7:高校一年<17歳> 別れ

 体育祭以降、ナナのことを遠巻きに見ていた人たちの中から、果敢に話しかける人が出てくるようになった。

 自分から話さないが聞かれたことには答えるナナは、少し驚き、少し面倒臭そうにしながらも、好奇心で近付いてきたクラスメートからの問いに答えていく。

 ナナがクラスに馴染むまでそれほどの時間はかからないだろう。

 話してみればナナが怖い人ではないとすぐにわかるはずだ。それにあの風貌のクセに成績が良く足も速い。人気者になる資質はあったのだ。

 それはとても喜ばしいことだと思う。けれど私は苛立っていた。

 これまで無視を決め込んでいたクラスメートが掌を返すような態度を示すのが気に入らない。そんなクラスメートたちに囲まれてヘラヘラしているナナの顔も気に食わない。

 ふとナナと目が合う。するとナナが視線で何かを伝えてきた。

「これ、どうなってるんだよ。どうにかしてくれ」

 その瞳はそう言っているような気がした。私はフイとそっぽを向いてそれを無視した。

 そんな日が二週間ほど過ぎたある日、ナナが学校を休んだ。遅刻はしても毎日学校に出てくると約束をしていた。体調でも崩したのだろうかと心配になったがナナは携帯電話を持っていない。もしも休む日が続いたら『てんま園』に様子を見に行こうと思っていた。

 その翌日、昼過ぎにナナの姿を見た。背広の男性と並んで学校を去っていく。その男性が『てんま園』の塩原園長だということはすぐに分かった。ナナの足取りに変化は見られなかったが、塩原園長の足取りは重く見える。

 何が起こったのだろう。私は胸騒ぎを感じていた。

 そしてその日のSHRでナナが退学したことを知った。

「塩原さんは一身上の都合で学校を辞めることになった。残念だがやむを得ない事情があったようだから……」

 担任が心にもない言葉を紡ぎながらナナの退学を伝える。どうしてナナが辞めなければいけないのか私には理解できなかった。ナナが自ら辞めるなんて考えられない。そんなことを言い出せば塩原園長が全力で止めるだろう。

 ナナが辞めなければいけない理由なんてひとつもないはずだ。確かに遅刻は多かったが最近は毎日学校に来ていた。だから出席日数も問題ないはずだ。そもそも出席日数が問題ならこんな中途半端な時期に辞めることになるはずがない。

 そんな私の疑問は放課後になるとすぐに解明した。どこから仕入れてきたのか、すでにナナが退学することになった事情が噂されていたからだ。それらの噂は聞こうとしなくても耳に入ってくる。

