第44話 混沌の先の、予告
糸が切れるように――。
鞭としてしならせた尻尾の勢いに流され、半回転して背中から沼地に沈んだ。
大質量が沼の水を押しのけ、辺りに津波を起こす。永慈は足を取られ、仰向けに転倒した。
視界が濁った水で包まれ、鼓膜が音を遠ざける。
時間にして三秒ほどだったか。
水深の浅い沼で溺れかけている自分の身体を、まるで他人事のように観察している戦闘本能から、永慈は意識を引き戻した。
「ぶはっ!?」
上体を勢いよく起こし、大きく息をする。激しい鼓動を自覚した。脳に血が流入する感覚。耳の奥がごおごおと鳴っていた。
不意に笑いの感情が湧いてきた。
アンノウンの巨体に迫られたときよりも、今の醜態の方が命の危険を覚えたなんて。
手が差し出された。紫姫であった。彼女の両脇にはトトリ、シタハルの姿もある。
彼女らの表情は三者三様であった。紫姫は安堵と緊張を半分半分に、トトリは値踏みするように、シタハルは表情には乏しかったものの、どことなく驚いているような目で。
紫姫の手を借りて起き上がる。シタハルが握り拳で軽く永慈の二の腕を叩いた。
「よくやった。助かった」
「いえ、そんな。自分は無我夢中だっただけです」
「それはもういい」
もう一度腕を叩かれる。
「敬語はやめろ。無理に畏まられると逆に気分が悪い」
「
「見事な射撃だった。良い仕事をした」
永慈は口の端だけ緩め、シタハルと拳を突き合わせた。
「やはり、納得いきませんね」
トトリが口を挟んできた。態度も言葉通りで、柳眉を下げ首を振る。
「その銃、『デセオバレット』ですね。あちらの人間が好みそうな高威力の稀少品ですけど、反動もブレも大きくて非常に扱いにくい。そんな代物を、初見であれほど見事に使いこなすなんて信じられません」
しかしその口調と態度ほど、トトリの表情から
永慈は黄金に輝く銃を改めて見つめた。
「返した方がいいでしょうか」
「その辺に捨て置きなさい。彼らの持ち物をくすねてもろくなことにならない。代わりの銃なら我々が用意します」
それと――とトトリの鋭い視線が刺さる。
「私も敬語は結構ですから」
彼女とも拳を突き合わせた。
紫姫が表情を引き締めた。
「とりあえず戦闘終了。お疲れ様。さて、次は……」
振り返る。
絶命したアンノウンの傍らで盾鱗の一部を削り取っていた慧が、立ち上がる。背はこちらに向けたままだ。
永慈がひとり、進み出た。
「慧」
呼びかけて、しばらく。
ゆっくりと永慈の息子は振り返った。
目と目を合わせるのは、病室でのとき以来だった。
我が子の瞳の曇り具合は、あのときと変わらないように見えた。
永慈の第一声は――。
「元気か?」
――であった。
「ちゃんと食べてるか? 明依も心配してるぞ。不精な弟のことだから、きっと食事もまともに摂ってないんじゃないかって」
「……」
「たまには帰ってこい。食事くらい、一緒でもいいだろ。俺たちは家族だ」
気負い。遠慮。へつらい。
その場を繕ういくつかの言葉は口を開いた瞬間に永慈の頭から消え、ただただ本心が本心のまま、溢れ出していた。
それに対し、慧は――。
「やめてくれよ」
躊躇いがちに、言った。
普段はクールな息子はこのとき、いくつもの感情を一気に、一緒に混ぜてしまったために、顔面の筋肉が
不安。
(そんないっぺんに抱えやがって……辛いだろ。苦しいだろうが……お前が! 自分の子にそんな顔をさせてしまうのか。俺は! 三阪永慈という男は!)
「……大した腕前だよな」
慧の台詞に顔を上げる。息子は元のクールな顔付きに戻っていた。
「俺や周りの連中が削っていたとはいえ、頭部の急所を正確に三連射だ。その銃の前の持ち主は、アンタほどの腕はなかったぜ。度胸もな。俺ですら最後はビビっちまった相手によ。本当に大したもんだぜ」
永慈は言葉通りの称賛と受け取れない。
「なあ。アンタ、どこでその技術を身につけた? 昔はどこにでもいるサラリーマン、少し前まではしがない嘱託公務員だったのによ。どこで、どうやって、戦う力を手に入れた?」
「慧。それは勘違いだ。俺は戦う力なんて持ってない。ただの、どこにでもいるおっさんだ。その証拠にホラ、今だって足がガクガクだ。小型モンスターの一体だって自分一人じゃ仕留められない」
本心だった。
だが、その言葉が確実に、抑えつけていた何かのスイッチを押した。
「だったら何で! 何でここに来たんだよ! 寿命なんて一年ないんだろ!? だったら姉貴とバカやりながら学生続けてりゃいいじゃねえか! 何で……何で俺の後を追ってくるんだよ!」
「慧……」
「俺の進む道に、入ってこないでくれ!」
荒い息づかい。誰も、何も言えない。
永慈は胸の苦しさを覚えた。左手の甲を撫でる。思い出していた。ここに生きた日数を刻み始めた日。慧が本当に望むのであれば、自分はそれを認めよう、見守ろうと決意したこと。
だが、いざ――いざそれを口にしようとすると、永慈の心はざわめいた。
彼は馬鹿正直だった。感情が顔に出る男だった。それを慧は知っていた。
「情けない顔、すんなよ。三阪永慈。俺ともう関わらない。簡単だろ?」
小声でもよく通る声は、本当に親子でそっくりだった。
ぱしゃん――と水音がした。
山中で慧とともにいた男がこちらに歩いてくる。背中には気を失ったままの昴成の姿があった。
トトリ、シタハルが武器に手をかけようとするが、紫姫がそれを止める。
男はミツルギメンバーを素通りし、永慈の隣までやってきた。背中の昴成を永慈に預ける。
「生きてる。傷もない。このバケモノを狩ってくれた報酬と思え。気が済んだら、さっさとここを出ることだな」
それだけ告げ、慧の元に行く。二言、三言と話をし、連れだって歩き出した。
「慧。慧……!」
沼地を出る間際、慧は振り返った。凄みのある視線が永慈を貫いた。
「忠告はした。今度この世界で俺の前に姿を現したら――アンタを殺す」
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