五章 エンパシーゴーストー4

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「そんなバカなことがあるか!」

 叫んだのは、マーティンだ。


「なんとか言ってやれよ。アンソニー。いくら、おれが素人だからって、そのくらいのことは知ってるぜ。クローンは、オリジナルの記憶を受けつがない。脳みその神経回路が違うから、脳波だって変わってくる。もし、そうなら、おれだって気づく」


 タクミはアンソニーとマーティン二人に意識を集中した。二人が同時におそいかかってきても、対処できるように。


「ここからは推理っていうより、ほんとに僕の想像みたいなものです。だけど、証拠があるんだ。僕は、それを確認中のところを襲撃されたわけだけど。なかは確認ずみなんです。見たければ、マーティンさん。アルバートさんの柩をのぞいてみてください。さっき、そこをぬけだしたあと、フタをしめてないですからね」


 アルバートの柩は、かなり奥にある。

 もしも、マーティンがそっちへ行ってくれれば、立ち位置がタクミにとって有利になる。しかし、マーティンは腕をくんだまま、その場から動かない。


「いいから言え。なんだっていうんだ」


「……じゃあ言いますけど。今、あのなかに入ってるのは、アルバートさんじゃありません。アンソニーさんの遺体なんです。オリジナルのね。

 アルバートさんの遺体は凄惨きわまりなかったということですが、あのなかの遺体はキレイなものですよ。

 アルバートさんの死は公式には転落死として発表されてますね。だから、警察も疑わなかった。

 そして、アトキンス家の人は、ほんとは爆死したと知ってるから、誰も柩をあけてみようとは思わない。わざわざ、むごたらしい遺体を見たいと思いませんからね。双子の兄の死体のかくし場所としては、最適でしょ?

 本物のアルバートさんの遺体は、庭にでも埋めたんでしょうね。最初からバラバラだから、処理に労力は必要なかっただろうし」


 マーティンは急にあわてだした。


「待てよ。おまえよ言うように、アンソニーがクローンだとしたら、あの事故で死んだのは、ほんとにアルバートだったのか? それとも、オリジナルの……」


「さあ、そこは、アンソニーさんに聞かないと。事故のときの状況を知ってるのは、双子と、ここにいるクローンのアンソニーだけですからね。

 さっきはオリジナルアンソニーの死体だと言ったけど、ほんとは、いったん兄になりすましたアルバートなのかもしれない。

 ハッキリしてるのは、双子の片方がレースで死んだ。残った一方が、今は、あの棺おけに入っているということです。

 兄を殺害するアルバートの計画がうまくいって、しばらく兄になっていたが、クローンの存在を知らなかった彼は返り討ちにあってしまったと見るか。

 オリジナルとクローンにタッグを組まれて、アルバートは自分の立てた計画で殺されてしまったと考えるか。

 僕が思うに、後者なんじゃないかな? アンソニーは、すごく用心深い性格でしょう? 長年、憎んできた弟にスキを見せるとは思えない。

 それに、アルバートのダイアナへの気持ちが日増しに高まっていくのに、気づかなかったわけがない。

 弟のヤツ、また性こりもなく、おれの女に手をだしやがるな。ベタベタしやがって。なんか企んでるんじゃないか?ーーと、アンソニーなら考えるでしょう。

 なんかっていうのは、ダイアナをつれて逃げるんじゃないかってことも、ふくめてですけどね。

 とうぜん、アルバートの行動は監視してたはずです。アルバートの計画も察知していたと考えるべきでしょう。そうですよね? アンソニーさん」


 意外にも、アンソニーは弁解しなかった。


「ああ。私とオリジナルは何年も前から、二人で一人を演じていた。アルバートがおかしいと感じてからは、私が彼を見張っていた。あの日、ヤツの計画に気づいてないふりをして、マシンを見にこないかという誘いに乗った。オリジナルがおとりになってるうちに、私が背後から近づき、気絶させたよ」


「それで、アルバートをレースカーに乗せて殺害した。そのあと、いつごろか知らないけど、オリジナルが亡くなったんですね?」


「老衰だよ。オリジナルは私と二人一役ができるように、晩年に非合法の三度めのテロメア修復薬を飲んだ。だから、外見は若かったが、じつのところ、かなり行動があやふやになっていた。最期のころは、見ていられないザマだった。ニコニコ笑って、本人は幸せなんだろうが、同じ顔の私は泣けたよ」


