第3話 英雄の帰還

 居心地の悪さを誤魔化すようにイオは大きく背を伸ばした。左右のバランスが取りにくいのは先日ハストラングと戦った際に右腕を失ったからだ。

王城よりは開放的であるものの、天星宮もまた城内にあることは変わりない。

 創始のベネフィック〈吉星〉が落ちたとされる聖域に、天星宮含む王宮はある。伝説の真偽はともかくとして、現にこの一帯ではベネフィック〈吉星〉の力を強まり、逆にマレフィック〈凶星〉の力は弱まる。天星宮を建てるにこれほど相応しい場所はなかった。マレ〈凶〉の大公でさえもこの聖域内では占星術を行うことができないという。故に極星を抱く者はそれとわかった時から王宮、及び天星宮へ連れられ、以後極星が新たな宿主を選ぶまでこの聖域で過ごすのだ。

 白を基調とした、一際高い塔、天星宮を中心に六芒星を描くようにいくつかの塔が建てられている。各塔個別に名称が付いているが、全て星読のために建造された塔だった。故に、総称して星読の塔と呼ばれる。

 その中でも北側に位置する星読の塔『レイリス』にイオは赴いた。身体の修理をしてもらってから早二日が経過していた。本当は昨日訪れるはずだったのだが、何かと足止めを食って今日になったのだ。それも無理からぬことではあったが。

 えてして現実は、おとぎ話や伝説ほど上手くはいかない。

 極星の姫を救う使命を持つ星騎士の一人、イオは星読師の技術の粋を結集させて造られた生ける人形。すなわち人造人間だった。『イオ』自身に意思はなく、有事の際に最も優秀な星読師が、占星術を用いてその身体に乗り移る。腕をもがれても腹を抉られても、核を壊されない限り動き続ける戦闘兵器は、力でも占星術でも脆弱な人間が強大な力を誇るマレに対抗するための切り札だった。

 しかし、星騎士を持ってしてでも極星の姫を救出できた例はないに等しかった。少なくとも王国史上では一度もない。マレの力はたった一人の騎士が挑んだ程度で抗える程、甘くはない。国民が星騎士を伝説上のものだと思うのは、王国がその事実を隠ぺいしてきたからだった。

 極星の姫がマレに攫われた場合、それは取りも直さず、姫の死を意味する。極星が輝くのは生きた人間の胸に抱かれている間のみ。故に姫はこれまでと悟った時点で皆自害した。そうするように育てられている。全ては極星を我が物にせんとするマレの野望を打ち砕くためだ。

 それだけに極星の奪還、マレの大公の討伐に姫の無事救出、前代未聞の功績に王室側の喜びもひとしおだった。

 帰還後、壊してしまった身体の修理もそこそこに、すぐに身を清めて玉座の間にて国王より直々に労いのお言葉を賜った。史上最高の星騎士との栄誉まで授かり、イオはもうそれはそれは肩が凝るような心地だった。

(話が長い)

 元々公の場に縁がないイオは、必要以上に緊張してしまう。一刻も早く立ち去りたいイオにとって、長々しい口上はたとえ誉め言葉だとしても拷問に等しかった。

 さらにイオを困らせているのは明日行われる国王主催の宴会だ。常ならば得体の知れない輩なぞ呼ばれないのだが、使命を全うした星騎士の栄誉を讃えて、特別にイオもご招待に預かった。ありがた迷惑とはこのことだ。自分には、もう時間が残されていないのに。

『アイリス』の最奥の部屋ーー星導師の個人部屋にイオが辿りつけたのは、塔内に足を踏み入れてからさらに一時間後が経過した後だった。すれ違う人全てがイオを畏怖と好奇のこもった眼差しで見、それだけならまだいいのだが、話しかけてくる者までいたのだ。やれマレとの戦いの感想やら、どんな秘策を用いて勝利したのか、ネメシスの様子だの、好奇心から様々な質問をしてくる。邪険にするわけにもいかず、イオは質問されるままに答えた。答えられるものだけは。

 そんなわけで、ようやく辿り着いた星導師室の扉をノック。承諾の返事をもらうなり、イオは入室した。個人部屋と銘打ってはいるが、実際は研究室だ。小さな晩餐会くらいなら開けるほどの広い部屋の中央に星読用の望遠鏡が天球図と共に陣取っていた。壁一面の本棚は書物で埋め尽くされ、空を見る目的以外の窓は一つもない。

 典型的な星読師の部屋の奥に、導師の机があった。書物を初めとする雑多な物で溢れかえった、お世辞にも整理整頓されているとは言えない机。乱雑な机を気にする様子もなく、研究に没頭する星導師は、首だけをイオに向けた。

「辛気くさい顔をするな、救国の英雄」

 軽口で歓迎したのは、星導師のケイルだった。人好きしそうな顔。顎には無精髭。恰幅のよい体に儀礼衣をまとっていなければ、酒場の主人でまかり通りそうだ。

「国王陛下の拝謁を賜ったのだろう? 一介の星読師では永遠に叶わない夢だぞ」

「代わってやろうか」

「俺はいい。あいつの胡散臭い顔は見飽きた」

 これで天星宮の秘宝管理を任されているのだから、世の中の謎は多い。

「調子はどうだ」

「すこぶるいいよ。違和感もないし」

 勧められた椅子にイオは腰掛けた。

「ずっとこのままでも構わないくらいだ」

「やめとけ。ロクなもんじゃねえ」

 ケイルは手を差し出した。診せろと言いたいらしい。イオは大人しく辛うじて残った左腕を伸ばした。

「相性がいいのかもな。なおさら早く分離させた方かいい」

「何故だ」

「定着しちまうと、今度は離れられなくなる。星騎士のまま一生を送りたいか?」

 イオはそれも悪い気がしなかったが、口にしないだけの分別はあった。

「あと何日なら大丈夫なんだ」

 ケイルは顎に空いている片手を当てて考えた。

「そうだなあ、お前が目覚めたのが一週間前だから……あと一週間、いや、四日ぐらいだな」

 四日か。イオは呟いた。予想よりも短いが、たとえ一週間、一ヶ月と時間が許されようと短く感じるとも思った。

「いい夢を見たと思って、しばしの英雄気分を堪能するんだな」

「うん」

『しばし』どころか『つかの間』だと、内心思いながら、イオは頷いた。たしかに自分は、歴代で一番幸運な者だろう。使命を全うした。生きて戻った。そしてあと四日も猶予がある。身に余る幸せだった。

