第9話 お姫様の旅立ち

 動くのなら今しかない。

 エヴァに戻らされた自室でミアは意を決した。先だってのこともあり、天星宮はすぐさま極星の宮を厳重警戒態勢にするだろう。閉じ込められるのだ。もしかすると、また『御身を守るため』と称して眠らされるかもしれない。

 覚えがあるだけにミアの危惧は切実だった。強制的な睡眠。次に目覚める保証はどこにもない。それではマレに囚われていたのとなんら変わらない。

(行かなきゃ)

 星騎士イオがマレに乗り込む時とはまるで違う。自分には剣もなければマレの大公と戦うほどの力もない。それでも、だ。

 ミアは傍に控えるベルを盗み見た。極星の姫を一人にしておくわけにはいかないという余計な配慮だ。侍女ならばミアの命令でしばらく下がらせることはできるのだが、天星宮所属の星読師となるとそうはいかない。

「ベル、お願いがあるのだけれど」

「皆まで仰らなくても結構です。ベルにはわかっております」

 星読師ベルは侍女達に聞こえないよう、耳元で囁いた。

「ここを出て行かれるおつもりですね」

 ミアは弾かれたように身を引いた。〈読心〉の占星術を使ったのだろうか。いや、術を掛けられたのならミアは感知することができる。そんな素振りも気配もなかった。

 呆気に取られている間にベルは侍女達を下がらせた。

「畏れながら、私が仮に姫様だとしても同じようにしたでしょう。いくら監視役が奪われたとはいえ、また眠らされるなんてあんまりです」

 監視役。星騎士を示す表現として間違ってはいないが、ミアは眉を顰めた。少なくともミアの知る『イオ』は監視役などではなかった。極星の姫を守る騎士だった。

「ですから、しばらく身をお隠しになるのでしたらお力になります」

「あの、心遣いは嬉しいのだけれど」

「遠慮は無用です。私もお供致します。どうかご心配なさらずに」

 微妙に、いや、ほとんど話が通じていなかった。ミアは頭に鈍痛を覚えた。ベルの考えは半分あっているが、残りの半分は間違っていた。たしかにミアは天星宮を抜け出すつもりでいる。しかしそれは〈眠りの茨〉から逃れるためーーだけではない。

「私は星騎士イオを取り戻したいの。どこに連れていかれたか、わかるかしら?」

「取り戻す……?」ベルはきょとんと鳩のような顔つきになった「え、まさか星騎士を、ですか? でもマレに連れて行かれたのですよ?」

 ネメシスに連れられた時点で終わり。それがベネにおける常識だ。ベルも例に漏れず、呆れて棒のように突っ立っていた。

「姫様、さすがに……無理があるのでは」

「どうして。イオは一人で乗り込んだのよ?」

「星騎士と極星の姫を一緒にしてはいけません、それに、あの『イオ』は規格外です。トレミー=ドミニオンですらマレの大公には敗れたんですよ。天星宮の星読師が束になったってハストラングには敵いません」

「ベル、協力しろだなんて無理は言わないわ。でもお願い、しばらく目を瞑っていてほしいの。マレと戦うつもりはないわ。イオを取り戻すだけよ」

 睨み合いで両者拮抗状態。先に折れたのはベルの方だった。

「……わかりました」

 渋々とベルは了承した。

「でも、やはり姫様お一人で行かせるわけにはまいりません。私がお供致します」

 これ以上譲歩はしない。明確な意思を伴う眼差しに、ミアは説得を諦めた。



 方針が決まれば早速準備だ。時間が経てば経つほど警護と監視は厳しくなり、脱出は難しくなる。

とはいえ、もともとミアの持っているもので旅でも使えそうなものは大してない。せいぜい丈夫な布で作られている服と高価な宝石くらいだ。荷物は鞄一つに収まる程度だったが、一般的な庶民が着るような服をミアが持っていないのが痛手だった。星読師の儀礼衣を身に纏っているベルも同様だ。

