case5. 摘ままれた花弁/SCP-1990-JP


「あら、あなた研修生?」

「はっ、はい!」


 エレベーターに乗り込んできた女性研究員にそう問われ、僕は頷いた。

 しかし挨拶をしようと思ったものの、彼女のIDが見当たらない。

 何と名前を呼んでいいかわからないまま、とりあえず「おはようございます」と言うと彼女は「お疲れ様」と返してくれた。

 白衣を着ているので研究員だとは思う。

 けど、普通なら職員は皆見えるところにIDをつけるはずだ。

 僕の胸には「TRAINING」というIDが引っ掛けてあるのだが、彼女のIDはやはり見当たらない。職員レベルが1とか2だったらいいけど、3や4だったら(つまり偉い職員だったら)どうしよう……と緊張する。

 エレベーターのドアが閉まると、彼女は行き先のボタンを押した。

 僕より先に下りる階だった。


「入団してから何日目?」

「えっと、……まだ6日です」 

「そう。っていうことはまだ可愛いオブジェクトしか見れてないでしょう?」

「かっ、かわ……?」

「来週からはゾッとするようなのも見れるはず」


 そう言われて〝比較的安全なオブジェクト〟のことを可愛いと言っているのだと理解した。

 オブジェクトのことを可愛いなんて言えるってことは、きっとベテラン研究員に違いない。

 ますます緊張する僕をよそに、彼女はクスクスと笑っている。


「そう身構えることないわよ。研修生はそこまで危ないものはどうせ見られないし、まだ所属部門だって決まってないんでしょ?」

「は、はい……」

 身構えているのは彼女に対してなのだが、それには感付かれていないらしい。

「あ、あの」

「?」

「……博士の部門は、どちらなんですか?」


 そう尋ねると、彼女はニッと意味深に口角を上げた。

 試されているようなその視線に心拍数は上がり、冷や汗が出てくる。


「博士に見えた?」

「ス、スミマセン! IDをお見受け出来なかったもので……!」

「やだなあ、そんなビクビクしなくたって大丈夫よ!」


 アハハハという耳に心地いい笑い声がエレベーター内に響く。

 彼女におどかされただけだということに気付くまで、僕は唖然としたままだった。

 2人きりのエレベーターはゆっくりと階を上がっていく。


「意地悪してごめんなさいね。新人職員なんて久し振りで」

「え、滅多に来ないんですか?」

「ううん、不定期だけどポツポツ来るわよ。ただ、今回みたいな新人研修なんていうイベントは初めてのことだから」

「そうなんですか……」


 指導員からはそこまで話されてなかったような……と考えを巡らせた。

 説明会の聞き漏らしはなかったはず……でも、もしかしたら……と、そう不安になってきたところで彼女がこちらの顔を覗き込んでいることに気が付いた。


「!?」

「私、ドクターに見えた?」

「え、えっと……」


 彼女の明るい色の長い髪が揺れ、ほのかな香水が鼻をくすぐる。

 それでもまだ彼女のIDは見当たらず、どこの部門のどのレベルの職員なのかはわからなかった。


「ま、普通白衣を着てたら守衛やエージェントには見えないものね」

「は……はい」

「といっても施設内は白衣だらけだけど」


 彼女はまたクスクスと笑ったが、結局彼女が何者かというところはうやむやにされてしまった。

 入団してからまだ6日しか経っていないが、彼女のようなタイプの職員は見たことがない。

 職員の大半は暗いか、真面目か、変人かだと思っていた。


「あれ?」

「?」


 エレベーターがそろそろ止まるという時、彼女の肩に何かがついているのが目についた。

 肩にかかっている彼女の長い髪に、花弁(はなびら)らしきものがついている。


「あの、それ……」

「? ……あぁ、コレね」


 僕が取ってあげた方がよかったかなとも思ったけど、手を伸ばす前に彼女が花弁を摘まみ上げた。

 彼女の白く長い指が、青く美しい花弁を支える。


「見つけてくれてありがとう」

「それ、何の花なんですか?」

「さあ、……何でしょう?」


 花弁を掲げて問題です、と見せられたタイミングでエレベーターは止まった。

 ドアが開くと彼女はちっとも待たずに出て行ってしまう。


「え、えっと……!」

「フフフ、すぐわかるわよ」

「?」


 僕が答えを出す前に彼女は花弁をポケットにしまい、ヒールを鳴らして歩みを進める。

 マイペースな人なんだなぁと息をついていると、彼女はこちらへ振り返った。

 そして最後に一言、こう言った。


