セントベルのまち

――なあ、あの話もう聞いたかい?

――ああ、でも本当なのか?

――さあね、でもさっき○○が長の家に入ってくのをみたって


大陸の中央北部に位置する街、セントベル。一年中春の風が漂い、他の村よりも少

し人口が多く、普段から活気のあるこの街も、今日だけはいつもと違う賑わいを見せていた。

今朝方、街と森とを隔てる門を見張る番の者が旅人の来訪を告げた。

いくら栄えている街と言っても、森によって隔てられてしまった今外部からやってくる者はまずいない。もしそのようなことがあったのならば、それはきっと“研究者”であるとしか考えられない。


【“研究者”とは森に踏み入ることのゆるされた唯一の存在。彼らは自らの【研究分野】を持っており、傍その証として自分の研究分野に縁のある従属を傍らに従えている。】


大陸の者ならだれでも知っている御伽噺だが、その姿を見たという話は聞かない。研究者は、存在すらも確かではない伝承の中の人物とされてる。しかし、自分の村に旅人が来たとなれば話は別だ。今朝方伝えられた来訪者が伝説の研究者なのか否か、街はどこもかしこもその話で持ち切りである。




やや東に傾いていた太陽が街のちょうど真上を差した頃、朝から固く閉ざされていた長の家のドアがようやっと重い音をたてて開いた。

家から出てきた旅人は、大陸ではあまり見ない赤銅色の髪と、黄金色の瞳を持っていた。珍しい容姿に街の者たちはざわめいたが、そんなざわめきも次にドアをくぐった生物によって完全にかき消された。

深緑に染まった身体に赤酸漿のような鋭い目、旅人の倍以上はあるだろうその体長に引けを取らない鳳のように立派な羽。まるで神話の世界から飛び出したかのような大蛇がヌルリと扉を抜け、目の前に現れたのだ。


「ほら、やっぱりこいつに全部持ってかれちゃったじゃないですか」


目の前に広がる光景に言葉を無くした人々の様子を見て、旅人が拗ねたように言う。


「ほっほっほ。でもその方が迫力があっていいじゃろ?」


長、と誰かが口にしたのを皮切りにざわざわと辺りに喧騒が戻る。その様子を愉快そうに見ていた老人、もとい長は旅人の方を一度見たあと、スッと右手を挙げた。それに気が付いたものから口を閉じ、喧騒が少しずつ小さくなってゆく。

民衆がおおよそ口を閉じたあたりで長が口を開いた。


「皆の者、喜ばしいことに我が街に旅人がおいでになった。勘付いている物もいるだろうが彼はかの伝説の研究者で、この街へは人を探して足を運んだそうじゃ。皆是非力を貸してやってくれ」


老人が口を閉じ、再度視線を旅人へと送った。それを見た旅人は、軽く頷くと一歩前へ出て口を開いた。


「こんにちは皆さん。先程紹介に預った研究者のトルツァというものです。研究分野は【レプト種】、俗に言う爬虫類の仲間ですね。トンボを連れたオカマを探していますので、心当たりがある方は僕までお願いします。短い間ですが、どうぞよろしく」


まるでメモでも用意していたかのようにすらすらと言い切ると、旅人、もといトルツァはにっこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。

高かった日もすっかり落ち、街の至るところに薄橙の光が灯り始めるなか、街の中央広場は祭りのような賑わいを見せていた。今朝方街へと訪れた旅人をもてなすために宴が開かれたのである。


最初は傍らの大蛇を警戒して遠くから眺めているだけだった人々も、彼の饒舌さと気の良さに心を許し、トルツァは街の人気者になっていた。彼をすっかり気に入った祭好きの酒屋の店主が提案したことを皮切りにあれよあれよという間に宴の準備が進められ、トルツァの腹が空腹を訴える頃には立派な宴会会場が広場に姿を現していた。


「しっかし研究者が来たって聞いた時は驚いたけどよう!まさかニーチャンみたいな若いのが来るとは思わなかったよ!」


街の広場の中心で、交互に組まれた木々がぼうぼうと燃えている。街の人たちはめいめいに宴を楽しんでいた。その中でも一際元気な酒屋の店主は、旅人のトルツァと酒を交わしていた。


「研究者を見たのは初めてですか?」


加減を知らないような無骨な腕で容赦なく背中をバンバンと叩かれながら、トルツァは店主に問いかけた。


「そりゃあなあ!俺達田舎に住んでる奴らからしたら研究者なんて童話の世界の話だからなあ。俺なんかてっきり長老みたいな立派な髭を蓄えたジジイでも来たかとおもったよあっはっは!」


「そんなそんな、童話のような存在だなんて!合格すれば誰だってなれますよ。

…それに僕は髭を蓄えてはいませんが、どちらかというともうジジイと言われてしまってもおかしくない程には歳をとってしまっていますからね」


「あっはっはニーチャン面白いねえ!!ますます気に入っちまったよ!」

酒屋の店主はもはや何を言われても面白くて仕方ないようだ。大きな体を揺らして笑うたびに、店主が手に持っている大きなコップから、中のアルコールがこぼれトルツァの上に降り注いでいる。

もはやトルツァの言葉を聞いてるのかすらわからない程酒が回り、顔を真っ赤にした酒屋の店主は、相変わらず上機嫌そうにトルツァの背中を叩いている。


「しっかし、全然ニーチャン酔わねえなあ!」

「まあぼくも蟒蛇ですから」

「おっいうねーニーチャン!じゃあ今夜はとことん付き合ってもらおうじゃないかあっはっはっはっは!!」


笑いすぎて後ろに倒れる店主。ゴンと鈍い音がしたがまだ楽しそうだ。トルツァはそれでも上機嫌で騒いでる酒屋の店主から目をそらし、苦々しい表情で店主を見守る青年に言葉をむけた。


