第9話 新米僧侶の特別な薬草


 夜の微妙な時間に目が覚めて、リオネルの素顔を見てしまったり、落ち込んだり、自分が持っているらしい力について少しだけ分かったりして、ちょっとした興奮状態にあったようだ。

 暫くリオネルと話した後は風呂に入り、寝直そうとしたがやはり眠れなかった。……昼から夜まで爆睡していたせいかもしれないけど。


 しかし明日は虎の半刻、つまり朝五時に起きなくてはいけない。早く寝て、早く起きなければならないのだ。

 そこで考えた。私に言葉の魔法があるならば、自分にも効果があるはずである。直ぐに寝付くことと、明日の起きる時間を自分に言い聞かせればその通りになるのではないかと。



「……虎の、半刻だ……」



 目が覚めて時計を見れば、虎の絵と真下を刺す刻針が目に入った。寝る前に宣言した時刻通りである。言葉の魔法があれば目覚まし要らずであるようだ。


(この使い方は少し間違ってる気もするけどね)


 しかしこの時間に目が覚めなければいけない理由がある。村人たちが早くから祈りに来るのだから、この教会の僧侶である私は彼らのために動くべきだろう。

 昨日より一時間早く目を覚まして部屋を出たのだが、昨日と同じ廊下の曲がり角で黒い鎧と出くわした。……なんとか今日は声を出さずにすんだものの、肩は思いっきり跳ね上がった。


 昨日の夜は素顔を晒していたが、今はまた顔の見えない全身鎧姿である。これを見ていると、昨日の出来事は夢か何かだったのではないかと思わないでもない。寝すぎて寝ぼけていたとかそういう。



「お、おはようございます。あの……早いですね」


「おはようございます。……マコト様が昨夜、半刻早く起きるとおっしゃっていましたので、護衛である私もそうするべきだと」



 名前で呼ばれた。うむ、あれは夢ではなかったらしい。話す時に妙に間が空かないし、声も前よりハッキリとしている。

 私が魔法の制限で漏らしてしまった本音、そのたった一言でここまで変わるというのは不思議なものだ。それだけ彼の琴線に触れる言葉であったという事だろうが……一度、ちゃんと褒めるべきだろうか。

 勝手に漏れた言葉なので、本当にあんな言葉で良かったのかという思いが自分の中にあるのだ。しかし、本気で褒めたら褒めたで、大変な効果が出てしまいそうだしそれも躊躇われる。このジレンマは、解消しようとせず抱えておくべきなのかもしれない。


 そんなことを考えながら礼拝堂へ赴き、昨日と同じく鍵を開ける。続いて扉を開いたら村長のオルロがちょうど歩いてくるのが見えた。よかった、タイミングは完璧であったらしい。



「おはようございます、オルロさん」


「おはようございます、僧侶さま。今日もはやる気持ちを抑えられず来てしまいましたが……ありがとうございます。わたし共のために早く開けてくださったのですね」


「いえ、私は僧侶ですから。皆さんのお気持ちにはお応えしたいと」



 私自身にこの世界の神に対する信仰心はない。それでも、その神を信じる彼らの気持ちは大事にしたい。……神に真摯な彼らを近くで見ているうちに、私の中にも似たような気持ちが生まれたら、いいな。


 静かに祈るオルロの姿を眺めながら思う。彼らは生活の中で神からの恩恵をよく感じているのだろうか。感じられる生活なのだろうか。そうであるなら少し羨ましい。

 日本では「自分は無宗教」と思っている人が増えており、修行をする僧ですら悟りを得る者がいない。仏教の考えではこれを末法まっぽうといい、いわば仏教的世紀末時代であった。

 それは神仏の存在を感じることがないからではないかと、そう思う。科学の発展とともに、神も仏も、妖怪なんて怪奇な存在も、希薄になっていったから。宗教は現代の人々にとって、もう身近とは呼べないものなのだ。殆どの僧侶も、本物の信心をもっているかどうかは怪しいものである。たまに、欲におぼれてお縄になっているニュースを見ることもあったくらいだし。



「僧侶さま、畑のことで何か分からないことはございませんでしたか?」



 オルロが祈りを終えてこちらにやってきた。まだ彼以外の参拝者は居ないので、軽く話しても良いと判断したのだろう。



「今のところは。まだ種を蒔いたばかりですから」


「そうでございますか。本当に、何かありましたらいつでも頼ってくださいませ。僧侶さまの畑なら、さぞ大地の神さまのお力添えがあるでしょう。どのように立派な畑になるのかと、今から楽しみで」



 なるほど。たしかに、畑と向き合っていれば大地の神というものの存在を感じられるのかもしれない。この村の人々は一家に一台ならぬ、一家に一畑。大小の違いはあれど必ず畑を持っている。植物の生長を見ていると、元の世界とは違う不思議な力を見ることができるのだろうか。