「それで、あなたはオリジナルの遺志を継いだわけですか」

「遺志ね。たしかに、これは死者の記憶だ」


「ダイアナさんと結ばれる——それが、オリジナルアンソニーの夢だった。そのためには、彼は殺人さえ辞さなかった。

 今回の三人めの被害者はカメラマンのアーチャーさんだ。でも、オリジナルアンソニーは、それ以外にも殺人を犯している。

 そもそも、アーチャーさんが殺されたのは、そのせいだ。オリジナルの犯した過去の殺人に気づかれそうになったから。

 アンさんの死を知ったアーチャーさんは、彼女の墓前に参りたいと考えた。それで、アンソニーさんに面会を申しでた。

 ビックリしたでしょうね。

 オリビエ、アンさんを始末して、もう大丈夫と思っていたら、思わぬ伏兵か現れた。

 あなたはアーチャーさんに来られては困る理由があった。

 以前、オリジナルダイアナと新婚旅行中に、放浪中のアーチャーさんと、ぐうぜん会ったからです。そのとき、アーチャーさんはオリジナルダイアナの写真を撮っている。

 アーチャーさんを今のダイアナさんに会わせるわけにはいかない。いや、彼が月にもどってきたとなれば、いつ、どこでダイアナさんの顔を見てしまうかわからない。

 絶対に生かしておくわけにはいかない。

 あなたは、たずねてきたアーチャーさんを納骨堂へつれこみ、ここに置かれた彫像で、なぐり殺した。アーチャーさんがアンさんの柩をのぞきこんでるときなら、かんたんだったでしょう。

 アーチャーさんの遺体をすぐに隠しておかなかったのは、時間がなかったからですか? 道具がなかったからですか?」


「両方だ。アンは伴侶も子どももいないし、誰かがお祈りに来るとは思わなかった」


「あとで隠しておくつもりで放置したんですね? アーチャーさんがアンさんのブローチをにぎっていたことに、あなたは気づかなかったんですね?」


 アンソニーは皮肉に笑う。


「気づいていたら、とりあげてるさ。あれは、アンを柩におさめたときに、私がつけてやった、アン自身のブローチだ」


「なるほど。あれは犯人の遺留品じゃなかったんだ。アーチャーさんの遺したダイイングメッセージだったんですね」


 ブローチは、アン・アトキンスのものだった。

 つまり、A・Aのブローチ。

 アンソニー・アトキンスもA・Aだ。


「自分を殺した犯人と同じイニシャルのブローチを、アンさんのえりもとに見て、とっさにつかんだ。マーティンは、それを理解して、アーチャーさんのダイイングメッセージをとり違えさせるために、アルバートさんのブローチを盗んだ」


 マーティンは、しかめっつらをしている。


「そうまでして、アンソニーは、アーチャーさんとダイアナを会わせまいとした。そりゃそうだ。だって、別人なんだから。アーチャーさんの会ったダイアナと、今のダイアナは、まったく異なる遺伝情報をもった、赤の他人なんだ!」


 納骨堂のなかに、タクミの声の余韻だけが、しばし、たゆたう。


 いくつかの息づかいが、かさなる。


 タクミは続けた。


「僕はオリジナルのダイアナの知人をしらべて、彼女の写真を見せてもらいました。それは、アーチャーさんが所持していた写真と同一人物だった。

 アンソニーさん。あなたは以前、少なくとも二人の女性を殺していますね? それは、オリジナルのアンソニーの犯行だっただろうけど。

 殺された二人のうち一人が、オリジナルのダイアナだ。彼女は、ほんとに哀れな女性だった。あなたに利用されてるだけとも知らず、あなたを愛して殺された。

 ダイアナさんは独身で、近親者と交際を断ち、ブロンドの美人だった。あなたの探していた条件を満たしていたんです。

 旅さきで死ねば、アトキンス家の人たちに顔を知られずにすむ。安否を気遣う親せきもいない。

 あなたは最初から殺すつもりで、ダイアナさんに近づいた。今のダイアナさんのクローンを再生するためにです。そのための身代わりとして、ダイアナさんを配偶者にした。

 クローンのための戸籍さえ手に入れられれば、相手は誰でもよかったんだ」


 アンソニーは鼻さきで笑う。

「あたりまえだろ? 誰が好んで、あんな下品な女」

「だからって、これはヒドイ!」


 言い争うタクミとアンソニーの会話に、マーティンがわりこんでくる。


「待てよ。じゃあ、ここにいるダイアナは誰なんだ? どっから、つれてきたっていうんだ?」


 タクミの背中で、ダイアナが息をついた。

 話しだそうとする気配を感じたが、それよりさきに、タクミが答える。


「ムーンサファリから」

「サファリパークからか? 笑わせるぜ」


「ムーンサファリには、民間に知られていない政府の秘密研究所がある。そこでは、あらゆる分野の天才のDNAをかけあわせて、頭脳的にも身体的にも、突出して優秀な人間を造っているんですよ。

