第18話 聞き込み

 俯いて肩を震わせている和也に、かける言葉が見つからない。

 あの時、世界で一番不幸だった僕が今、和也に不幸を与えている。

 あの時、もし、水越明子を倒していなければ、彼女は死んでいなかったかも知れない。舞にも和也にも違う未来があったのかも知れない。

 そう思うと、猛烈に罪悪感が襲ってきた。


 和也が利用している私鉄の終電時間が迫ってきたので、店を出た。

 別れ際、僕は和也に提案した。

「犯人を捕まえよう。一緒に」

「え?」

 生気のない和也の目が僕を見る。

「こんな状況を作り出した犯人には反省してもらわなきゃ」

 そう、僕は自分のやった事を反省しなければならない。

 結果的に和也を利用してしまう事にはなるけれど、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。

「……うん」

「井上先輩、イライラしてたって言うし、そんなに気にしない方がいいよ。それじゃ、土曜日に会おう。また連絡するから。明日は学校に行きなよ」

 僕がわざとらしく明るく言うと、和也も「わかった」と、少し微笑んで、私鉄のホームへ駆けて行った。


 犯人、父親説は消えた。

 ここからが本番だ。


 物事を知るにはまず背景から。

 保護シェルター会長の郡司さんの言葉を思い出す。

 水越明子の周辺には何があるだろう。自分の母親の周辺を思い浮かべると次の様なものになる。

 家族、親戚、仕事先、行きつけの美容院、ネイルサロン、エステ、スポーツジム、ママ友、昔からの友達、知り合い。

「エステとネイルサロン、スポーツジムは無いな。たまに整体には通っていたみたいだけど」

 土曜日、僕は和也の部屋にいた。

 生前の水越明子の財布から、カード類を取り出して和也が言う。

 僕らの目の前にはダンボール箱が一つ。

 ここに明子が使っていた小物やファイリングされた書類、アルバムが入っている。

 幸い今日は、父親は仕事、継母と双子の妹は継母の実家へ遊びに行っていて不在だった。


 この中で水越明子が襲われる理由がわかるものはあるだろうか。

「これは?」

 僕はダンボールの中からガラケーを見つけた。

「母さん、スマホとガラケーの2台持ちだったから。アプリで通話も出来たし、こっちはあんまり使ってなかったかな」

 スマホは舞が家を出る時に持って行ったらしい。

 舞も、まだ諦めてはいないだろう。

 スマホとコウジを確保している。まだ犯人を探すつもりだ。

 そういえば、バーベキューの時、突然、コウジの散歩を頼まれたっけ。

 コウジは犯人を覚えているだろうか。


 このガラケーの中身を見たいけれど、充電器が無い。

 紛失したのかも、と和也が言うので僕がネットで探して購入する事にした。


「母さんが嫌われるとしたら、言い方がキツいってくらいだな」

 和也は水越明子の写真を見せてくれた。

 肝っ玉母さんという言葉が似合う、貫禄あるタイプの女性だった。

「それって、どんな場面だろう」

 僕も明子の持っていたカードや、明子自身がファイリングしたという書類に目を通しながら言った。

「仕事を教えている時かな。新人さんとかさ」

 勤続10年の母親の職場を、和也はあまり行った事が無いらしい。

 職場はやはり、スーパー・イソヤマだった。


 警察の最初の見立ては、通り魔的犯行であった為、明子の人間関係などは調べていない。

 元夫が怪しい動き、つまり、葬式後に再婚して豪邸を建てるという行動を取った時に、鞄に切り付けた通り魔犯とは別に、刺殺犯がいるのでは、という説が浮上し、初めて周辺に事情を聞いている。

