七話 この世界の当たり前

 篤紫は店主の手元をじっと見つめた。

 ちょうど『i』の文字を書き始める所だった。店主が手に持っている魔道ペンが、『L』の横に、点の部分を描き込む途中で魔道ペンの動きがが止まった。

 魔道ペンが輝き始めて、しばらくそのままで魔力を注いで、次に移ることなく魔道ペンを素材から離して一息ついていた。


「なにか?」

 顔を上げた店主が、篤紫の視線に気づいて眉をしかめた。道具を置いて、掛けていた眼鏡を外した。

 白髪交じりの初老の店主は、マナヒューマン特有の赤い瞳で、篤紫を値踏みするように、じっと見つめ返してくる。


「いえ、魔道具の製作に興味があったもので、どのように作っているのか見させていただいていました」

「……ふむ。魔道具の作成自体は、そう難しいことでは無い。

 魔石を塡められる様に作った道具に、この魔道ペンで魔術文字を刻み込むだけだ。刻む込むときに魔力を込めるのだが、その時に文字全部に流し込む魔力が、全体でに均等になるように魔力を調整するのがコツだな」

 そう言いながら見せてくれた魔道ペンは、ミスリル製のペンだった。

 しっかりと使い込まれているのだろう、遠目にも分かるほどの手垢が付いている。ただ、ミスリルという材質故か摩耗はしていないようだ。


「もし、その気があるのなら、シーオマツモ王国の魔道学園に行くといいだろう。魔道具について学ぶことができる。

 あそこでしっかりと基礎を学んで、私のような熟練技師の元で五年も下積みをすれば、立派な魔道具が製作できるようになるだろう」

 篤紫に興味があると分かったからか、最初と違って笑顔で話してくれた。話の流れで、魔道学園の紹介状を書いてくれる話になったので、ありがたくいただいておくことにした。


「あのがとうございます。一度、魔道学園には足を運んでみます。

 ところでひとつお聞きしたいのですが、この店にある一番高価な魔道具はどれでしょうか?」

「この店で一番出来がいい魔道具ということだな。

 魔道具は刻む魔術文字が多くなると、それだけ安定した効果が出しにくくなる。ここには明かりの魔道具が多いが、私の得意な魔道具は実は水の魔道具なんだよ」

 店主は梯子を持ち出すと、カウンターの真上にあるショーケースの中から、水道の蛇口の形をした道具を取りだした。


「これだな。金額は、金貨二十枚だ。

 魔石を取り付けて、この取っ手を捻ると、熱いお湯が出てくる。辞典をめくっていて、偶然発見した魔術だ。恐らくこのレベルの魔術を刻める者は、世界中を見ても少ないだろう」

 店主は手に持った蛇口の魔道具を、優しい目で見つめていた。本当に苦労して作った、自慢の魔道具だと言うことが感じられた。


「魔道具は努力を裏切らん。日々の積み重ねで、体に魔術文字を描く感覚をじっくりと覚え込ませる他に、近道は存在しておらん。

 だが研鑽を積めば、必ずこのレベルに達することができるはずだ。期待しているぞ」

 優しい目で見つめられて、胸の奥がチクリと痛んだ。同時に、自分が既に遙か高みにいることをまじまじと突きつけられた。


 思い起こせば確か、青銀の魔道ペンを買ったのが、ここの店だったと思う。あの時はオルフェナの勧めもあったけれど、軽い気持ちで魔道ペンを手にした。

 でもそのおかげで今、楽しく魔術を描けている。

 篤紫と桃華は、店で売っていた魔石をいくつか買った。


 店を出るときに、篤紫は振り返って店主に向けて深々と頭を下げた。

 既に店主は作業を再開していて、篤紫に気づくことはなかった。





 道すがら、喫茶店があったので、少し休憩することにする。


「想定以上に、魔道具が高かったわね」

「ああ、まさかあの単純な構造の明かりの魔道具が、銀貨二十枚もするなんて思わなかったよ」

「それに、いつも篤紫さんが作っている魔道具に比べて、描かれていた文字数が少なすぎるわね」


 店主の話だと、明かりの魔道具に『Light』を刻むだけで、一日かかると言っていた。

 難しかったと言っていた蛇口の魔道具は、きっと『Hot Water』と描き込んであるはず。確かに『Light』と比べると文字数は多い。

 それでも、掃除にしか使えない箒の魔道具に比べて、圧倒的に文字数が少なかった。


「シズカが、篤紫さんのことを規格外だと言っていたのが、初めて理解することができたわ。

 さっきの店主さん、マナヒューマンだったわよね。マナヒューマンって確か四百二十歳くらいまで、二十歳台の容姿じゃなかったかしら?」

「そういえば、白髪交じりの初老の男性だったな……つまり、最低でも四百二十歳は越えているというのか」

 マナヒューマンの寿命は平均で五百年。彼は、どれだけ長い時間を、魔道具製作の研鑽に費やしてきたのだろうか。

 それだけ、この世界では魔術が特殊な技術なのだろう。



「お待たせしました。

 申し我ありませんが、サンドイッチは少しだけお待ちください」

 頼んであった紅茶か運ばれてきた。あらためて喫茶店のメニューを見てみると、書かれているのは平仮名に片仮名、あとは漢字に見慣れた0から9までの数字だけだった。

 会話や文字が全て日本語のこの世界では、それ以外の言語は一切存在していない。


 唯一、魔術を使うための魔術文字に、何故か馴染みのある英語が使われている。

 英語という見方で魔術文字を見てみると、全てに意味があって、どうやって魔術文を組み立てればいいのか、はっきりと理解できた。英語の読みが、魔道具の起動ワードにもなっているので、間違いないと思う。

