第33話 蒼炎の貴公子
――純白が晴れた。
明度の差にチカチカと光の粒が浮かんでは消えを繰り返す。
魔力欠乏のせいで今にも倒れそうなほどだ。
苦しげに顔を歪めて見た先。
手応えはあった。
「……ははっ」
乾いた笑いが独りでに漏れる。
正面には依然として威圧感を放ち、憎悪に満ちた血のように紅い双眸を向ける化物の巨躯。
右半身は骨まで焦げ落ちて、肉の断面がケロイド状に溶け固まっている。
火傷で膿んだグロテスクな内臓が散見されるが、相変わらず生命の脈動を続けていた。
俺の全力をもってして、遥か高みの存在を下すことは叶わなかった。
だが、しかし。
相応の打撃は与えられているようで、再生しようと内側でゴポゴポと血肉が泡立つが、その速度は非常に遅くもどかしさすら感じるものだ。
(追撃は……不可能だろうな)
化物のヘイトを買いすぎている状態ではまともに攻撃を加えられないだろう。
その上全力で放った攻撃でこの有様では、消耗した俺と凛華では仕留めるのは難しい。
半身を吹き飛ばされて生きている生命力も脅威だ。
心臓を潰しても死なないんじゃないかという予感もある。
どうしようかと圧縮された思考の渦の中で、唯ならぬ気配をもう一つ感じた。
ああ、時間か。
「――すまない、待たせた。二人とも、かなり無茶をしたみたいだね。目醒めたら酔いそうなくらいに濃密な魔力の波が感じたから何かと思えば」
柔和な笑みを湛えて語るのは、左眼に蒼い耀きを宿した士道さん。
順に俺達を見て申し訳なさげに頭を下げるものの、それ以上に雰囲気が一変していたことに驚きを隠せなかった。
狐の化物とある種似た気配……と言えばいいのか。
気を抜けば喰われるのではと錯覚する程の、抗いようのない圧。
「……ああ、やっぱり上手く制御が出来ないね。少し息苦しいだろうけど我慢して欲しい。コレも悪気はないんだ」
言って、左眼を手のひらで撫でる。
意味は理解出来ないけれど、別にどうだっていい。
「全く……遅すぎよ。女の子二人に時間稼ぎして貰ってカラコン付けに行ってたの?」
「辛辣だなぁ。でも、もう安心してくれていい。二人とも少し下がっていてくれるかな。巻き込みたくないからね」
自信満々に答えて抜いた長剣には、蛇のように蒼白い焔が絡み付いてパチパチと火花を散らしていた。
何かあの眼と関係があるんだろうか。
そんな疑問に士道さんは答えない。
凛華の手を取って士道さんと化物の周辺から距離を取る。
だが、そうこうしているうちに化物の身体は元通りに再生する寸前だった。
「ここからは選手交代だ。――本気でいくよ」
宣言と同時に再生を完了させた化物は士道さんを狙わず、俺へと脇目も振らずに飛びかかった。
しかし伸びた化物の身体の一瞬を逃さず、士道さんが潜り込んで腹へ蹴撃を叩き込む。
メキメキ、と蹴りで聞こえてはいけない不快音を鳴らして、サッカーボールのように
「無視なんてつれないじゃないか」
呟きは風音に掻き消える。
人間の身体能力では届かない空へ、一息で垂直に跳躍して化物を追う。
瞬きをする頃には化物の少し上に到達し、無防備な背に左手を当てて――蒼炎が爆ぜた。
爆音が轟き、ロケットのように化物が今度は地面へ一直線に吹き飛ぶ。
土を、岩を抉って蜘蛛の巣状に拡がった罅、その拮抗も一瞬で崩壊してクレーターを作り出し、打ち付けられた化物が勢いよく血の塊を吐き出した。
「凄い……」
思わず感嘆の声を漏らした。
まずもって動きが殆ど追えない。
技のキレも凄まじく、重心の移動、脚運び、呼吸、どれをとっても極限まで洗練されていて無駄がない。
さらにはあの蒼炎。
さっき手が触れた部分は今も蒼炎が焼き焦がし続けている。
消えない炎なんて有り得ない。
けれど、現に炎が絶えることはない。
すとん、と音もなく着地した士道さん。
化物の敵意は完全に士道さんへ移っていた。
地鳴りのように化物は唸る。
空気が震え、漂う気配が一段と濃くなる。
妖気……とも呼ぶべきか。
「――参るッ!」
音を置き去りにして、蒼の軌跡が迸る。
無数の蒼閃が化物へ殺到し、刻まれた傷が蒼く発火して再生を妨害する。
煩わしく感じたのか左右連続で振るわれた鋭利な爪が硬直した士道さんを引き裂いた――
「――残念。陽炎だよ」
かに見えた。
蒼炎の花へ姿を変えた偽物に困惑した化物、その背の上へ躍り出た本物。
西洋剣でありながら抜刀術の構えを取り、間髪入れずに抜き放つ。
鞘という鎖から解き放たれた蒼炎を纏った刃が背骨に沿って滑り、毛皮や肉をものともせずに焼き斬った。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛!!!!」
