第6話 新米僧侶の小さな薬草畑



 カーテンの隙間から光が差し込んでいる。さっき眠ったような気がするがもう朝だ。この世界の太陽も元の世界と同じく暖かく明るい光をもたらしてくれる存在だが、寝不足の目には少々刺激が強い光である。

 さて、昨日はちょっとした問題が発生し私はこれから女であることを隠して生きていくことを決めた。私がこちらの生活に慣れ、リオネルが補佐を外れるまでは絶対に隠さなければならない。絶対にだ。

 そのようなことを考えていたら中々寝付けず、睡眠時間が短めとなってしまったが起きなければならない。


 体を起こし、支給された魔法仕掛けの時計を見る。そこには虎の絵が浮かんでおり、秒針ならぬ刻針と呼ぶべき針が11時と12時の間くらいの方向を指していた。

 この世界の時間は十二種類の動物に例えられ、一日は十二こくである。昔の日本のような十二時辰の方式、といえば分かりやすいだろうか。

 動物も日本の十二支とほぼ変わらないので、これもおそらく過去の聖女の影響なのだろう。体感だが一日の時間は元の世界とそう変わらず、一刻が二時間くらい。十二刻で二十四時間くらいだ。


 この時計は今何の動物の刻であるのかを絵で表し、針は一刻で一周するようになっている。つまり現在の時間は、元の世界に換算すると午前5時50分という所か。とりあえずちゃんといつもどおり目が覚めてよかった。


 朝の礼拝の時間というものがこの世界には存在する。村人たちのために礼拝堂の鍵を開け、そして彼らが祈る姿を見届ける。それが私にとってこの世界の僧侶としての、初めての仕事だ。遅れるわけにはいかない。

 幸い寝起きは良い方だ。すばやく身なりを整え僧衣を纏い、いざ礼拝堂へ。と意気込んで廊下を突き進んでいたら音もなく黒い鎧がぬっと曲がり角から現れて、軽く悲鳴を上げそうになった。

 ……女らしい悲鳴は出さなかったものの「ングッ」とかいう変な声は出してしまい、表情の見えない鎧から微妙な視線を向けられている気がする。



「おはようございます、リオネルさん!」


「……おはようございます」



 誤魔化すように笑顔で明るく挨拶をしてみたが、効果はなさそうだ。だが、問題ない。私はこの人に女であると知られなければそれでいい。……何故だろう。なんだか悲しくなってきたな。

 まあとにかく。気持ちを切り替えて、礼拝堂へ向かう。直ぐに内側から鍵を開け、扉を開けば既に数人の村人が待っていたので驚いた。


 虎の刻が終わる前に動き出したので、今は四番目の動物である兎の刻になった頃だろう。元世界の感覚でいう朝六時過ぎくらいであるはず、なのだが。



「おはようございます、皆さんお早いですね……?」


「おはようございます、僧侶さま。いやぁ、礼拝堂で祈りを捧げられるのが嬉しくてたまらず、半刻前から来てしまいまして」



 半刻はおおよそ一時間である。ニコニコと笑う村長オルロとその他数名は、いそいそと私の横を通り過ぎて畳で出来た椅子に腰掛け、早速祈りを捧げ始めた。うむ、私はこの世界の信仰心をあなどっていたようだ。明日は今日より一時間ほど早く開けるとしよう。……起きられるかどうかが問題だけど。


 その後、村人たちが次々にやってきては礼拝して笑顔で帰っていくのを見守った。ただ見守っているだけだが、何か作業が出来るわけでもないのでかなり暇……いや、なんでもない。これは仕事だ、大事な仕事なのだ。ただ突っ立ってるだけでも仕事は仕事、しっかりやらなければ。

 そうして過ごしたのは時間にして一時間くらいだろうか。一番最後にやってきた青年が祈り終わって堂を出て行った後、「これで村人は全員です」と、最初にやってきて最後まで残っていたオルロが教えてくれた。彼はどうやらまだ私に用事があるらしく、祈りを捧げ終わった後も私の傍の椅子に座って全員の祈りが終わるのを待っていたのだ。