(まあでも、普通に植物が育つことを大地の神のご利益だと思ってるのかもしれない。水と太陽と空気、あとは土の栄養で植物が育つ、なんて考えはなさそう。全ての現象は神の力によるものだって、ここの人たちは思っている)


 火も、水も、風も、土も、空も、全てに神がいる。八百万の神が存在するという、日本に昔からある土着宗教の考え方。この世界の宗教観はそれに似ている。

 そして魔法がある分、元の世界よりも人ではない何かがいるのではないかと思わせてくれる。ここで暮らしていれば、私もいつか神の恩恵に深く感謝できる日が来るのかもしれない。そう、遠くないうちに。


 今日のオルロは軽く話をしたら直ぐ帰っていった。そしてその後やってきた人々には、昨日よりも話しかけられることとなった。女性の割合がやや高かったものの、老若男女問わず実にさまざまな人たちが私にむかって一言声をかけてから、堂を去って行く。皆の明るく元気そうな表情を見ていると、私も元気を貰えそうだ。


(健康観察みたいな役割もあるんだろうな。礼拝を見守るって仕事は)


 村人全員が朝の同じ時間帯に必ずやってくる。顔色を見てどこか悪そうなら話を聞き、症状にあった薬を渡し、そもそも来ない人間がいれば自宅を訪ねて様子を見に行く。そういう事が出来るよう、この世界の僧侶は必ず地域住民全員の祈りを見届けなければならないのだ。

 今日は誰も問題なさそうだった。オルロの話もあったことだし、まずは畑の薬草に水やりでもしに行こう。


 そんな訳で、畑にやってきたのだが。目の前の光景がなんというか、予想外過ぎて現実を受け入れられないというか。



「なにこれ……」


「……マコトさまが昨日、種を撒いた薬草ですね」



 私の呟きに以前ならなかったであろう返事があった。それは喜ばしいことであるが、今はそれどころではない。

 この畑は教会の真裏にある。教会は村の最奥に位置し、畑の奥には森が広がっていて、この畑は村人たちからは見えない。見えなくてよかった。

 何故か昨日撒いたばかりの種が芽を出すどころではない成長を遂げ、青々と茂りながら私の腰の高さまで伸びている。そもそもこれらの薬草はそこまで背の高いものではなくて、伸びたとしてもせいぜい膝丈程にしかならないはずであり、というかその高さになる前に収穫するものである。理由は、栽培に時間を要する植物であり、薬が必要になる度収穫していたら育ちきることがないから、だったはず。



「……はは……なにこれ……」


「……薬草かと」



 許容オーバーで乾いた笑いを零しているだけなのにリオネルは律儀に返事をくれる。本当に真面目な人だ。



「……リオネルさん、薬草って一日で育つ物でしたっけ。私の記憶では結構、時間がかかるものだと習った気がしたんですけど」


「ええ、おっしゃるとおり薬草は時間のかかる植物です。これは……昨日貴方さまが、変わった水を与えていたから……ではないでしょうか。……おそらく……きっと……」



 顔が見えないリオネルだが、彼も困惑しているらしい。そのような雰囲気が見てとれる、というか言葉に表れている。



「あの水の枯れない水差しは、一体何だったのですか?」


「あれはですね……」



 私の魔力を水に変え、そして薬草に与えていたことを説明する。ついでに大きくなれやら美味しくなれやら口にしていたことも影響があるかもしれない。とそう話している間、鎧でまったく見えないはずの目がどこか遠いところを見ているように思えたのは、気のせいだろうか。

 昨日の夜から彼の態度が軟化してからというもの、見えないはずの表情がなんとなく分かるようになった。予想できる、というべきか。素顔を見て、どのような表情をするのか知ったからかもしれない。



「……昨日、貴方さまが起きてこられなかった理由が分かりました。水の神に魔力を捧げ、神の力が篭った水を得て、その後大地の神に魔力を捧げながらずっとこの畑を回っていたと……それだけ消耗していれば、回復のために眠るのは必然かと」



 この世界の魔法は、特別な道具を介して神に魔力を奉納することで起こるものであるという。聖女の場合は神によって異世界からつれてこられたせいか、そういった道具を頼らなくても神に魔力を捧げられたらしい。ある者は舞で、ある者は刺繍をすることで――私は、言葉にすることで。


(……神様ってとんでもないな……)


 私も神の恩恵に感謝が云々と考えてから一刻も経過していない。一日でこんな現象が起こってしまうなら、神の起こした奇跡と言っていいだろう。こんなことが起こる世界で、神が居ないと言い切るほうが難しい。……認識を改めろと神自身から言われている気分だ。