「本当にいい夢だよ」

 いずれ醒めると知っていたとしても。

 ケイルは左手の指先を準々につついてイオの反応を確認した。右腕に続いて左腕まで不具合を起こされていては管理人として堪らないのだろう。

「代償も大きいがな」

 ケイルは皮肉を言う。

腹の損傷も酷かったが、右腕をもがれたのもまた痛かった。腹を優先的に修理したおかげで、今は一番の重傷部位。欠損部分を失っているので修繕にも時間がかかる。おかげでケイルの小言をくらったが、イオは片腕で済んで良かったと思う。ミアを担いで帰ってこれた。

「新しい右腕を作るには一ヵ月以上かかるから、くっつけて動作確認ができるのは次に姫が攫われた時だろうな」

「一ヶ月後にもう一度乗り移るよ。いつでも動けるように万全の態勢を整えておかなくては」

「まあ、お前さんがそう言うなら、俺としては願ってもないことだが」

 ケイルは不思議そうにイオを見た。万全の態勢も何も、伝説とは違って現実の星騎士は、本来はさほど戦闘しないものだった。まず星読師が星騎士の身体に慣れるのに時間がかかるし、修繕にも費用がかかる。腕がもげたりでもしたら、直すのも一苦労だ。

「ところで、姫様のご様子はどうだった?」

 何人たりとも害を成せないよう、極星を持つ姫は聖域の奥深い離宮に住み、外部の者との接触は禁じられている。しかし今回は褒美の一つとして、イオは望んでもいないミアの拝謁まで許されたのだ。

「話はしていない。疲れて眠っていた」

「命の恩人に礼も言わずにか。そいつはいけないな」

ケイルの評価はやや厳しかった。ミアは長く眠りの術を掛けられていた後遺症で、唐突に眠ってしまうのだ。本人の代わりに侍従長が厚く礼を述べ、軽食を御馳走してくれた。正直、王からの労いの言葉よりも、こっちの方がイオは嬉しかった。

心のこもった礼はともかくとして、イオは今まで一度もミアが起きている姿をこの目で見たことはなかった。おそらく向こうもそうだろう。

 星騎士は有事の際にしか目覚めない。だから当然のことではあるのだが、歴代の騎士達もまた、自らが護るべき極星の所持者の目覚めた姿を見ることなく、ただひたすらに使命を全うしたのだと思うと、イオは寂しく感じた。護る者と護られる者。互いに星に選ばれた者同士、絆で結ばれているはずの二人はしかし希薄な関係しか持てないのだ。

「これはお土産だ」

 持たされた包みをケイルに差し出す。この後、イオが身体の調子を診てもらうために『レイリス』のケイルの元を訊ねると知った侍従長は、すぐさまお茶受けの菓子を詰めてくれたのだ。

「エヴァだな。やっぱり気が利く奴は違う」

 見ただけで誰によるものかを察したケイルは、いそいそと包みを解いた。期待通り、新鮮な野菜を挟んだサンドイッチ、クッキーといった片手で食べられるものが綺麗に並んでいた。研究に没頭しがちなケイルのことを思いやってのことだろう。侍従長のエヴァのこういう心遣いが、イオは好きだった。

 上機嫌でサンドイッチを頬張るケイルに、ここぞとばかりにイオは訊ねた。

「ちょっと王都を散策したいんだが、いいだろうか?」

「ああ。もちろんいいともーーなんて言うとでも思ったか馬鹿め。星騎士が真っ昼間から町中をうろついてみろ。王国軍総出で捜索にあたることになるだろうが」

「じゃあ、夜なら問題ないか」

「大アリだ」

 咀嚼しつつもケイルは頑として外出は認めなかった。

「お前が星騎士でいる間は天星宮にいてもらうぞ。外に出たければ使命が終わるまで待つんだな」

 使命が終われば今度こそ外へは出られなくなるから今お願いしているのに。しかし、星導師としての立場も理解できなくはない。おいそれと認めるわけにはいかないことも。

 イオは左胸に触れた。手に感じるのは硬質な金属の感触──『誠心の刃』と呼ばれるものだ。由来は星騎士が極星の姫に永遠の忠誠を誓った伝説から。極星の姫と星騎士の胸にある『誠心の刃』は、どちらか一方の心臓が止まったり刃そのものに衝撃が与えられたりしたら即発動し、もう片方の命を奪う禁断の術だった。ミアはもちろん代々の極星の姫の胸にも同じものが埋め込まれている。

 これが、マレに対する星騎士最大の切り札だった。極星の姫を生かしておかなければならないマレには、おいそれと星騎士を攻撃できなくなる。イオがミアを救出できたのも、この『誠心の刃』の発動を恐れたマレが実力を発揮できなかったからだ。

なので渋々ながらもイオは引き下がった。表面上は。

「……わかった」

 実のところ、イオは引き下がるつもりなど全くなかったのだが。

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