 そのおかげだろうか。私に話しかけたそうにしていた若い女の子たちは、私の仕事が終わるのを静かに待っている村長を見て名残惜しそうに堂を出て行った。……私としては、とてもありがたかった。男のように振る舞うと決めたけれど、恋愛対象が同性になったわけではないのだ。



「僧侶さま、裏の畑はごらんになりましたか?」


「畑、ですか?」



 てっきり何かの相談があるのかと思っていたので、予想外の話に軽く目を瞬かせてしまう。人々の悩みを聞き、相談に乗るのも僧侶の仕事の一つなのだが。今回はそういう話ではなかったらしい。



「ええ、僧侶さまが来られるということで、わたしどもで綺麗に整えておきました。僧侶さまには畑が必要なのでしょう?どうぞお使いください」



 昨日は引越し作業に忙しくて教会の裏にあるという畑の存在にはまったく気づかなかった。

 たしかに、私は少しの薬草と大量の薬草の種を支給されている。自分で育てた薬草で薬を作ると、品質が高いものが出来やすいらしい。育てている間に当人の魔力が薬草に伝えられるからだとかなんとか講義でも聞いた。

 まだどこで育てるか決まっていなかったので大量の種は仕事部屋に箱のまま放置してあるが、私のために畑を用意してくれていたようだ。それならば有り難く使わせていただくとしよう。



「ありがとうございます、オルロさん。早速今日から使わせていただきますね」


「いえいえ、畑について何かありましたらまたいつでもお声かけください」



 最後の一人であるオルロが教会を出ていくのを見送って、私はさっそく仕事に取り掛かることにした。といっても畑いじりである。できれば動きやすい格好になりたい。

 終始無言で三歩ほど後ろについてきている護衛を振り返り、笑顔で質問してみる。昨夜、色々あってできなかった質問だ。



「リオネルさん、寝巻きとして支給された格好で外に出てもいいでしょうか?」


「…………それはおやめになった方がよろしいかと」



 いつもより答えるまでの間が長かった。なんというか、こいつ頭大丈夫か?というような空気を薄らと感じた。驚くほど常識はずれだったのだろう。すっぱり諦めて僧衣のまま畑仕事をすることにした。たすきがけで衣の袖を縛ってしまえばそう邪魔にはならないはずだ。

 まず、畑の様子を見に行く。家庭菜園が行えるくらいの小さな畑だ。しっかり耕され、雑草一つとして生えていない。村人たちの好意に感謝である。



「これなら、今日は種を蒔くくらいでよさそうですね」



 そうですね、と短い相槌くらい返してくれないものかと期待したが、明確に話しかけられていないと中々返事をしてくれないのが我が補佐役の鎧騎士だ。結局独り言になってしまって少し悲しい。

 コミュニケーションって難しいと思う、今日この頃である。


 嘆いても仕方ないのでやることをやってしまうとしよう。まずは仕事部屋に行き、薬草の種の確認と、名前のプレート作成だ。といっても種を蒔く十種類の薬草の名前を木の板に書くだけなので直ぐ終わる。しかし何処に何を植えたか分からなくならないようにするためにも、これは外せない大事な工程である。

 決して生えてきた薬草を見てもどれがどの薬草か判断する自信がないとかそういう訳ではない。……そういう訳ではない。


 その後はすぐに畑に戻り、薬草名の書かれた木の板を適当な位置に差して、その名前の場所に種を蒔く。あとは水を与えれば今日の畑仕事は終了だ。

 これならお昼前には終わってしまうだろう。午後は復習を兼ねて薬を作る時間にしようかなぁ。



(……って思ったけど……結構な、重労働だ)


 この世界には蛇口を捻るだけで水が出てくる水道も、水道口に繋げるだけで遠くに水を撒けるホースもない。畑に使う水は飲み水に使われる井戸水ではなく、村の外れを流れる小川から運んでくるものであるらしく。私のひ弱な筋肉は一往復ですでに悲鳴を上げている。だがジョウロ一杯分の水では畑の極一部にしか潤いを与えられていない。