 それは、元夫が犯人である前提で、例えば、明子が、夫に殺されると言っていた、などの証言を得たいが為だ。

 結局、証言は得られず、豪邸の費用はほぼ、再婚相手の実家が出しているのが判明し、元夫に明子を殺す動機は無いとされた。

 第三者に襲われたという状況も、考えられていたとは思うけれど、和也はそんな人物がいたと警察から聞いていない。

 この辺は多分、放置されている。


 その部分の「捜査」を、言いたくはないけれど、コミュニケーション能力の低い僕と、ややその気がある和也がやるのだから、自分でも前途多難だと思う。

 最近、僕は和也には割とスムーズに話が出来ると気付いた。

 年下で、能力的にも同等と見なしている気安さがあるのかもしれない。

 これが司だと、こうはいかない。

 雑談くらいは誰とでも出来るようになりたいものだ。


 僕らは店に着いても案の定、中を回って、買い物をして、外へ出てしまった。

 個人事業主とは思えない程、整った店だった。平屋造りで売り場面積は約400坪。

 生鮮食料品の他、日用品、靴下などのちょっとした衣料品が揃う。

 海外製品コーナーまであり、珍しいお菓子や飲料、調味料、乾物まで販売されていた。

 40台は停められる駐車場、店の脇には、僕らが座っているベンチの他に、自販機、証明写真機、宅配ボックスが並んでいる。

 店内の端に、『こんにちは』から始まる店長の挨拶文と、顔写真があった。丸顔で人当たりの良さそうな顔だった。

「……どうする?要さん。店長に話を聞きに行く?」

 注ぐ日差しに目を細めて和也が聞く。

 僕らは店で買ったアイスを食べながら考えた。

「そうだね。ここは和也が聞きに行くのが一番いいと思う。店長さんには会った事あるの?」

「えっ。僕が聞くの?無理だよ。母さんの葬式に来ていたのかも知れないけど、覚えてないし。何て話を切り出すの?」

「……」

 どうしたものかと途方に暮れていると、店の搬入口から小型トラックが出て行くのが見えた。

『阿久津食品』

 こっちに聞いた方が何かわかりそうだ。


 月曜の早朝、営業開始時間きっかりに「阿久津食品」の店のシャッターは開いた。

 中年の男性社員に阿久津が作業している場所を教えてもらう。

 家族経営のこの会社は、今、阿久津の母が暫定社長兼会計。姉も会計などの事務を手伝い、阿久津は事務から足りない配達員の仕事まで幅広く担当しているそうだ。

「久しぶり。お早う」

 僕が挨拶すると、阿久津はヒッと、小さく叫び、幽霊でも見る目付きで僕を見た。

「何なんだよ。何しに来たんだよ。来るなら連絡くらいしろよ」

「連絡先変えてたろ?ちょっと聞きたい事があってさ」

「なら、カフェに来いって」

「急いでるんだよ。取引先に、スーパー・イソヤマがあるだろ。どんな会社なのか教えてもらえないか?」

「だからカフェに来いって」

 阿久津は機嫌が悪い。

 小型トラック後部にダンボールを積み始め、僕をまともに見ようとしない。

 なるほど。

 理由がわかった気がした。

 作業着姿であくせく働くのを見られるのが嫌みたいだ。

 僕にはこっちの方が好感が持てるのに、おかしなものだ。

「そこの従業員にも聞きた事があるんだよ。誰か紹介してもらえないかな」

「俺には関係ないだろ!自分でイソヤマに聞いて来いよ」

 言い方にムッと来た。コイツと話すといつもこうなる。

「ウチのおばさんから結構もらってただろ。もう少し働いたっていいんじゃないのか」

 阿久津の動きがピタッと止まった。

「それ、どうして……」

「マチコおばさんから聞いたんだよ。もう秘密は無しだってさ」

「……そうかよ。俺は依頼に対して忠実に働いただけだ。それに対する正当な報酬なんだよ。悪いか」

 阿久津は、正当な、のところを強調して言った。

 僕を無視して再び荷物を運び入れている。

「そうだよな。僕なんかの世話役を引き受けるんだから、相当な理由があったんだろ。知ってるぞ。二階の事務所で聞いてくるよ。ついでにお礼も言ってくる」

 ヤケクソで出まかせを言って、身を翻して事務所の階段へ向かおうとした。

「おいおい、ちょっと待て!」

 阿久津が凄い早さでぼくを追い越して前に出た。

「わかったよ……!何なんだよ、お前らの一族。脅すのもいい加減にしろって」

 阿久津は疲れ切った顔で言った。

 僕も、ここまで言い合いをするハメになろうとは思いもしなかったので疲れた。

 それにしても、阿久津はどんな弱みを沢田弓子に握られていたのか。

 小谷香音が万引きをネタに脅されていたから阿久津にもそんなネタがあるのだろうとカマをかけたのだけれど、この慌て様。気になる。

「イソヤマに行くから商品運ぶの手伝えよ」

 僕はトラックに商品を積むと助手席に座った。

 車中で阿久津に、和也の母親がスーパー・イソヤマの従業員で、3年前に通り魔事件で亡くなっている事、犯人が捕まっておらず、警察の捜査が停滞している事などを説明した。

「和也のお母さんがねえ……。びっくりだな。でもそれ、父親が犯人じゃないだろうな」

 阿久津も僕と同じ疑問を口にした。それは無いと説明すると、そりゃ良かったと安心した顔になった。

「3年前は、阿久津の会社でも話題になった?」

「……さあ。その時、俺はまだ会社に関わってなかったから。親父からの引き継ぎじゃ、あそこもウチと同じ家族経営なんだ。今の店長は、何年か前に、前の店長の親父さんが引退する時に戻って来た一人息子で、まあ、俺なんかが言うのも失礼だけど、お飾り店長って感じかな。

 親父さんが店長だった時代は、カリスマ性があって、あの辺の名士的存在だったらしい。今、実際に店を回しているのは副店長の黒木さんだよ。この人なら何十年と勤めているから何か知ってるかもな」

 イソヤマに着くと、阿久津は副店長の黒木さんと、明子と親しかったという年配の女性パート従業員を連れてきてくれた。

 黒木さんは60代、強面で坊主頭の、ずんぐりした体格の人だった。

 一見、威圧的で、気圧された。

 パート従業員の女性は吉村さんといって、小柄で痩せ型、テキパキ何でもこなしそうな雰囲気の人だった。

「お忙しいところ申し訳ございません」

 僕が話を切り出すと、二人とも、その後が気になっていたと色々と話してくれたけれど、結果的には目ぼしい情報は無かった。

 水越明子は誰からも慕われていて、且つ、仕事も出来た。事件の半年前にはパートから契約社員になっている。黒木さんも頼りにしていたそうだ。

 仕事とプライベートはきっちり分けていたのか、誰も離婚の相談は受けていない。

 他の従業員と飲み会やランチに行った話も聞かないと吉村さんは言った。

「恨まれるなんて事はございませんし、秘密を知るとは言いましても、ウチの仕事の事ならあり得ないと思いますよ。会長も奥さんも今だに財務関係から何でも目を光らせてますから。私らはパート従業員も含めて情報は共有する様にしていますからね」

 初代店長兼社長は今、会長になっているらしい。

 黒木さんは僕にも丁寧に敬語を使って話してくれた。申し訳ないけれど、それがちょっと不気味だった。




















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