「███」

「……え?」

「私の名前」


 開くボタンを押し忘れていたドアはゆっくりと閉まり、その隙間からはまた意味深に微笑む彼女の顔が見えた。



× × ×



 エレベーターを降りて次の集合場所に着き、時間になると僕等研修生はあるオブジェクトの収容室へと向かった。

 今回のオブジェクトは生き物の形をしているらしく、オブジェクトクラスは「Safe」。

 しかし〝絶対に手を触れてはいけない〟ということを厳重に注意されているから、「安全」とは程遠いオブジェクトなんだなと辟易した。


「これがSCP-1990-JPだ。どんなことがあっても触れない方が君達の身の為だし、このオブジェクトに接触した人物と会話することもオススメしない」

「どうしてですか?」

「君達の研修が一時中止になるからな」

「……」


 他の研修生と指導員がそう話しているのを聞きながら、僕は息をのんだ。

 僕等のいるSCP-1990-JPの収容室内には大きな鉢があり、その中にはバラが咲いている。

 このバラこそがSCP-1990-JPなんだということは十分にわかっていた。

 でも、このバラは青かった。


「……あ、あの」

「どうかしたか?」

「このバラにはどんな異常性があるんですか?」

「……君達の資料にもある通りだ」


 指導員の言葉に研修生が皆一斉に紙をめくり、音がいくつも重なった。


「簡単に言えば、SCP-1990-JPに接触した人物は消失する。私達の記憶からも財団の人事ファイルからも、目の前にいても消えるが、その人物の存在がこの世から消えるということではない。彼もしくは彼女は財団職員になる前職の人間となり、財団で過ごした日々を夢だと認識する」

「タイムリープ……ではないんですよね?」


 指導員の近くにいる女性研修生が尋ねると、指導員は大きく頷いた。


「もちろんだ。過去に戻るということではなく、過去が変わる。そしてその人物の職業が幼い頃より夢だったものに変わったことにより、周辺の人間関係や記憶、事実関係も改変される。だが、完全に消失されるものも確認されている」

「何ですか? 財産とか?」


 その質問には首を横に振り、指導員は声を低くして答える。


「SCP-1990-JPと接触前にその人物が子供を授かっていた場合、その子供は消失する」


 その言葉に全員が息をのんだ音が聞こえた。

 その他の詳しいことは資料を見るようにと指導員は言ったけど、僕は呆然とSCP-1990-JPを眺めることしか出来なかった。

 血の気が引いて、足が冷たくなっていく。

 まさか、まさかと思う僕の目はSCP-1990-JPに釘付けになった。

 僕の様子がおかしいのは見て分かったのだろう。

 指導員が固まる僕に気付き、「どうかしたか?」と声をかけてくれた。


「あの、こんなこと言うのも変かもしれませんけど……███さんという人は、知っていますか?」

「……いや、記憶にないが」

「このバラ……、足りませんよね?」

「……おい、まさか」


 僕の言葉を察した指導員は鉢に植えられた青いバラを今一度確認した。

 よく見てみるとわかることだけど、パッと見ではわからない。

 SCP-1990-JPの花弁は不揃いだった。

 まるで花弁を一枚取られてしまったかのように。


「どういうことだ? まさか、このオブジェクトに触れた者がいたということか……?」

「……指導員が覚えてないということは、恐らく」


 彼女はこのバラに触れたんだと思います。




 その後、僕がエレベーターで会話した███さんのファイルを探したけど財団内のどこにも見当たらず、彼女のSCP-1990-JPへの接触が正式に認められた。

 そしてSCP-1990-JPの異常性を受けた彼女と会話をしてしまった僕には記憶処理が行われ、その後様々な検査が行われてから新人職員として何とか復帰。

 どうして彼女がSCP-1990-JPに自ら接触したのかは誰にもわからなかったけど、財団調査の結果、彼女は今地元で花屋を開いているそうだ。

 調査によると、彼女は『自分の花屋を持つ』という夢を叶えたらしい。

 まぁそんなことも彼女のことも、今の僕はさっぱり覚えていないんだけど……。



[CREDIT]

SCP-1990-JP「幸せのバラ」©AMADAI

http://ja.scp-wiki.net/scp-1990-jp

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