第三話 小さき騎士(ナイト)

 カリナと別れ、市場通りルドゥマを西へ歩いていると後ろからぶつかるように駆け寄ってきた子供がいる。


「ねぇねぇ、おじさん、おじさん! あのは誰? おじさんのこども? 妹? ねぇ誰?」

「何だ、君か」


 魔道闘技会の間、ブリディフは師匠の紹介する家に寝泊まりをさせてもらっている。突然現れたのはその家の長男、ヤーフムだった。


「ねぇ、誰?」

「少し落ち着きなさい」


 苦笑いを浮かべる間も、彼の右袖を引っ張たり、左側に回ってくっついたりと、まるで遊んで欲しい子犬のように目を輝かせて顔を上げている。


「彼女とはさっき知り合ったばかりなのだよ」

「そうなの? 仲がよさそうだったから」


 二人で食事をしている様子を見つけたのだろう。


「あのの名前は?」

「彼女はカリナ。トゥードムから闘技会を見に来たそうだ」

「カリナかぁ。黒い髪、きれいだったね。あんな色の髪、初めて見たよ」

「モスタディアではあまり見かけぬからな」


 きれいだよね、可愛かったな、と何度も繰り返しながら、右に左にとまとわりついている。

 そうこうする間に彼の家へ着いた。



「お帰りなさいませ、ブリディフ様。あら、お前も一緒だったのかい」


 彼の母、ミロウが出迎えてくれた。


「今日は如何でしたか」

「おかげさまで勝ち残ることが出来ました」

「まぁ、それはおめでとうございます。それでは明日勝てば強者たちベスト8入りですね」

「はい。精一杯、力を出したいと思います」


 そんな大人たちの会話には構うことなく、ヤーフムはカリナのことを聞きたがる。

 よほど気に入ったらしい。


「ねぇ、カリナにはまた会うの? 明日も会う?」

「どうだろうな。彼女のお父様も闘技会に出ていると言っていたから、勝ち残っていれば会えるかもしれぬな」

「僕も一緒に会いたいな。いいでしょ? ねっ?」

「さっきから何を言ってるんだい、お前は」


 ブリディフから理由わけを聞くと、ミロウは笑いながら台所へ入って行った。


「ねぇ、もっとカリナのこと教えてよ。いいでしょ」

「そう言われても……うわっ!」

「えっ、どうしたの?」


 急に大きな声を出したブリディフへ、ヤーフムが駆け寄る。

 その視線の先には床を歩く高足蜘蛛がいた。


「いや、あ、何でもないんだ……ちょっと……驚いただけで」

「あれー、ひょっとして、おじさん……虫が嫌いなのぉ?」


 ヤーフムがいたずらな笑みを浮かべる。


「あ、うん、どうも脚の数が多い生き物が苦手でな……」

「カリナのこと、教えてくれないと虫を捕まえて来ちゃうよ」

「おいおい、それは卑怯ではないか」


 闘技会を勝ち進む魔導士も、やんちゃな子供にはかなわない。 


 夕方にはこの家の主人、魔道衣職人のトニーゾも帰ってきた。

 食事の間もヤーフムの思いは止まらず、何度「カリナは素敵」と言ったことか。

 笑って聞き流す三人を相手に、片付けが終わったテーブルでも熱弁をふるう。


「とにかく素敵なんだよ。髪が夜のように黒くて、まるでそこにいるあのみたいに――って、えぇーっ!」

「こんばんは」

 戸口には微笑むカリナが立っていた。


 後ろに立つ壮年の男性が口を開く。


「私はヴァリダンと申します。こちらにブリディフ殿がご滞在とお聞きしたのですが」 

「私がブリディフです」

「今日は娘が昼をごちそうになったそうで。御礼かねがねご挨拶に伺いました」

「それはわざわざ。痛み入ります」

「さぁどうぞ、お掛けになってください」


 ミロウが二人に椅子を勧めた。

 その間もヤーフムは興奮した面持ちであたふたと駆け回っている。


 大人たちが話を始めると、カリナの隣へ彼は立った。

 腰かけている彼女とちょうど同じ目線になる。


「カリナっていうんでしょ。こんばんは、僕ヤーフム」

「ブリディフ様に聞いたのね」


 彼女はにこりともしない。


「とってもきれいな髪の毛だね」

「そう?」

「うん。こんなにすてきな髪の人、初めて見た。とっても可愛いし」

「ありがと」

「カリナみたいに可愛い、モスタディアにはいないよ。僕、好きになっちゃった!」


 彼女はあきれ顔を浮かべた。


「君、いくつ?」

「八歳」

「私の方が五つ年上。あなたみたいな子供に言われても、うれしくないわ」

「どうして?」


 ヤーフムは嬉しそうに笑っている。


「え? どうしてって……」

「お母さんは、お父さんより六つ年上だよ」


 余計なことを言わないの! とミロウが怒った。