耳を
とめどなく溢れる血が土と混じり合い、濁った紅が一面を塗り替えた。
切断面にはやはり蒼炎が残り、再生する傍から炭化させてを繰り返す。
空中でくるりと一回転して膝立ちで着地。
しかし何かを察知したのか大きくバックステップで化物から距離を取る。
直後化物の周囲に暴風が巻き起こり、周囲の全てをズタズタに刻んだ。
剣の間合いから外れた。
普通なら接近して仕切り直すしかないが、こと士道さんにおいて距離の有無はあまり関係ない。
俺たちはそれを知っている。
まるで弓でも引いているかのように剣を構え、神速の突きを放つ。
剣は当然当たらない。
だが、蒼炎の矢が一直線に化物へ飛来し――顔面で爆発。
黒煙が上がり熱気を孕んだ爆風が肌を焼く。
そこへ躊躇うことなく一際強い蒼炎を剣に纏わせ士道さんが駆ける。
蒼炎が発する熱で蜃気楼が生まれ、何重にも重なって見えた。
ここで勝負を決める腹づもりなのだろう。
黒煙を斬り裂いて顕になった化物の瞳は妖しく、爛々と輝いていた。
まだ何かあるのかと考えたが、見るからに死に体の化物がとれる選択肢は限られているだろう。
見せた手札で警戒すべきは魔法のようなものだが、その起こりも感じられない。
(……諦めた? いや、違う。何か見落としがあるのか?)
確信めいた予感だった。
けれどその思考は届くことなく。
この世の全てを燃やし尽くさんとする地獄の業火のように。
深々と突き刺さった剣を起点として、蒼炎が化物の巨躯を呑み込んだ。
――数分後やっと鎮火した場には山のように灰が積もり、見る影も無くなっていた。
「これで終わったの……?」
「私達を閉じ込めていた結界はもう消えているけど……どうだろうね。正直、さっきから嫌な予感が止まらなくてね」
戦々恐々とした表情で士道さんが言う。
化物は常識的に考えれば死んでいて、ダンジョンからの脱出を阻んでいた結界は無くなっている。
状況だけ見れば万々歳、映画ならここでエンドロールが流れてもいい頃合い。
「お……私も同じです。あの化物が炎に包まれる寸前の眼は、絶対に何かある」
素で喋りそうになったのを慌てて修正して、感じていたことを伝えた。
思い出すのは、初めてあの狐と会った日。
あの嫌な感じには覚えがある。
ほら、今みたいに――っ!?
「離れろッ!」
切羽詰まった士道さんの叫び。
だが、俺も凛華も本能に突き動かされタイムラグなく距離を取っていた。
俺達三人の視線はある一点……灰の山へ集中している。
そこでは湯気のように黒い靄が立ち上り、不気味に渦を巻いて空間を侵食していた。
見ているだけで不安感が押し寄せてきて直ぐにでもこの場を離れたくなる。
――なんて、考える暇は無かったのかもしれない。
「二人共よく聞いて! 全速力でダンジョンから脱出するんだ!」
「っ、士道さんは」
「ここでアレを食い止める。あまり長くは持たないけれど、君達が逃げる時間くらいは稼げるはずさ」
「でも――」
喉元まででかかった言葉は、手首に感じた熱に遮られる。
はっとして向いた先、凛華は覚悟を決めた表情で首を横に振っていた。
「いこう、梓。今の私達がここにいても足手まといになるだけ」
「……っ、それは」
「だから私達の役目は今すぐギルドに救援依頼を出して、応援を連れて来ること。こんなとこで死ぬ訳にはいかない、そうでしょ?」
……ああ、そうだ。
俺の命は俺一人のものじゃない。
笑顔の日常に戻るためにも生きて帰らなきゃならないんだ。
知らずのうちに熱くなっていた頭が冷静さを取り戻す。
無駄に時間を使ってしまった分、ここから遅れを取り戻さないと。
「――ごめん、冷静じゃなかった」
「しっかりしてよね。梓は私の唯一無二の……その、パートナー……なんだから」
頬を赤らめながら視線が右往左往し、最終的にそっぽを向く。
恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、なんて言った暁には物理的に処される。
でもまあ、俺も似たような感じだ。
「俺も凛華とならどこまでもいけるって信じてる」
「〜〜〜〜〜〜っ、もう! 行くよ!」
感情が限界に達したらしい凛華がダンジョンの出口を目指して走り出した。
取り残された俺に、背後から声がかかる。
「――梓
「必ず守ります。士道さんもどうか、無事で」
覚悟を胸に、凛華を追って駆け出した。
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