赤と緑の宝石

#17




 爽やかに晴れ渡った梅雨の晴れ間。月曜日の午前9時。

 誰もいない5レーンの25メートルプール。


 そのセンターレーンを、紫色のシャープな水着を着たエリが泳いでゆく。

 必要以上に飛沫しぶきを立てず、鏡のように静まる水面を、滑らかに泳いでゆく。

 腰の位置から静かに水上に出た右手が優雅に宙に半円を描き、頭の先で水面に没してゆく。左手が同様の動きをくりかえす間、彼女の体は確実に前に進む。

 左手で水をかく時、二回に一回の割合で顔を半分だけ水から出ししっかりと呼気を行う。吸気は意識しなくても身体が自然に行ってくれる。


 5階建てビルの最上階にあるこのジムのプールは、可動式の屋根を解放し、直射日光を入れている。

 日差しはプールの中ほどを横切るように、斜めに差し込んでいた。

 その、日差しの差し込む水の中に、エリは泳ぎ入る。途端に、自分の影が青く塗装されたプールの底に映った。すこし歪みながら、プールの底で“もうひとりの自分”が端正なクロールを続けている。

 その影は、エリにリエのことを思い出させる。




 ―――双子の妹、リエとエリはよく似ている。


 高校生の頃、エリは水泳部、リエは新体操部に属していた。それ以外でふたりを区別することは、友人だって難しかった。


 何故ならふたりは、時に生活していたからだ。


 両親はその頃にはきちんとふたりを識別できていたけれど、家でも同じ洋服を着て、同じ下着を使いまわした。そして一歩家を出れば、リエの鞄を持ち、リエのヘアバンドをつけて、リエの携帯電話ハンディワーカムを持てば、そこにいるのはエリではなく、リエになった。


「ねぇ、聞いてよ、ヤマグチ先輩のコト」

 そういうクラスメートに、リエのフリをしたエリが答える。

「ヤリたがりのヤマグチ先輩ね」

「やめてよー、そういう言い方」

 コメントがすこし辛口なのはエリの本性かもしれない。でもそれをリエのチャーミングな笑顔を作って話せば、誰もが疑いなく会話をつづけてくれる。


 エリはそうやって、リエのクラスのリエの机に座り授業を受けた。新体操部でバトンを回し、リエの友人たちと放課後にケーキを食べた。同じ時間にリエはエリの世界を生きた。


 双子はワーカムで互いに連絡を取り合い、帰宅時間を合わせると、鞄やヘアバンドを交換して、もとの自分に戻った。そして何事もなかったかのように帰宅した。


 眠る前、ベッドを並べて横になり、ふたりは今日一日の出来事を語り合った。それはふたりの人間が体験を語るのではなく、ひとりの人間の記憶を並列化し、共有するための儀式だった。

 それは双子にとってのスリリングなゲームであり、些細な遊びの延長だった。


 ファーストキスはリエが先だったが、初体験はエリが先だった。

 リエのファーストキスの相手と、その三日後、エリもファーストキスを済ませた。ヨシユキ君、というその少年は、知らぬ間にふたりの少女とぎこちない口づけを交わし、パンケーキを食べて映画を観た。


 初体験は高校二年の夏。

 エリのバイト先の大学生がその相手だった。

 二度目のセックスでまたも出血した相手の女子高生が、「慣れるまでは何度かあるのよ」と普通に言うものだから、そのサクラさんという大学生は、自分がふたりの女性の処女膜を破ったのだという事実を今でも知らずに過ごしているはずだ。





 ●





 エリは静かにクロールを続けている。

 プールサイドには自分と同年代の女性の職員が彼女の泳ぎを見守っている。

 エリの泳ぎは決して速くはない。いまはスピードを求める泳法はしていないから。

 でも無駄をかぎりなく削ぎ落とし、フォームの乱れを徹底して減らしてゆく。そうしてできたのは、いつまでもペースが変わらない極めて安定した泳法だ。

 最初の数ターンを終えると心肺が安定し、いつまでも泳ぎ続けられるような気分になる。脳内のエンドルフィンが分泌され、よくあるランナーズハイに似た状態になっている。そのハイ状態がやめられず、エリはこうして定期的に長く泳ぎ続ける。



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