「それは大人だからよ」

 彼女は冷めた声で微笑む。


「それじゃ、僕も大人になるまでずっとカリナのことが好きならいいんだよね」


 ヤーフムは笑顔のままだ。

 そんな彼に、彼女も困惑してきた。


「そんなこと分からないでしょ」

「分かるよ。僕が決めたんだもん」


 根負けしたかのように黙ってしまった彼女へ、さらに畳みかける。


「カリナはどんな人が好きなの?」

「私よりも色々なことが出来て、私を引っ張ってくれるような人がいいわ」

「カリナを引っ張るの? 体重は?」


 真顔で返され、さすがにむっとした表情を浮かべた。

「そうじゃなくって!」


 大きなため息を一つ、そしてヤーフムに問いかける。


「君、魔道は出来る?」

 言葉に詰まるヤーフム。


「運動は得意?」

 彼は黙ったまま。


「勉強は?」

 下を向く。


「料理」

 無言。


 黙っていた彼が急に顔を上げた。

「そうだ!」

 目を輝かせている。


「魚釣り! カリナは釣りをしたことある?」

「ない……けど」


 カリナが探るような視線を彼に向けた。


「それじゃ、一緒に姫鱒クイナを釣りに行こうよ。僕が教えてあげるから。明日行こう? ね、いいでしょ?」


 満面の笑みでカリナの左腕を両手で掴む。


「明日も闘技会だから――」

 一瞬曇ったヤーフムの顔が、すぐに輝いた。

「午前中なら行ってもいいわよ」



 カリナ親子が帰ると、すぐにブリディフの元へヤーフムが駆け寄る。


「ねぇおじさん。カリナが僕のことを好きになる魔道を教えて欲しいんだけど」

「残念だが、そのような魔道はないのだよ」


 そう言ってからしばらく思案したブリディフは、彼の耳元に口を寄せた。


「この言葉を使えば、彼女に――」

「ありがとう、おじさん!」


 真剣な表情で聞いていた彼は、ブリディフに礼を言うと寝室へ走っていった。


      *


 翌朝、トニーゾの竿を借りたヤーフムはミロウと一緒にカリナを迎えに行った。


「おはよう! 今日も素敵だね」

「ありがと」


 今日の彼女は笑みを浮かべて答える。

 彼の案内で石積みの建物を見ながら街中を西へ進んでいくと、突然視界が開けた。


「ここだよ」


 月からの恵みと呼ばれる、ムーナクト湖だ。

 周囲の山々からの水が地下の岩盤層を通り、湧き水として噴き出ているため透明度が非常に高い。


「うわぁ! 広いのね。こんな大きな湖、初めて見たわ」

 山育ちのカリナは目を輝かせた。


「こっちに来て。あっ」

 ヤーフムが慌てたように言い直す。

「こちらにどうぞ」


 彼の後ろを歩いていくと湖に突き出たような岩場に着いた。


「ここでいつもお父さんと釣りをするんだ」


 慣れた手つきで仕掛けに餌を付けていく。

 興味深そうにカリナは覗き込んでいた。


「ここを持って、後ろに傾けてからしならせるように投げて、放す。こんな感じ」

 自分がやる所を彼女に見せながら、丁寧に教えている。

「どうぞ、やってみて」

 カリナが竿を持ち、仕掛けを投げた。

「上手! うん、そんな感じでいいと思うよ。あとは――」

 二人の楽しそうな笑顔が続いた。


      *


 昼も近付き、闘技場の前ではブリディフとヴァリダンが待っていた。

 どうやら、今日も二人が対戦することはないようだ。

 そこへ釣りに行った子どもたちが並んでやってきた。


「どうだったかな、収穫は」

 ヴァリダンが尋ねると「三匹も釣れたわ」とカリナが喜んでいる。

「ヤーフムは五匹も釣ったのよ」


 そう言われて、小鼻を膨らませ照れ臭そうに笑みを浮かべた。

 そしてブリディフに近づき、そっと囁く。


「魔法の言葉、効いたみたい。来年の闘技会にも遊びに来てくれるって」

「よかったではないか」


 ヤーフムの頭を撫でながらやさしく微笑んだ。



「それじゃ、私たちはそろそろ中へ入るよ」

 そう言って別れようとすると、今度はカリナがやって来て囁いた。

「ヤーフムったら、先にどうぞ、これをどうぞ、ってやたらと『どうぞ』って言うのよ。まるで騎士ナイトみたいに。あれはブリディフ様の入れ知恵でしょ?」


 詰問するような口調ながら、その目は笑っている。


「でも、ちょっとうれしかった。彼を見直しちゃった」


 そう言うと手を振って、待っていたヤーフムと一緒に観客席へと歩きだした。

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