第五話 真の目的

 魔の棲む岩山、ラガーンダイの中腹へめり込むように存在する黒灰色の建物はあるじの帰還を待つ宮殿のように不気味な静けさを常に漂わせていた。

 その一室、明り取りのない石造りの部屋にはよどんだ空気が立ち込めている。

 長机を前に座る男の横顔は燭台の炎に照らされ揺らめいた。他の者たちと異なり、フードをかぶらず剃り上げた頭を隠すこともない。

 その肌の色つやからは壮年の男性のようにも見え、濁った瞳からは老人のようにも思える。

 切れ長の細い目をさらに細め、向かい側に座る小柄な男の報告を聞いていた。


「では、ギャラナの回復も見えてきたということか」

「はい。目覚めるまでに二十日ほど掛かりました故、すぐにというのは無理なものの、徐々に眠りも短くなるだろうというのがリゼイラの見立てでございます」

「いよいよだな」


 ハザメは薄い唇の端を上げた。


「いよいよでございます」


 こぶの下から覗く小さな目に異様な光をたたえたチャザイは身を乗り出す。

 そこへ扉をたたく乾いた音が響いた。


「入れ」


 ハザメの声に促され、厚い木戸を押し開けて二人が入ってきた。

 影の者のしるしであるガーによく似た濡羽色のフードを身に着けている。

 先に立つのはギャラナの世話係でもあるロトドス、無表情のまま盆にのせた器を持って進めのは、ここへ連れて来られて間もないジョセアだった。

 無言のまま頭を下げると女は器を二つ、長机の上に置いてテアを注ぐ。

 生気のない表情だけでなく視線も焦点が定まっていない。

 ロトドスは案内役としてついてきただけのようで、ジョセアの作業を見終えると黙礼して扉へと向かった。


「待て」


 そのまま部屋を出ようとした二人をハザメが呼び止めた。

 おもむろに立上り、男の前に立つ。

 ロトドスは緊張した面持ちながら軽く頭を下げ、続く言葉を待っていた。

 ハザメは懐から何かを取り出し、その一端をつまんで男の前へ掲げる。

 鈍色にびいろの鎖の先には親指大ほどの暗赤色の玉石ペイヴが立て爪の金具で留められている。


「そなたにはまだ見せたことがなかったな」


 チャザイへとハザメがちらと顔を向ける。

 いつものようにその表情からは感情が読み取れない。

 切れ長の細い目が再びロトドスをとらえた。

 頭を下げた男の前に玉石ペイヴを掲げたまま「イル ギヤヌン ムテソワバ」と小さく唱えるが何も起こらない。


「今のは?」


 チャザイの問いかけに答えることもなく、ジョセアの前へと進んだ。

 先ほどと同じように彼女の前に玉石ペイヴを掲げる。


「イル ギヤヌン ムテソワバ」


 すると暗赤色の玉石ペイヴが怪しい光を放ち始めた。

 ハザメの指先は動かぬまま、鎖が振り子のようにぐるぐると玉石を廻し始める。


「こ、これはいったい……」

「この魔石は魔道を感じ取るのだ。その男のように、心から我等われらに服従ししもべとなっている者には反応せぬ」


 ロトドスは頭を下げたまま動かない。


「だがこの女のように、自我が残り魔道により操られている者を感じ取る。人間だけではなく、魔力を秘めた武器などにも呼応するぞ」


 さも楽しそうにハザメが語るのは珍しい。

 だが、その笑みも一瞬で消えた。


「この女にはまだ恐怖が足りぬようだ。絶望を与えておけ。死なぬ程度にな」

「御意」


 自らのことを言われたのさえ理解していないのか、ジョセアに反応は見られない。

 チャザイに促され、ロトドスと共にゆっくりと石造りの部屋を出ていった。



 燭台の炎が揺らめきながら黒配色の石壁を照らしている。

 中央の寝台に横たわるギャラナのもとへ二つの影が歩み寄っていく。


「誰だ」


 気配を感じたのか、目を閉じたまま鋭い声を発した。