「塩原って、やっぱカンニングしてたらしいぞ」

「夜に繁華街で見かけたって聞いたよ」

「なんか、やばいバイトしてるのが見つかったらしいぜ」

「私、中学生を恐喝してたって聞いたよ」

 そして最後には「やっぱり、そういう人だったんだね」で締めくくられた。

 私は学校帰りに『てんま園』に寄った。

 玄関をくぐると塩原園長が出迎えてくれた。

「ナナに会いに来てくれたのかい? ナナは部屋にいるよ。案内しようか?」

 塩原園長は酷く疲れているように見えた。ナナのことがショックだったのかもしれない。

「いえ、わかるので大丈夫です」

 私は答えてナナの部屋に向かった。

 ドアをノックすると「どうぞー」とナナののんきな声が返ってくる。扉を開けて中を覗くと床にあぐらをかいて荷造りをしているナナの姿があった。

「何をしてるの?」

 ナナは手を止めて私の顔を見た。そして少し困ったような笑みを浮かべる。

「なんだ、もう知られたのか。悪かったな。セイラには色々してもらったのに」

「何をしてるの?」

「ん? ああ、ここを出て行くからさ、その準備」

「どうして……」

 私は言葉に詰まる。私はナナに何を言いたいのだろう。ナナに何を聞きたいのだろう。

「ちょっと、散歩でもするか?」

 ナナはそう言って立ち上がった。

 『てんま園』を出て、ナナの後ろを黙ってついて行く。少し歩いて私はようやく見付けた言葉をナナに投げかけた。

「どうして、ナナが辞めさせられるの?」

「聞いてないか? 自主退学。自分の意思で辞めるんだよ」

 ナナは足を止めることなく答える。

「辞めるつもりなんてなかったよね? この間まで勉強会してたじゃない。辞めるつもりなら勉強なんて必要ないでしょう?」

 ナナは参ったな、というように頭を掻いて私を見た。そして少し笑みを浮かべる。

「なんかアタシはいかがわしいバイトをしていたらしいんだ。あと、ガキを恐喝して金を巻き上げて、ああ、そうそう、テストの問題用紙を盗んだってのもあったな」

「そんなの全部根も葉もない噂じゃない」

「火のないところに煙は立たないっていうことわざがあるらしいぞ」

 ナナはケラケラと笑って自販機の前で足を止めた。ポケットから小銭を出してジュースを買う。そしてそれを私に差し出した。

「いつも紅茶飲んでたよな?」

 私はそれを黙って受け取った。

「いままでの礼はそれくらいしかできないけど勘弁してくれ」

 そう言うとナナも自分の飲み物を買って再び歩き出した。

 河川敷の小さな公園に着くと、ナナはベンチに座ってコーラの蓋を開けてひと口飲んだ。

「私がちゃんと先生たちに話すから」

「何を?」

「一緒に勉強してたから成績は不正じゃないって知ってる」

「けど問題を盗んでないって証明にはならないよ」

「バイト先だって知ってる」

「バイト上がりにいかがわしいことしてるかもしれないだろう?」

「ナナは恐喝なんてしない」

「セイラが信じてくれるならいいよ。それに今更何を言っても変わらないよ」

「どうして? そんなのやってみなくちゃ分からないでしょう」

「複数の投書が届いたんだってさ。真偽はともかく他の生徒に悪影響を及ぼすんだって。まあ、これまでの積み重ねってヤツだな。自業自得だよ」

 ナナは自嘲するように笑う。私は無力だった。何がいけなかったのだろう。

 ナナは遅刻や欠席が多かった。服装や髪型でも目立っていた。だけどきっとそれだけじゃない。

「ごめんなさい」

「なんでセイラが謝ってるんだよ」

「私のせいだ」

「何を言ってるんだ?」

 出る杭は打たれる。そんなことはずっとわかっていたはずだった。

 私自身はずっとそうして振舞ってきた。いい成績をとっても、クラス委員になっても、出る杭として扱われないように注意をしながら生きてきた。

 それなのにナナに関してはそんなことを全く考えなかった。

「一緒に勉強してたこと、隠さなければよかった」

「いや、それはアタシが頼んだことだろう」

「体育祭に出てなんて言わなければよかった」

「出るのが普通で別にセイラのせいじゃないだろう」

 違う。私のせいだ。ナナに苛立ったり、怒ったりしながら、一緒にいるのが楽しかった。それを誰かに知られたくなかった。ナナを独り占めしたかったのだ。

 それなのに体育祭ではナナを自慢したくなった。ナナを蔑む人たちにナナを見せつけたかった。すべては私のわがままだ。ナナと一緒にいられることに浮かれていた。

 ナナに苛立ち、憧れ、恋に落ちていた。

 ナナへの想いが恋だと自覚したとたん、私の目から涙がこぼれ落ちた。

「おい、どうしたんだよ、なんで泣くんだよ」

 ナナは私の顔を見てあたふたする。私はナナの手を握った。

「ナナ、私……。私ね……。ナナと、一緒に卒業したかった」

 好きだとは言えなかった。だってこの想いがナナを退学に追いやってしまったのだから。その代わり精一杯の気持ちをその言葉に込める。

「うん、ごめんな」

 ナナ静かにそう言うと私を抱き寄せた。私はナナの胸に中で泣いた。

 しばらくして私が泣き止むと、ナナはゆっくりと体を離した。体温が失われていく感覚が寂しい。

 私はそれをごまかすように涙を拭いて、ナナからもらった紅茶の蓋を開ける。そしてゴクゴクと勢いよく飲んだ。

「ねえ、お礼がこれ一本じゃ足りないんだけど」

 私はカラ元気を出して言う。ナナはホットしたように笑みを浮かべた。

「お、調子が戻ったか? んじゃ、礼って何がいいんだよ」

「私、誕生日八月だったんだよ。お祝いしてくれなかったよね」

「誕生日なんて聞いてないし」

「だから、次はちゃんとお祝いして」

「わかったよ」

「引越し先決まったの?」

「いや、これから」

「じゃあ、引越し先と仕事先が決まったら連絡して」

 私は自分の携帯番号とアドレスをメモしてナナに握らせた。

「ああ、わかった」

「絶対。約束だからね」

「わかったよ。約束だ」

「あとね」

「まだあるのかよ」

「あと一つだけ。一緒に写真撮ろう。私、ナナと一緒の写真一枚も持ってないもん」

「やだよ」

「お礼してくれるんでしょう!」

 写真を嫌がるナナの腕を引き、無理やり顔を寄せて携帯で写真を撮る。

 笑顔の私の横にそっぽを向いてむくれたナナの顔が写っていた。ナナらしい写真に思わず笑みが浮かぶ。

「何を笑ってるんだよ」

「ナナ横向いてるよ、撮り直す?」

「いやだ」

 それからナナは私を駅まで送ってくれた。

 別れ際、私はもう一度言う。

「引越し先、連絡してね」

「ああ、わかってる」

「約束だよ」

「そんなにしつこく言わなくても分かってるよ。約束は、守るもんだからな」

 ナナは面倒臭そうな顔で横を向いて言った。



 そして、その日ナナと駅で別れてから、ナナから連絡がくることはなかった。

 必ず約束を守るナナが、私との約束を破った。

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