第一章 よもぎと鷹助2

 風が吹き青々とした枝が揺れた。木々がお堂を取り囲むかのように生えている。

 お堂の近くに井戸が一つあった。井戸の側でよもぎが足軽たちの体を拭いた手ぬぐいを洗っていた。

 よもぎは怪我人たちの手当てを終え、井戸で桶と手拭いの後片付けをしていた。すぐ後ろの木に鷹助がもたれかかるようにして座り込んでいた。よもぎは洗い物の手を止めて後ろを振り返った。

 「さっきはありがとう」

 よもぎは鷹助にお堂の一件へのお礼を言った。鷹助は頭を掻き「ん?」と声を出し考え込んだ。しばらくすると声を上げた。

 「ああ…もしかしてあれの事か。お堂での頭の奴。本音を言うと俺も大将には手焼いているしな。」

 心当たりに辿り着いたようだ。その様子を見てよもぎは思わずくすりと笑った。

 「だけどいいか…。」

 今度はいきなり鷹助が真剣な顔つきとなり声を小さくなった。内緒話をするように口元を掌で隠した。よもぎは思わずつれられて身を屈め鷹助に近づいた。

 「俺、本人の前じゃ、ぺこぺこしてんだからな。このこと誰にも言うなよ」

 「もちろん。」

 よもぎは苦笑した。

 「それにしても…」

 鷹助がとぼけた顔をした。

 「山に見張りが置けなくて山の泉が使えないのはどうしてなんだ?」

 「………」

 鷹助が深見山を指さす。

 「見張りは大事だろ。あの山には大きな泉があるとか聞いたんだけど。泉の水は汲んじゃいけないの?戦だと水の確保はかかせないんだけど。」

 「………」

 よもぎは答えるかどうか迷った。さっきは助けてもらったけれど、あの泉のことを気安くしゃべったりしていいのか。そう感じた。しかし相手が質問してるのに黙ったままにする訳にはいかない。思い切って口を開くことにした。

 「あの泉は…」

 「あの泉には大蛇が棲んでいる。」

 彼女の声が第三者にかき消された。よもぎたちは驚いて声のする方向―井戸の向こう側に顔を向けた。

 「あれは深見大蛇の棲み処なのである。」

  庄屋の徳左衛門が立っていた。横にはたえがいる。

 「深見大蛇?」

 鷹助は背もたれにしている木からゆっくりと立ち上がり不思議そうな顔をする。

 「そう。あの山には清らかな泉がある。飲み水として使いたいだろうが、それはできない。泉、いや、あの山全体が深見大蛇の物といってもいい。大蛇は水を操り村に繁栄をもたらしてくれた。しかし…」

 「怒らせてしまえば災いが来る」

 たえが興奮しながら話し出した。

 「昔あったんだよ。村に大きな災いが。村が大火事で焼かれたんだよ。」

 「火事?」

 「そうだよ。もう焼け焦げになっちゃって。たくさんの人が死んだんだ。私の弟も助からなかったんだよ。あれは大蛇の怒りを買ったからなんだ。」

 風が吹き木の枝がよもぎたちを覆い隠そうとするかのように揺れた。大木の枝もたえの勢いを隠せなかった。

 「幼い子どもから年寄りまで男も女も火に包まれてさあ。思い出しても地獄だったんだよ。本物の地獄もあんな感じなのかね。皆命からがら逃げだそうとしたんだよ。」

 「たえ。もう、その辺にしときなさい。」

 徳左衛門は妻をなだめるも無駄だった。

 「あの後ね。皆で話し合って人身御供を立てることにしたんだよ。」

 「それが私の母さん…」

 小さな声でよもぎが付け加えた。

 「そんなことが…」

 鷹助は言葉に出せなかった。

 「あの時は、小夜さんのおかげで村は助かったよ。あれから大蛇が怒ることもなく…」

 「たえ」

 徳左衛門が声を張り上げた。口元にしわを寄せ眉尻を吊り上げた。よもぎは口を真一文字に閉じてうつむいたまま。

「いい加減にせんか。物心つかぬうちに母親を失ったんだぞ。それを小夜さんのおかげとは…」

 「でもね、あの時人身御供立てたから皆助かったんじゃないの」

 「もうそれ以上言うな。」

 口を尖らせるたえを徳左衛門が一喝した。そして、たえの腕を無理やり引っ張った。五、六歩進んだところで思い出したかのように首をくるりとよもぎへ向けた。

 「そうだった。よもぎ。松之介があんたを探しておったぞ。あと泉が使えない理由は今、万兵衛様に伝えてきた所だ。『大蛇などいるはずがない』とご立腹だったがな。」

 そう言い残すと妻を引っ張り立ち去った。その姿をよもぎと鷹助の二人で黙って見届けた。

 鷹助は気まずそうに口を開いた。

 「…なんか悪いな…。変なこと聞いて…」

 「いいの。別に何ともないから…」

 よもぎは無理やり笑顔を作って見せた。

 「皆の体を拭いたら次は包帯作りか…。忙しいんだな。」

 「まあね…。」

 

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