その四

第2話 その四 1



「かーくん。この肉、もう煮えたよな? 食っていいよな?」

「ダメ! まだ早い! 兄ちゃん。さっきから、それしか言わないけど、子どもじゃないんだから、おとなしく待っててくんない?」

「目の前に肉があるんだぞ。待てるわけないだろ!」


 ああ……これが四捨五入すると三十のほうにくりあげられる男の言うことか。まったく、うちの兄は……。


 今夜の夕食はすき焼き。

 焼肉ほどではないまでも、なかなかのバトルがくりひろげられるメニューだ。食事前から猛も僕も気合が入っている。


 ところが、いいぐあいに煮えてきたころになって、僕のスマホに電話がかかってきた。戸川先生からだ。


 ……どうする? 薫。


 今、この電話に出れば、また仕事の話になってしまう。もしかしたら、今から工藤さんの家に行ってみましょう、なんて言われるかもしれない。


 そうなったなら、すき焼きは、おあづけだ。

 ここまで来て、「僕たち、食べごろだよ? おいていっちゃうの? かたくなっても知らないよ?」と後ろ髪をひいてくる可愛い肉たちを置き去りにして、仕事に出かけることなんてできるのかッ?


「かーくん。電話、なってるぞ」


 猛め。肉がおあづけになる危険性を秘めているとも知らず、いい気なもんだ。

 しょうがないんで、僕はため息をつきつつ、電話に出た。


「はい。東堂薫です」

「戸川です。工藤さんの住所が知りたいそうですね。もしかして、羽鳥さんがそこに?」

「その可能性があります。電話、兄にかわりますね」


 とはいえ、猛はクラッシャー体質だ。家電の大量殺機械犯。僕の大切なスマホのスマちゃんを持たせるわけにはいかない!


 僕は猛の耳元にスマちゃんをあてがってやる。

 はっ? スピーカー?

 僕のスマちゃんは古い型だから、そんな機能はついてない。


 猛と戸川先生は、しばらくスマホごしに会話をしていた。そして電話が終わると、猛は悲しげな目で、すき焼きを見つめた。


「……工藤の両親は共働きで、夜しか家にいないんだそうだ。だから、今から、いっしょに行かないかって」


 ほらね。だから、僕がためらってたのに。


 蘭さんがニンマリ笑う。


「二人とも行ってきていいですよ。僕はミャーコとお留守番してるから。ねえ、ミャーコ? お肉、おなかいっぱい食べられるねぇ!」


 猛はいきなり、なべにフタをした。ガスコンロの火を切る。


「蘭! ぬけがけ禁止だぞ! イヤなら、おまえも来い」

「ええっ。僕、寒いの嫌い。夜は出たくない」

「いいか? このフタは地獄の釜のフタだ。あけたら恐ろしいことが起こるからな」

「たとえば?」

「ウサギとびで二条城まで走りこみ」


 蘭さんはウサギとびと寒さを天秤にかけた。


「……わかりました。いっしょに行きますよ」


 つまり、食べずに待つという選択肢はなかったわけだ。


 僕らは、お肉食べたいよと鳴いてひきとめるミャーコを残し、コートを着こんで外へ出た。

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