「ねえザスルさん、あなたはトンボを連れたオカマをご存じないですか?」


よもや話しかけられると思っていなかった青年は、少し驚いた風にトルツァの方を見ると、少し嬉しそうな表情で口を開いた。


「おかまって、さっき旅人さんが言ってた探し人だよね。 トンボを連れているってことは、その人も研究者?」


「まあ、そんなところですかね」


青年の言葉に、今度はトルツァが苦々しい表情になる。


「研究者ねえ、さっき親父も言ってたけど、僕も研究者なんて本当にいるとおもってなかったから。もしこの街にきてたら、今回みたいに大騒ぎになるはずだよ」


またハズレ、青年の言葉を聞いて、トルツァは心の中で舌を打つ。探し始めてから大して経ったわけではないが、こうもハズレ続きだと嫌になる。

そもそも、「トンボに乗ったオカマ」その言葉を口にして各地を転々とする滑稽な自分にどうしようもなく腹が立つ。見つけたら絶対にはったおしてやる。トルツァは心の中に探し人の姿を浮かべると、苦々しい気持ちと一緒にグイと酒で流し込む。


「ところで旅人さん、結局のところ研究者って何なんだい?」


トルツァが一人で考えを巡らせていると、青年が少し興奮気味に聞いてきた。それは、トルツァが旅をしてきて毎度というほど聞かれてきたことだったので、トルツァは思わず心の中で苦笑する。しかしまあ青年から発された疑問は、至極最もなのである。伝説の存在“研究者”、森の覇者とまで言われる研究者だが、その実態はまったくと言っていいほど明るみにでていない。“研究者”が何をもってして“研究者”たり得るのか、どうやったら森に入ることができるのか。ゆかしく思うことは底を尽きない。研究者を目の前にした青年がそれをトルツァにぶつけるのは、当然のことだ。


「ザスルさんたちの街では、【森に踏み入ることの許された唯一の存在】と言われてるのでしたね。実際そのままなのですよ」


トルツァはいつものように答えた。それは青年が予想していた答えは大きくかけ離れていたようで、青年は少しも理解できないというふうに首をかしげる。構わずトルツァは続けた。


「“研究者”は森に入ることを許された存在。それだけです。ザスルさんは、研究者ではないヒトがどうして森に入ることができないか、ご存知ですか?」


予想外に向けられた旅人の質問に、青年は少し考える。


「森の瘴気で、入ったら死んでしまうから、じゃないのか?」


「大正解です。研究者でないヒトは森に入るとその空気にやられてしまいます。普通の人で一時間、強い人でも三時間はもたないでしょう」


旅人はどこか遠くを見つめて語る。青年は、旅人に与えられた情報を頭の中で反芻していた。

セントベルでも、これまで森に踏み入ったものはいたようだが、無事で帰って来たという話は聞かない。ほとんどの者はそのまま行方知らずとなり、奇跡的に生還した者も、数日経たずに土くれとなって死んでしまった。昔はそれでも好奇心とフラストレーションから森に入ってまう者は少なくなかったようだが、度重なる失敗の事例を聞かされている現代で、森に入ろうと考えるものはおらず、森に近づいただけで病気にかかるとまで言われている。


「簡単に言いますと、研究者はそれが平気なのです。森に入っても特に問題がありません。それが研究者たる所以です」


旅人の目が青年を捕らえる。森に入っても平気な存在。青年は頭を強く殴られたような、そんな衝撃を感じた。聞いてはいけないことを聞いてしまった。罪悪感とも背徳感とも言い難い感情に、身体は支配されていた。


「でも、何かしら修行とか、勉強とか、」


「いいえ、全く必要ありません。森に入って無事ならば、研究者ですから」


「でも、その蛇とか」


「森に入れたならばわかります」


「じゃあ、この街にも、」


「研究者となり得る方はいらっしゃるかもしれませんね。森に入って無事であれば研究者ですから。もしかしたらザスルさん、あなたが研究者である可能性もあるかもしれません」


ごくり。青年は口の中に溜まった唾を飲み込む。森に入って無事ならば伝説の存在。方法は、森に入ってみるだけ。もしかしたら自分も、青年の中で良くない考えと理性とが、ぐるぐると回る。


「でも、お勧めはしません。それで試したヒトの中に、無事だった人はいませんから。酒屋の店主、親父さんが悲しむだけです」


どれほどの間考えていたのだろうか、青年の考えをプツリと断ち切るように、トルツァはいった。

いったい俺は今何を…?青年は今しがた自分が考え付いた物騒な計画に身を凍らせた。持っていた葡萄酒をぐいと流し込む。旅人は別の人に話しかけられ、そちらに向かってしまった。少しだけ酔いが回った身体に、祭りの喧騒をどこか遠くに感じる。


街の人々に混ざって会話する旅人。旅人も周りの者たちも、とても楽しそうに談笑している。姿かたちは変わらないのに、森に入っても平気でいられる、“研究者”の存在。街の人の中には、悪い瘴気を振り払うことのできる、神のような凄い人とまで言っている人もいるが、果たして本当にそうなのだろうか。森に認められる。それは、悪を振り払うというよりかは、むしろ逆なのではないのか。街にすっかり溶け込む旅人。しかし旅人と密謀を果たしてしまった青年には、どうしてだかその存在が、どこか異様なものに見えてしまった。


祭りの喧騒はまだまだ続く―――。

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