第41話 第六感という武器

「シンプルに貧弱。動きも鈍い。それほどの装備で小型のブラーガ一匹仕留められないのは、非常に大きな問題だと言わざるを得ませんね」

 事実なので反論ができない。する必要もない。

 永慈の真っ直ぐな視線を受け、逆にトトリの方が視線を横に逸らした。

「まあ、その。それでも致命傷を受けないでさばききったは褒めるべきでしょうが」

「ありがとうございます」

「止めなさい。暑苦しい」


 シタハルが隣に立ち、永慈の頭の先から足先までゆっくりと視線を注ぐ。

「怪我は?」

 首を横に振る。亜人の男戦士は自らの顎先を親指でなぞった。

「紫姫」

「なにかしら」

「このまま先に進もう。素材回収は後だ。時間が惜しい」

 彼はリュックを肩にかけ、ちらりと永慈を振り返った。

「お前も。ぼうっと立ってないで準備しろ」

「シタハルさん」

「お前の近接戦闘能力は信用できない。だが、面構えは悪くなかった」

 それだけ言うと歩き出してしまう。トトリも後に続く。


 少しは期待してくれるようになったということだろうか――そう永慈は思い、すぐに気を引き締めた。ここから先はECEとはまるで違う世界。死がすぐ後ろにある。身をもって得た気付きを無駄にはできない。

 危機感で気持ちを切り換えたのは、どうやら永慈だけではなかったようだ。


 紫姫が前に立ち塞がる。

 視線が交錯する。おもむろに彼女は口を開く。

「え?」

「あなたのコードネームです。ここから先、より激しい戦闘になることも十分予想されます。戦闘の混乱と緊張の中でも意思疎通を円滑にするため、一刻も早く覚えてください」

 今の彼女は、感情の揺れが感じられない。ミツルギの現場リーダーとして永慈の前に立っている。

「先ほどの戦闘を見て確信しました。あなたはとても鋭い感覚を持っている。この未知のエリュシオンにおいて、ただ闇雲に歩いていたのでは手遅れになってしまいます。セノカ、あなたは自らの長所を活かし、民間人二名の居場所の発見に努めなさい。それがあなたに与える役割です」


 役割。与えられた役割。

 永慈はぶるりと震えた。これは単純に、素直に、率直に、純粋な、武者震い。

 次の段階へ進めたと確信した者の、喜び。

 白い歯を一瞬だけ見せて、永慈は口を真一文字に結んだ。力強く、首の筋肉一本一本の動きさえ噛みしめるように、うなずく。

「セノカ、了解」


 ――一行はトトリと永慈を先頭に行動を開始した。

 パーティの中で特に感覚の鋭敏な二人が、この新しいエリュシオンの『空気』からを察知しようとアンテナを全開にする。


 元の世界とエリュシオンとの違いのひとつが、大気。

 エリュシオンの大気は。それ自体が生きているような不可視の存在感、熱、鼓動――言語化するのが難しい、非常にスピリチュアルな何かが世界全体に充満している。

 学校の部活程度ならまったく気にならないであろうが、ミツルギのようにエリュシオンの奥深くへ命を懸けて踏み込むような連中にとっては、大気を読み取る感性は非常に重要なスキルであり、武器だった。

 害意を向けるモノ。元の世界からやってきたモノ。

 それらは、感じる者が意識を向ければ、特に強いとしてつかめる。

 エリュシオンにおいて、第六感は進化する。


「嫌な匂いがする空気」

 ふと、トトリがぼやいた。

「成形したばかりのプラスチックのような、薬品めいた匂い。誕生したばかりのエリュシオンは、皆このようなのでしょうか。感覚がおかしくなりそうです」

 永慈もまったく同じ考えであった。紫姫が応える。

「あなたが最初、モンスターの接近にギリギリまで気付かなかったのは、きっとそれが原因ね。ゴノエトトリ、先客の気配は感じる?」

「月基準で九時方向に。数は不明。距離もグレー」

セノカ永慈はどう?」

 永慈は首を横に振った。月を正面にして西方向――パーティが進む先にがあるのはわかるが、詳細はつかめない。


 移動を始めて六分。永慈は不思議な感覚に包まれつつあった。息が上がり、動きが鈍くなっていく肉体から、思考と感覚が上澄みのように分離して研ぎ澄まされていく。

「エリュシオンの特徴から言って、二つの入口はそう離れていないはず。引き続き注意を怠らないで」

「ゴノエ、了解」

「セノカりょうか――うおっ!?」

 突然バランスを崩し、永慈は声を上げた。前のめりに倒れそうになる身体を、とっさにシタハルが引き上げる。水音が鳴った。


 紫姫が地面に目を凝らす。

「これは……沼地?」

 月の木漏れ日が地面で複雑に反射している。永慈たちが歩くすぐ側がぬかるんでいた。

 トトリが背の高い植物をかきわけると、視界が開けた。鏡面のような水面が蛇のように左右にくねりながら西に続いている。幅は十メートルから十五メートルほど。水深はごく浅い。足首ほどまでしかない。

 枝のひとつからはらりと落ちた葉が水面に落ち、ささやかな波紋が広がる。ほぼ無音。鋭い沈黙が耳を刺す。


 トトリと永慈はほぼ同時に目をみはった。

「紫姫様」

「この先だ……!」

 トトリから具体的な報告を聞いた紫姫はうなずいた。

「OK。二人ともよくやったわ。いいこと? イレギュラーは私たちにとってアクセサリーよ。しっかり着こなして、今日も無事に帰りましょう。もちろんお客様も連れて、ね」

 リーダーの言葉を受け、ミツルギのメンバーは沼に足を踏み入れた。

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