 ただ篤紫や桃華と同じように、過去に地球から転移でもしていない限り、魔術文字を英語の文字文法として認識することができない。



「今回分かったことは、魔道具は技術的な価値を加味して、高価でなければならないこと。

 あとは、俺の魔道具は、他の誰も真似することができない、ってところか」

「そうね、特に特殊なペンを持っているのは篤紫さんだけだし、長文を描ける人もまずいないと思うわ」

 遅れていたサンドイッチが運ばれてきた。

 桃華と二人で分け合って食べながら、少なくとも箒の魔道具を金貨一枚で販売することは、何も問題が無いという結論に達した。


 何にせよ、近いうちに出発する旅には、現地人であるシズカやタカヒロ、ユリネにカレラが一緒に同伴するわけだから、何か気になることがあったら、その都度聞いてみればいいのかもしれない。




 大通りを東に抜けて、湖畔に立つスワーレイド城まで辿り着いた。ここから南に再び下っていくと、魚介類を売っている市場に行くことができる。

 遠目に見る港にはたくさんの漁船が止まっていて、そのうち何隻かは、水揚げされた魚介類を水槽に移し替えているところだった。


 肉は昨日のうちに、近所のお肉屋さんから買ってきたようなので、港でしか買えない新鮮なお魚を買いに来たのだけれど、どうもいつもと港の様子が違うようだ。


「動いている船の数が少ないわね」

 篤紫もちょくちょく桃華と買い出しに来ているから知っているけれど、ちょうど午後三時のこの時間は、夕飯前の買い出しにくる客のために、多くの漁船が水揚げをしているはずの時間だ。

 魚介類はそのまま、港に隣接された市場で売りさばかれるのだけれど、今日は半分以下の店しか開店しいていなかった。


「何かあったのかな?」

「水揚げをしているのは帆船で、動いていない船は何かしら……見たことがない形の船ね」

 普段、船を気にして港を見たことがなかった。

 いつの間にか、港に停泊している船の殆どが、帆が無い船に変わっていた。風で推力を得ないタイプの船なのだろうか。

 地球であれば、発動機付きの船があることが格別不思議なことでは無いのだけれど、この魔法世界であるナナナシアには、そもそも発動機自体が存在していないはず。


 あるとすれば、魔道具の応用で何らかの推進機構を組み付ける方法くらいか。

 ただ、さっき寄った魔道具屋レベルの魔術が一般の基準であれば、かなり簡単な記述で動く機構なのだろうけど……。


「近くに行ってみてみるか」

「やっぱり篤紫さんは、気になるようね。

 きっと最新鋭の船なのだと思うけど、いったいどんな工夫がされているのかしらね」

 篤紫の腕に桃華が腕を絡ませてきた。

 波止場に近づくにつれて、困ったように佇んでいる漁師が目立ってくる。根本的に、漁に出られていないのか。

 その中に、見知った顔を見かけた。


「サラティじゃないの、こんなとこにいるなんて珍しいわね」

 桃華の声に、サラティと呼ばれた少女が、車座になって額をつきあわせていた男達の中からひょっこりと顔だけ出してきた。

 黄緑色の髪に先の尖った耳が特徴の、身長百三十センチほどの草原エルフだ。眉間に皺を寄せていたけど、篤紫と桃華を見つけると一転、満面の笑みに変わった。


「サラティが港にいるなんて、初めて見たぞ。

  いつもは市長室だか魔王室だかで、お菓子を食べて惰眠をむさぼっているのに、どういう風の吹き回しだ?」

「うるさいな篤紫。わたしだってちゃんと仕事するときもあるんだからね」

「いや待て。それ、一番駄目なやつ」


 サラティは近づいてくると、桃華にギュッと抱きついた。

「桃華ぁ、篤紫がいじめるよぉ……」

「よしよし、後で悪い篤紫さんは懲らしめておきますからね」

 思わず篤紫はその場で、半眼で立ちすくんでしまった。

 何ですかこの、三文芝居は?


 任期交代制の魔王とはいえ、昔からサラティは統治者の柄じゃ無いのは分かっていた。ただ、南側市街の治安がいいことを見ると、柄はともかく腕は確かなのには間違いないけれど……。


「サラティ、遊んでいる場合ではありませんよ」

 突然横から聞こえてきた声に、篤紫はぎょっとして飛び上がった。慌てて周りを見回しても、声の主はどこにもいない。

「あの……ここです。もう少し視線を下げてください」


 言われて見下ろすと、そこにはサラティと同じ背格好の少年が、篤紫を見上げていた。

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