第52話 億に一つの希望的観測

 ――病院の入口では結太のトレーラーが待っていた。

 出迎えた結太は無言のまま握手を求めてきた。いつもは放っておいても話を始める彼が、今は口を引き結んで永慈を見つめてきていた。

 それでわかった。

 ああ、彼らものだなと。


 トレーラーの扉を開ける。室内には紫姫と冬樹音の姿があった。二人に会釈をして乗り込む。そこで後ろを振り返った。

「明依」

 小柄な少女はトレーラーの前で立ったままうつむいている。永慈は言った。

「やはり、ここで待っているか?」

 明依からの返事はない。より深く下を向くだけだ。


 そのとき、永慈の前に紫姫が割り込んだ。

「こら! 三阪明依!」

 腹の底からの叱責に、明依だけでなく後ろの冬樹音も身をすくませた。

「あなた、そんなところで何を立ち止まっているの! 私に生意気な口を利くいつものエセお嬢はどうした!」

「な……!?」

「しっかりしなさい! あなたは三阪明依でしょう! いつものように食ってかかってきなさいな! 理不尽を放置するような聞き分けのよい娘じゃないでしょう、あなたは!」

 そう言って、ミツルギの現場リーダーは

 顔を上げた明依と視線を合わせる。

 明依は下唇を噛んだ。


 そして。

「なによ」

 掌を打ち付けるように紫姫の手を握った。

「それじゃあ私が聞き分けのないワガママ娘みたいじゃないですか!」

「どう違うのよ」

 小さな手を握り返すと、ぐいと引っ張り上げてトレーラーの中に明依を立たせた。


 紫姫のおかげで踏ん切りはついたものの、借りてきた猫のように落ち着かない明依と、極度の人見知りの冬樹音がぎこちなく挨拶を交わすかたわら、永慈は紫姫に頭を下げた。

「ありがとう。紫姫さん」

「いえ」

 先ほどの勢いは鳴りを潜め、紫姫は上目遣いになる。

「むしろ、私の方も発破が必要でしたから……現場に到着するまで状況を確認しましょう。



 ――トレーラーが速度を上げる。

 紫姫はメンバーを前にして、まず山隠神社エリュシオン周辺の状況について説明した。


 彼女によると現在、裏社会の二つの組織がぶつかり合っているという。

 ひとつは新興エリュシオンの資源を狙う大陸系マフィアの一派。これには利羌も関わっている。

 もうひとつは、世界最大の亜人コミュニティ、『灯台ライトハウス』の日本支部。その下部組織のひとつがミツルギである。

 勢力拡大を狙うマフィアと、それを防ぎたい自警団の対立という構図だった。


「山隠神社の下にある倉庫群はご存知ですよね。実は、あれの管理会社に重政利羌の一族が絡んでいたのです。ただ、彼らは裏社会の中では新参者。無理な勢力拡大がたたって、以前から『灯台ライトハウス』に睨まれていました。重政一族は亜人への迫害が特にひどかったですから。そこへ、山隠神社にカテゴリー2が発生したことで倉庫のほとんどが一時的ですが使用不能になった。彼らの『裏の仕事』に支障が生じたのです。新しいエリュシオンを押さえることは、彼らにとって逆転のチャンスだったようです」

「じゃあ、穂乃羽ちゃんたちは」

「重政利羌の正確な意図はまだ不明ですが……少なくとも、戦場になるとわかっていて敢えて彼女らを巻き込んだのは確かです」

「大変……!」

「落ち着いて明依さん。彼らにはトトリとシタハルが付いています。戦闘が落ち着くまで、エリュシオン内に避難させておくよう伝えてあります。場合によっては、永さんが見つけたもうひとつの出入口から脱出させます。私たちは可能な限り戦闘を避けながら、慧クンと接触を図りましょう。すでに『灯台』には許可を受け、必要なサポートは受けられる手はずになっています。以上が現状ですね」

 そこで紫姫は口を閉じた。永慈と明依を交互に見る。


「次は……お二人のことですね。永さん」

「結太さんを見たときに思ったよ」

 永慈は組んでいた手をほどいた。

「紫姫さんたちは、もう気付いていたんだな。俺が何者で、明依との間に何があったか」

「確信を得たのは本当についさっきですが」


 ディスプレイが輝きを放つ。冬樹音が高速でタイピングをしながら、申し訳なさそうに小声で報告した。

「み、三阪さんが山隠神社エリュシオンから帰還して……マテリアル洗浄をしているときに……少し、調べました。封印魔術を使った痕跡があって。あの、最初はそれだけだと思っていたんですけど」

 グラフが表示される。一部だけが奇妙に

「ここの数値が、。元々はマテリアルを隠し持っている人を見つける目印、なんです、けど……これが全身全部、観測されなかったということは……つまり……」

 言葉にするのが辛くなってきたのか、冬樹音は縮こまった。ディスプレイの表示も消してしまう。冬樹音の心情をおもんぱかってか、彼女の中途半端な説明にも紫姫は口を挟まなかった。

 永慈と明依には、それで十分だった。


 浦達の壮大な冗談だったかもしれない――そんな万に一つ、億に一つの希望的観測が否定されたと理解するには、十分であった。

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