「お目覚めでしたか」

「この前の女だな」


 声を聴いてゆっくりと左目を開けた。


「お加減はいかがですか」

「お前は医者か? 名を何という」


 問いには答えず、たずね返す。


「リゼイラと申します。ギャラナ様の手当てをするよう命を受けております」

「チャザイからか」

「ハザメ様にございます」


 ふんと鼻を鳴らし起き上がるそぶりを見せたが、顔をしかめる。

 ガーによく似た濡羽色のフードをかぶったもう一人がすぐに回り込んで背中を支えた。


「みな同じ格好しおって。誰が誰かもわからん」

「あなた様の世話係の一人、ダリエと申します」


 自らが怒りを買ったと思ったのか、ダリエはギャラナの体を支えながらか細い声で深々と頭を下げた。


「世話係の一人といったな。ほかに何人いるのだ」

「みなで四人でございます」

「ほぉ。俺はそんなにも大切な客人なのか。たしかにハザメとは約束を取り交わしたが……。奴の狙いは何だ?」


 半身を起こしたまま顔だけをリゼイラへ向けた。


「私には分かりません。ただあなた様の手当てをし、一刻も早く回復させるようにとしか」


 その言葉を探るような視線と何か強い意志を秘めた視線がぶつかる。


「まぁいい。初めからハザメもチャザイも何か腹に隠していたからな。ところで、俺の傷はどうなんだ」


 ギャラナは包帯の上から右目に触れた。


「化膿することもなくトゥムも止まっています。もう心配はないかと」

「見えるようになるのか」

「それは……」


 リゼイラが視線をそらし顔を伏せた。


「そうか」


 再び寝台に横になろうとしたギャラナだったが、まだ体が思うように動かない。

 ダリエに支えられながらゆっくりと頭を下ろす。


「この借りは必ず返す。待っていろ、ブリディフ」


 天井に向けられた左目に憤怒ふんぬの炎を宿し、ひとりごちた。

 その様子を気にも留めず、リゼイラは右目の包帯を取り換えてゆき、ダリエは体を布でぬぐってやる。

 着替えも終え、部屋を出てゆこうとする彼女たちをギャラナが呼び止めた。


「ところで、ここは一体どこなのだ。辛気くさいのは奴ららしいから仕方ないとはいえ、やけに冷えるではないか」


 すぐに沈黙が訪れた。

 ダリエは前に立つリゼイラの様子を恐る恐るうかがっている。

 そして彼女がゆっくりと口を開いた。「ラガーンダイにございます」


「なんだとっ!」


 寝ていた体を右ひじで起こし、戸口に立つ彼女へギャラナは厳しい視線を向けた。


 彼もまた魔国ガルフバーンに生を受けた者の一人。

 魔の棲む岩山と恐れられているラガーンダイを知らぬはずがない。

 そこに蠍王ディレナークが封印されていることもチャザイから聞いていた。


「では、ここに……ハザメもおるのだな」


 無言のままリゼイラがうなずく。

 再び訪れる沈黙。



「ふ、ふはは、ははは」


 それを破ったのはギャラナが立てた笑い声だった。


「そうか、そういうことか。ここがラガーンダイ……。俺が傷をいやすにはもってこいの場所に違いない」


 もういちど体を横たえ、燭台の炎で揺らぐ暗い天井を見つめる。


「なるほど、真の目的は――俺、か」

 二人には聞こえぬほど小さな声でつぶやいた。


 想像もしていなかった彼の反応におろおろするばかりのダリエをしり目に、リゼイラは落ち着いた表情を見せている。


「お食事を運ばせますか?」

「いらぬ。また眠らせてもらう」


 了解の意を示すように軽くお辞儀をし、彼女はダリエを伴い部屋を後にした。

 寝台に横たわるギャラナの端正な横顔から、いつしか息の音さえ聞こえなくなっていた。

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