第一章

第2話 黄昏色の腐界

 福城ふくしろ山之辺やまのべ地区。

 小高い丘の上に、山穏さんおん神社というさびれたやしろがある。

 境内の薄汚れた掲示板には、十年前の新聞が後生大事そうに張られていた。見出しは『神社が空を飛んだ!』。急速に進んだ開発で足りなくなった土地を補うため、ことに成功したという記事だった。


 異世界の素材マテリアルを組み込んだ重機で、同じく素材を使用して造った


 当時、物珍しさから大勢の参拝者が訪れたが、今ではもう見る影もない。

 山を持ち上げ、その下にひらいた土地は人が住める環境ではなかったので、代わりに巨大な倉庫ができた。そして、神社そのものに魅力を感じない人々の記憶から、山穏神社の存在は忘れ去られていった。

 今や、文明の歩みから取り残された時間の空白地帯となっている。


 現在。

 山隠神社は、開発によって行き場を失ったホームレスや、人生に疲れた者たちが吸い寄せられるように集まる場所となっていた。

 彼らは互いに言葉を交わすことなく、朽ちかけた鳥居の下に座り込んで、西の空をぼんやりと眺めていた。


 螺旋らせん状に巻いた高速道路。

 最上部にプールをいただくツインタワーマンション。

 それら建築物の向こうで、赤々と夕日が照っている。

 置いて行かれた者たちの寂寞せきばくが、神域の入口に滞留している。


 そこに、今日、何の予兆もなくは出現した。


 石畳の上空三メートルほど。虚空に一筋のが入る。

 まるでこそげた皮膚から血がにじみ、あふれ、したたるように。

 音もなく、黄昏たそがれ色の気体が漏れ出す。

 鳥居の下に集まったホームレスたちにとって不幸だったのは、燃え上がる赤光しゃっこうに向かって想いをせていたこと。気体それの接近に、彼らは気付かなかった。


 気体が、一番右端に座っていた男の肩に触れる。

 途端、彼の肌が服ごと溶けた。

 男が違和感を覚えて振り返る。

 気体を視認する。

 惨状を認識する。

「ぎ――」

 恐怖が扁桃体へんとうたいに届いて悲鳴という反応を完遂する前に――彼の肉体は生命機能を失ってぐずぐずの肉塊になり果てた。

 二人目の犠牲者は、「腐界ふかいだ」とつぶやいた直後に気体に飲まれた。

 三人目を飲み込む寸前で、腐界は動きを止めた。すでに二人分の肉体は跡形もなく消え去っていた。腐界は、古い神社のこけむした石畳を浸食し、さらにはその下の土の地面までも沸騰させ溶かした。


 残された男たちが一歩も動けず息を呑む中、黄昏色の気体は現れたときと同様に音もなく消失した。後には、いびつな円形にえぐられた、痛々しい地上の爪痕つめあとだけが残された。


 生き残った者たちは、今度こそ全力の悲鳴を上げた。

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