第17話 アトラスの逃亡

 オルフィを天星宮に帰そう。彼は嫌がるだろうが、それがアトラスとの約束だ。ミアとしてもその方が安心だった。これ以上、自分のわがままに誰かを巻き込みたくない。

ジャックを伴いオルフィの元に向かう。いざ、アトラスがホロスコープを起動させようとしたところで、ふいにミアは気配を察知した。

 海岸に人気はない。しかし囲むようにして広がる落星の森から、殺気が膨れ上がっていた。ミアは自身の失態を呪った。

 マレフィックの影響下ではベネの〈星〉はその力を振るえず、占星術は使えない。極星を持つミアは例外だが、それでも大陸にいる時よりは力を消耗する。それゆえ〈探索〉を解除してしまったのだ。ジャックがいれば事足りるという油断もあった。

「タラセドだ。また厄介なのが最初にきやがった」

「戦って勝ち目は?」

「逃げるなら可能だな」

 顔色一つ変えずにアトラスは言った。

「多勢に無勢だ。ここは一旦退くのが得策だ。ハリスの動向もわからない状況では無茶をしたくない」

 ハストラングの側近だからだろうか。アトラスはとにかくハリスを警戒していた。

「でも、オルフィを早くここから離れさせないと」

「僕の心配なら無用です。先ほどからホロスコープで〈星〉の様子を観察していましたが、この調子だとマレに完全に染まるまでは三日か四日はかかると思われます」

 オルフィの研究熱心さがここで役に立った。閃光玉はハリスから逃げる際に使ってしまったのでもうない。目くらましができないとなればーー作戦を考えている間に、敵の方から仕掛けてきた。

一斉に放たれる無数の炎の矢。ミアはホロスコープを展開し〈星〉の位置を変換した。雨のように降り注ぐ炎の占星術を、不可視の障壁が全て阻む。同時に、草陰からマレが飛び出してミアたちを取り囲んだ。その数、七人。アトラスとミアの二人ならば切り抜けられる人数だった。が、ここで思いもよらない八人目が登場した。

 オルフィが息を呑む音がやけに大きく聞こえた。

「ベル、そんな馬鹿な」

 巨漢のマレに両腕を一括りにして吊るされていたのは天星宮に帰還させたはずのベルだった。意識を失っているらしく、頭は垂れている。特に外傷がないのが幸いだが、かといって安心はできなかった。

 代表格のタラセドが傲然と言い放った。

「この女の命が惜しければ大人しく投降しろ」

これまでも何度か聞いた台詞だ。アトラスも同じことを思ったらしく「捻りのねえ奴らだな」と小さくぼやいた。

「はいそうですか、と要求を呑むわけにはいきませんが、かといって」

「殺しはしない。大切な人質役だ」アトラスがやけに自信ありげにオルフィの言葉を遮った「利用価値がある内はな」

がくっとミアの肩が大袈裟に下がった。頼りにならない助言者だ。こちらが取引に応じなければ殺すということではないか。

「それを聞いてとても安心したわ。ありがとう」

「なに、礼には及ばない」

嫌味を軽く受け流される。些か緊張感に欠けたやりとりに焦れたタラセドは声を荒げた。

「ならばこの女は殺す! それでいいのだな」

「好きにしろ」

「ちょっと待っ……」

身を乗り出しかけたミアの腕をアトラスが掴む。

「相手の思惑通りに動いてやる義理はねえ。大丈夫だ。殺さねえよ」

断言するが根拠はなかった。説得力も。

「こけおどしではないぞ!」

「さっさとやれ。本人だってそれくらいの覚悟はできてる」

 何故アトラスにベルの意思がわかる。状況も忘れてミアは呆れた。

「そんな無茶な」

「他人には使命に殉じるよう強要していながら、自分の命は差し出せねえという方がよっぽど無茶だ」

 アトラスはベルをあっさりと切り捨てた。マレなのだから当然と言えば当然の判断だった。オルフィとは違って彼にはベル個人に対する恩義も情もない。

「それよりハリスはどうした。極星の姫を殺そうとすれば奴は黙っちゃいないと思うが」

「奴なら今頃我々に追撃されやしないかと怯えているだろうさ」タラセドは胸を張った「奴は配下を失った。我々に討ち取られたのだからな」

「……全員を、か?」

 アトラスの目が眇められる。

「そうとも。カラもセギヌスも、裏切り者は一人残らず葬ってやったわ。主犯格のハリスを逃したのは失態ではあるが、もはや奴一人ではどうすることもできまい」

「なるほど。ハリスの狙い通り、奴の配下を殺してやったというわけか」

「貴様、何を言っている?」

「マレとベネが手を組むなんて夢想だということぐらい、奴だってわかっているだろうさ。無論、お前らのような保守派に反対されることも計算の上。それでも奴は絵空事を掲げて行動に出た。勝算がなければできないことだ」

 アトラスはベルを人質に取ったタラセドら一行を睨めつけた。

「都合よく利用されているのがわからねえのか?」

「黙れ『紛いもの』がっ!」

 激情のままに放たれた電光をアトラスはまともに受けた。〈予言〉が成就されない限り、防御結界を張るだけの〈星〉を彼は割くことができない。身体は地に打ち付けられ、それでも執拗に責めさいなまれる。

「アトラス!」

 駆け寄ろうとするミアをオルフィが引きとめた。アトラスは満身創痍になりながらも立ち上がる。

「俺を、排除したとしても問題が残るぞ。こいつには結界がはってある。お前も耳にしたことはあるだろう? ベネで最強を誇る星読師トレミー=ドミニオン。そいつが編み出した一等占星術だ。極星の姫自身が望んだとしても危害を加えることはできない」

 喉の奥から低い笑いが漏れる。アトラスは笑っていた。不利な状況下においても不敵に。

「〈予言〉が成就する時は近い。〈不死の大公〉ハストラングか、ファイノメナ最高の極星か、賭けの対象としては不足ない」

「貴様ぁああっ!」

 激昂するタラセドが再び電光を放つよりも先に、アトラスは消えた。一瞬の出来事だった。クルサの町で狼に追われた時と同じ方法だろう。カボチャもいつの間にか姿を消していた。

「あの裏切者……っ!」

 ミアは握り締めた拳を震わせた。よりもよって敵の本拠地目前で見捨てたのだ。オルフィは達観したもので、遠い目をしていた。

「マレですからね」

 どちらかと言えば諦観だった。

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