「これなんてどうです? 深く被れば顔を見られる心配も減りますよ」

 衣裳棚を漁っていたベルが黒いローブを掲げて見せた。

 闇と同化したような漆黒一色。それを纏い人目を避けて歩く様をミアは思い描いた。魔女ならば格好がつくかもしれないが、真昼の街中では悪目立ちするだけだ。

「やめておいた方が……」

 首を傾げるベル。なんと言ったらいいものか。ミアは言葉を選びながら提案した。

「逆になるべく人が多い所を選んで、紛れ込んだ方が、見つかりにくいと思うの」

 ちらりと上目遣いにベルの様子を伺う。

「私、旅人や商人がどういう格好をしているのか知らないけど、王都ならそういう人向けのお店も、あるはずでしょ?」

「なるほど。裏をかいて一般人を装うのですね?」

 ベルは納得して、しかし何故かローブは小脇に抱えたままだ。もしかしなくとも旅衣を手に入れるまではそれを纏うつもりらしい。早めに探さねばとミアは密かに決意した。

「となれば、問題はお金ですが……まあ、私もいくつか売り払えるものは持っていますから、たぶん大丈夫でしょう。天星宮の印章が入ってるものなら高く売れるでしょうし」

「印章入り?」

 ミアは自分の頬がひきつるのを感じた。王都で、王宮のお膝元でそんなものを売り飛ばし、流通させようものなら天星宮の、ひいては王家の威信に傷がつく。

「高値で売れるかと」

 その代償は売値よりも高くつきそうなものだが。

「あまり高価なものを売ったら、買った人の印象に残りやすくなるかもしれないわ。貴族や商人なら誰が持っていてもおかしくないものを売ったらどうかしら。たとえば小さな宝石とか指輪とか」

 ベルはしばし考えてからミアの案に賛成した。

 結局、ミアの宝石箱から適当な装飾具を選んで袋に入れることとなる。ベルの持つ『高価なもの』は天星宮の印章が入っていたり、明らかに星読とわかるものだったのだ。装飾具をつける機会がほとんどないミアに異論はない。問題はどこで売るか、だ。追っ手はすぐにかかるとみて間違いはない。何も持たないミアが王宮を出て最初に何をするのかくらい、手に取るようにわかるはずだ。

 かといって、王都から離れた町で売りさばけば足跡となるおそれもある。必要なものは早めに揃えた方がいい。

「通行証もいるわね」

「……通行証?」

「関所を通るために必要と、聞いたことがあるのだけど?」

「そうなんですか」

 いまいち釈然としない。ミアの中で嫌な予感が膨れ上がる。

「あの、ベル」

 ミアは恐る恐る訊ねた。

「もしかして、あなたは元々天星宮出身なの?」

 ベルは軽く目を見開いた。何故そんな質問をされているのかわからないようだ。

「いいえ。辺鄙な田舎町に住んでいたのですが、十四の時にライラ導師に連れられて。それ以降はずっとここですね」

「天星宮に、ずっと」

「はい。外出許可がないと天星宮から出られませんし、わざわざそんなことをしなくても支給や出入りの業者から買えば事足りますから」

「じゃあ王都から出たことも?」

「星読師になってからは、ほとんどないですね」

 あっさりと絶望的なことを告げられて、ミアは言葉を失った。世間知らずが二人揃ったところで何になるというのか。おまけに一人は世間一般とズレていることに気づいてもいない様子だ。これで先行きに不安を覚えない方がおかしい。

(……イオ、どうしよう)

 天星宮どころか部屋から出る前に、早くもミアは途方に暮れた。

十四年間は外にいたベルでさえこの調子では、一度も天星宮から出たことのない自分はもっと浮いているに違いない。ミアには自覚があった。自分が得ているのはあくまでも書物や人から聞いた情報だけであって、知識ではない。これでは旅人のふりをして港町までたどり着けるかどうか。

 王宮からの脱出。必要な物の調達。追跡の回避。問題は多く、解決策も浮かばない。普段学んでいる歴史や文法よりも難しかった。正答を教えてくれる教師がいないことが、特に。

(でも私がやるしかないもの)

 助けてくれる星騎士はいないのだから。

「町にお出になるのでしたら、こちらをお召し下さい。少し大きいかも知れませんが、さほど違和感はないでしょう」

 服を手に会話に入ったのはエヴァだった。いつの間に戻ってきたのか、言葉を失う二人の前で腕を組んだ。

「ところで姫様、どちらへ行かれるおつもりですか?」

 ミアは後ろ手に革の鞄を隠した。だが遅い。絶対に見られていた。

「エヴァ、どうして……」

「姫様のお考えになることぐらいお見通しです」

 ほんの少しの優越感を滲ませてエヴァは言った。ここ数日、散々心配を掛けさせたミアに対する意趣返しかもしれない。

「これでも私はお母君様の代よりお仕えしております。姫様のことはお生まれになる前から存じ上げておりますのよ?」

 ごもっとも。無条件降伏だ。ミアは鞄を前に出した。

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら、最初からなさらなければ良いのです」

 ため息混じりで指摘すると、エヴァはミアから鞄を取り上げた。

「こんなに宝石を持っていては重荷になってかえって不便でしょう。金貨も駄目です。銅貨を入れさせていただきますのでお使いください……あら? 姫様、下着の替えがございませんよ。それに布は数枚持っていくべきです。何かと活用できますから」

中身を改めては不要なものと必要なものをとりわけて詰め直す。エヴァは手際よく荷造りをしつつ、ベルに退室を促した。

「いえ、私は……」

「二人同時に姿を消せば、共に行動していることなどすぐに知れてしまうでしょう。あなたはライラ導師から外出許可をいただいて、城下町に行きなさい。案ぜずとも姫様はお一人で外へ出られます」