「貴方さまの言葉は直接神に届いてしまうからこそ、それだけで魔法となるのですね」


「……私、迂闊に喋らない方がいいんじゃないかと思えてきました」


「……たしかに、そうかもしれません」



 言葉が魔法になる。命令形の言葉は確実に。リオネルへの影響を考えれば人へ送る賛辞や、おそらく悪言もそうだ。他にもあるかもしれない。


(……普通に話すのにも気を張らないといけない。慣れるまではかなり、疲れそうだ)


 僧侶というのは話す仕事でもある。私はこの村の人々に悩みがあれば、耳を傾けなければならない。真摯に彼らの気持ちを向き合い、相談に乗らなければならない。その時口にする言葉が、どのような影響を及ぼすのか……。何か対策を練らねばなるまい。



「マコトさま。筆談という方法もございます。そこまで気を落とさないでくださいませ」



 沈む私の空気を読み取ったリオネルが、元気付けるように言ってくれた。その言葉のおかげで思いついたことがある。パッと気分が明るくなった。



「リオネルさん、それです!筆談形式の相談コーナーを設ければいいんです!」


「……相談こぉなぁ……で、ございますか」


「はい。文字なら口にしにくいことも、書きやすいのではないでしょうか。いいアイディアだと思うんです」


「……良い、あいであ……」



 黒い鎧はゆったりと首を傾げていた。体は大きいのに動作がどことなく可愛い人である。そんな彼の様子から察すると、さすがに和製英語まではこの世界に伝わっていないらしい。

 それはともかく。目標ができたので、やる気は充分だ。そうとなったら今日の作業も頑張る気になれる。



「さて、まずは薬草を収穫しますか」


「……お手伝いいたします」



 昨日は見ていただけのリオネルも手伝ってくれるらしい。ありがたいことだ。

 薬草の収穫は、根元を残して葉や実を摘む。そうすればまた、生えてくるからだ。種から育つ時間を短縮できるという目的もある。……時間に関しては、いろいろとすっとばせる方法を見つけてしまったが。

 たった一日で大量の薬草が収穫できた。あとはこれらをそれぞれ干したり、水につけたり、適切な処理をして保存し、いつでも薬を作れるようにしておけばいい。


 さて、最後に水遣りの仕事が残っているわけだが。私の魔力を奉納して作る水を与えるのはまた午後から動けなくなる可能性があるから、やめておくとして。

 とりあえず一度、リオネルと二人で小川と畑を往復してみた。そっと鎧の方を見てみると、彼もこちらを見ている。多分、考えていることは同じである。


(これで畑全部に水を遣るのは時間がかかりすぎる)


 村人たちはどうやって畑に水を与えているのだろう。一度、どのようにしているのか見学させてもらうべきではないだろうか。



「マコトさま。他の方法を考えましょう」


「……そうですね。もういっそ、少しでいいからこの畑にだけザーッと雨が降ってくれればいいのに。なん……て……」



 突然日が陰り、足元が暗くなった。まさか、と空を見上げれば、晴天だったはずのそこに分厚い雲が存在している。次の瞬間、まさにザーっという音を立てて雨が降った。……畑にだけ。



「……ハハ……」



 今度は空の神かはたまた雨の神か分からないが、私の魔力が奉納されたらしい。ちょっとした願望を口にするのも発動条件であるようだ。

 神の姿は見えないが、その存在だけははっきりと見せつけられた気分だ。ここに居るぞ、お前の声は聞いているぞと、何かが囁いてくる気すら、してしまう。まるで脅迫でもされている気分だ。……感謝ではなく、恐怖もまた、信仰ではあるけれど。日本の神にもいくつか、恐怖によって祀られたものがあるくらいだし。



「貴方さまは本当に、とんでもない方ですね」



 小さく笑う音が聞こえて、鎧の顔を見上げた。見えないけれどきっと、翡翠の目をやわらかく細めて笑っているのだろう。


(……まあいいや。リオネルさん、楽しそうだし)


 初日のどんよりとした雰囲気は明るく変わり、うつむき加減で丸まり気味だった背筋はまっすぐに伸びて。私の補佐についたことを嘆いているようには、もう見えない。そうであってくれたなら、嬉しい。彼が現在を楽しめるならいい。私のせいで、自分の身を呪ってほしくはない。



「水遣り、毎日これでいいですかね?」


「村人に見つかると少々厄介なことになりますよ」



 冗談っぽく、笑いながら言ってみた。しかし彼は指を立てると唇があるであろう場所に当て、そう言った。知られない方がいい、ということだろう。

 リオネルは真面目な性格だ。断られるだろうと思っていたし、私も本気ではなかったので「そうですよね」と返そうとしたのだが。



「人が居ない時間帯にいたしましょう。それなら、問題ないかと」



 ただ真面目で頭が固いという訳ではないようだ。ウインクでもしていそうな、明るい声でそう続けられた。……意外にも、彼には茶目っ気があるらしい。


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