんなのこの街じゃしょっちゅうだよ」

「大丈夫なの?」

「ああ」と柏木は笑って言った。「ここが俺の日常なんだ」


 柏木はホテルの自室で、今日の仕事を終え、エリとビデオチャットをしていた。

 柏木がソウルに渡って二日目。

 やっとこうして、顔を見て話をする時間が持てた。

「戦争、しているのね?」

「戦争ってほどじゃない。もう政府軍もそんなに本腰を入れてないし。いまに情勢はおちつくんじゃないかな?」

 気楽な声。

 エリは不穏な気配を感じた。

「ねぇ、本当に大丈夫なの? 嘘ついてない?」

「大丈夫じゃなかったら、こんな通話なんてできないよ。電波妨害がかかって、インターネットのプライベート通信なんて完全に遮断される。話ができてるウチはまだ大丈夫だと思っていい」

 わかった、とエリは不安を無理やり抑え込んで言った。


「ねぇ、宏行?」

 あの時から、エリは彼を名前で呼べるようになった。

「ん?」

「飛行機、乗り遅れちゃったね」

 あはは、と柏木は笑った。

「それより大事なことがあったからな」

 エリの微笑が深まる。

「あの時、、怖かったんだ。本当は」

 柏木が、ポツリと言った。

「怖かった?」

「ああ、この街へ来るのが。戦場に行く時はいつもそうさ」

 やっぱりそうだったんだ、とエリは思う。

 彼は、怖がっていたんだ。


「そういう時は、無性に誰かを抱きたくなる。エリと最初に会った時もそうだ。真っ暗じゃなくても。部屋の照明のなかでも。恐怖に自分を見失って、誰かの肌が恋しくなるんだ」

「―――それは」

 エリは言葉を失った。

「ああ、あの時は二度と会わないと思っていた。まさか君が俺を見つけ出すなんて、考えもしなかったよ。でも…」

 一瞬、彼は言葉に詰まった。


 パタパタパタ

 パタパタパタパタパタ


 電話の向こうで、機関銃の音が聞こえる。乾いた音が。遠い世界の、でも大切な人のいる部屋の向こうで。


 と、柏木とのビデオチャットの画面に、割り込み電話のサインが現れた。リエのアイコンが表示される。同時に《緊急》のサイン。


「待って。妹から電話なの。このまま切らないでいて」


 エリはワーカムを操作して、回線をリエとのものに切り替える。

「お姉ちゃん、テレビを見てる?」

 リエは音声だけのモードでエリに話しかけてきた。

「何かあったの?」

「すぐつけて。NHK」

 リエの緊迫した声に、エリはすぐに居間のテレビの前に戻った。リエは回線を切った。




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