 ベルが視線で投げかける問いに、ミアは頷いた。占星術を使えば可能だ。問題は待ち合わせ場所だが、ミアが今座標を特定できる場所は限られている。城下町ではたった一つしかないポイントーー裏路地の安酒場を指定する。

「わかるかしら?」

「たぶん、大丈夫だと思いますが……姫様、よくそんな場所をご存知ですね」

「イオが教えてくれたの。城に戻る前に」

 ベルはその点については追及せずに、その代わり「本当にお一人で城を抜け出せるのですか?」と確認した。

「〈転移〉を使うわ。準備さえできれば一瞬よ」

「なるほど」

 ライラ導師の弟子なだけはあってベルもその占星術は知っていたようだ。ライラ導師の直弟子トレミー=ドミニオン導師が編み出した移動用占星術。

「納得したのなら、早く自分の準備をなさい」

「私のことは心配しないで。あとで合流しましょう」

 エヴァの言葉を後押しするようにミアが言うと、ベルは躊躇いながらも「では、お先に失礼致します」と断って退室した。

 侍女は下がらせたまま、二人きり。ミアはベルの足音が遠ざかってから、エヴァに向き直った。

「止めないの?」

「何故です」エヴァは首を傾げた「他ならぬ姫様ご自身がお決めになったことを、何故私が止められましょう? お生まれになった時より姫様を存じておりますこの私が」

 エヴァは服をミアに手渡した。華やかさには欠けるが、いつも着ているものよりも生地が厚く、頑丈な印象の服だった。リボンはなく、ボタンも少なく、ミア一人でも簡単に着ることができそうだ。服を広げて眺めているミアの肩に、エヴァは手を置いた。

「覚悟をお決めください」

 ミアは神妙な面持ちで頷いた。エヴァの言わんとしていることは理解できた。一週間前までのミアは絵に描いたような極星の姫だった。天星宮の奥深くでひっそりと暮らし、マレに拐かされることもなく、国王に決断を迫るようなことは一切なかった。しかし、星騎士行方不明、極星の姫逃亡が露見されれば、そうもいかなくなる。

 国王は必ず決断を迫られるだろう。母ニアンナが拐かされた時と同じように。そしてミアは、国王がどんな判断をするのか既にわかっていた。

「陛下をお恨みなさいますな。お立場がございます」

「わかってるわ。お父様、いえ、国王陛下には国を守る責任があるもの。仕方ないわ」

 自ら口にしながらも、ミアは釈然としないものを感じた。仕方ない。国王としてやむなくしていることだ。妻に続いて娘までもが極星に選ばれたが故に二者択一を迫られる父もさぞかし辛いのだろう。聞き分けのよい『極星の姫』の衣で覆い隠そうとする中で、なおも叫ぶ幼い『ミア』がいた。

(私だって、好きで極星の姫になったわけじゃないわ)

 最後にワガママの一つくらいは許してほしかった。

「……姫様、無礼を承知の上であえて申します」

 エヴァは躊躇いがちに、しかしハッキリと言った。

「もう十分ではございませんか?」

 返す言葉が見当たらないミアに「十四年です」とエヴァは告げる。あれから、十四年の歳月が経っているのだと。

「常ならば長くとも七、八年で終えるはずの使命を、お生まれになった時から姫様は担っておいでです。王族でありながら王宮には一度も足を踏み入れられず、マレの影に脅え、天星宮の奥で息を潜めるようにひたすら時が過ぎるのを待つ。いつ訪れるかもわからない解放の時を待ち続けて、何になりましょう?」

「私は何もしてないわ。宮に引きこもって──マレの手に堕ちた時もイオが助けに来てくれるのをただ待っていただけ」

 おとぎ話なら美談で済んだことだろう。しかし、ミアはおとぎ話のお姫様ではなかった。極星に選ばれた姫だった。攫われて救いを待つことは許されなかった。

「誰が何と言おうと、姫様はご立派に使命を全うなさいました。わたくしが一番よく存じ上げております」

 エヴァの眉が痛ましげに寄せられる。

「ですから、どうかご自分の心にかなう道をお選びください」

 ミアは胸に手を当てた。十四年の歳月を共に生き、そして守ってきた極星がここにある。ミア=リコの生は極星のためにあると言っても過言ではない。

 だから今、一つくらいのワガママなら許されるのではないか。自分が何をしたいのかはもうわかっている。許されるのなら、いや、許されないことだとしても。

 会いたい。

 せめて、もう一度。

「エヴァ」

 ミアは上目遣いで、おずおずと訊ねた。

「私が帰るまで、待っていてくれる?」

 エヴァは目を見開き、しかしすぐに優しく微笑んだ。悲しい笑みだった。

「ええ、もちろん。アップルパイを焼いて、姫様をお待ちいたしましょう」

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