(男にしては非力すぎる、とか思われそう。何かほかに方法を考えなきゃ)


 空っぽになったジョウロを見つめながら、ふと思いついた。薬を作る際に学んだことだ。

 容器には魔力を溜めることができる。僧侶が薬を作るときは試験管の様な筒に魔力をため、それを使って薬草を様々な魔法薬に作り変えるのだ。


(魔法なんだから、魔力が水になるくらい……できたっていいと思う)


 頭の中にあるのは、ファンタジー漫画で見たような水を使う魔法使いのイメージだ。出来なかったらあきらめてちまちまと小川と畑を往復するしかない。うむ、これは無理だ。成功することを祈ろう。

 ジョウロの中に自分の魔力を注ぎ、留める。目視できるわけじゃないが、そこに何らかの力が溜まっていくのは感覚で分かる。とりあえず、ジョウロの半分くらいの魔力で試してみるとする。……無駄になったらもったいない。魔力を使うのは慣れていないとそれなりに疲れるのだから。



「水になれ……水になれ……」



 小声で、しかし真剣に心を込めて呟く。するとみるみるうちに、水が底から湧き出るようにジョウロの中で溜まっていくではないか。その水は容器の半分の量まで増えると止まったが、これはつまり魔力が水に変換されたということであろう。


(良かった!これならいける!)


 しかも水とは思えないくらいにジョウロが軽い。魔力から作られた水は軽いんだな、と鼻歌混じりに水やりを再開する。ついでに「大きくなあれ」やら「美味しくなあれ」やらご機嫌のまま口走り、そのままのテンションで畑の全てを潤わせた頃。

 ふと、気づく。まったく喋らず、その上微動だにせず突っ立っていたのでカカシのようなものとして認識の外にあったのだが、少しはなれたところで護衛の任務についている鎧がずっと私の奇行を見ていたことに。


 あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい、いや穴を掘って潜りたい気持ちになった。誤魔化すように咳払いをしたものの、誤魔化せる要素など何一つとしてなかったのである。



「あーと、えー……そろそろお昼ごはんの時間ですね!」



 表情が見えない彼は、何を考えているのかまったく分からない。特に喋りもせず、何の動作もなくじっと見られているだけの時は。内心冷や汗をかいているのだが、とりあえずニコニコと笑っておく。完全な愛想笑いである。

 暫く無言の時が流れ、なんとなく胃が痛いような気がしてきた時。ようやく鎧から声が発せられた。



「…………昼食は、何にいたしますか」



 その言葉にほっとした。呆れたり呆れたり呆れたりしていたかもしれないが、特になにも突っ込まれなくて本当によかった。

 補佐役として来ている彼は、私の身の回りの世話も任されているらしい。食事も作ってくれるので、大変助かっている。何せ、この世界の食材は元の世界と違うのだ。正直扱いがよく分からない。

 動物も良く似ているし同じ名称の物もいるのだが、まったく同じではないらしいし。というか、動物ではなく魔獣であるという。見たことがないので正直よく分からない。

 とにかくリオネルがいつもどおり昼食を用意してくれるらしいので、私は軽くリクエストをする。



「あ、はい。えっと……おなかがすいたので、沢山たべられるものがいいです。あと、お肉があると嬉しいです」


「……承りました。では、戻りましょう」



 僧侶なのに獣肉を食べるのかと思われるかもしれないが、この世界でも僧侶の肉食は禁止されていない。むしろ、魔獣を減らす目的もあって肉食が推奨されている。

 この村でも当然、肉食用として魔獣が狩られている。村を囲う森の奥へと進めば魔獣や魔物がウロウロしており、危険もあるので私のように戦う力のない者は近づいてはいけない。


(いまのところ、すごく平和なんだけど……聖女を呼ぶくらいには、魔物が増えてて危ないってことだ。私も気をつけよう)


 護衛としてのリオネルが活躍するような場面は訪れないのが一番いい。そう思う。



 しかし、世の中はそんなに甘くはないのである。




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