 みんな、言ってたじゃないですか。ダイアナのことを、パーフェクトガールだって。ダイアナさんはそこで生まれた。僕らとは、もともとの出来が違うんだ。

 そして、オシリス。

 オリビエさんが殺された日、ダイアナの部屋にいた美青年。彼もまた、ムーンサファリの研究所で造られた優秀な種です。

 オシリスは、あのとき、ダイアナさんの記憶をとりもどそうとしてたんじゃないかな。エンパシーは体に接触してると伝わりやすくなるから。それが、首をしめてるように見えただけで」


 それに、ダイアナの記憶については、ユーベルの夢に感染する能力も関与していた。


 オシリスは何度か、巫子が夢の扉をあけると言っていた。あれは、ユーベルのことだったのだ。ユーベルの特殊な能力が、ダイアナの記憶を触発したのは疑いようがない。


「今にして思えば、オシリスを見たときのアンソニーさんのおどろきかたは、ふつうじゃなかった。オシリスを知っていたからだ。

 アンソニーはクローンと言っても、ただのクローンじゃない。あの研究所で生まれた、特別製のクローンですね?

 これは憶測おくそくだけど、アンソニーさんはこの研究所に多額の寄付をしている。

 経済援助をする見返りとして、年をとってきた自分のクローンを造らせた。向こうから、その話を持ちかけてきたのかもしれないけど。

 さっき、マーティンは言いましたね。クローンはオリジナルの記憶を持たないって。

 でも、トリプルAランクのエンパシストが媒体になれば、できるんですよ。オリジナルからクローンへ、エンパシーによって記憶を複写することが。

 オシリスは現在、月でゆいいつ、これができる。写せる記憶は全生涯の六、七割じゃないかと思うけど。深く印象に残ってる記憶ほど残りやすい。

 つまり、重要なことが残る。

 だから、もし家族に記憶にないことを問われても、忘れたと言えば問題ない。

 アンソニーさんの性格が、弟のアルバートさんの死後、変わって見えたのは、このせいです。

 オリジナルアンソニーは少年時代のコンプレックスのせいで、陰気で内向的な性格だった。でも、本来は双子の弟に似た気質だったんです。

 だから、オリジナルの記憶が完全ではないクローンのアンソニーさんは、アルバートさんよりの性格になった。

 オリジナルが死んでからの彼は、それをかくす必要がなくなった。それで、まわりから見て、ほんとはアルバートなんじゃないかと思われた」


 くすりと、小さく、アンソニーは笑う。

「オリジナルから解放されて、浮かれてもいたしね」


「念願のダイアナさんとの婚礼もひかえてるし、嬉しかったでしょうね。オリジナルが生きていて健康だったら、とうぜん、どっちがダイアナの花婿になるかで、もめただろうし。そうなる前に死んでくれなければ、あなたはオリジナルも殺していたかもしれない」


 アンソニーは、あっさり認める。

「だろうね」


 タクミは悲しくなった。

「それほどまでに、あなたはダイアナさんを愛してやまなかった。すべての始まりは、ムーンサファリの研究所で、あなたがダイアナさんに会ったことだ。彼女はオシリスの配偶者として、ゲノム編集された、特別な女性だ。ほんとの名前を知らないけど」


「イシスよ」と、ダイアナがつぶやく。

「イシス。そうか。エジプト神話で、オシリス神の奥さんの名前ですね」


「わたしたちは遺伝子で定められた完ぺきな一対なの。幸せだったわ。だけど、あるとき、みにくい老人が来て、わたしを殺したのよ」


 アンソニーのおもてが激しく、ゆがむ。

「おまえが悪いんだ!」


 これまで、まったく動じなかったアンソニーが、とうとつに、内面を吐きだした。

 それほど、ダイアナの——イシスの言葉は、彼の心をえぐるものだったのか。


「おまえは、あまりにも美しすぎた。おまえを見た瞬間に、それまでの私の人生が虚しくなった。

 すこやかで快活な弟に好きな女を寝とられて、ねたましさに、ふるえた青年時代。ヤツの顔をニュースで見るたびに、殺してやりたかった。私の顔をした私でない者。

 だが、しだいにヤツの生活が窮乏きゅうぼうし、私自身は身代を成すにつれ、優越感を味わった。それなりの女と結婚し、家族にも恵まれ、社会的地位を得た。経済界を掌握しょうあくするにおよんで、勝利の美酒に酔った。私の人生は他人のうらやむものだと慢心した。私自身、自分の人生に満足していた。これ以上のものを望むことは誰にもできないと信じていた。

 だが、おまえを見た瞬間に、自分の得たものなど、ガラクタにすぎないと悟った。この女を得られないなら、何も持っていないのと同じだと……。

 おまえさえいなければ、こんな思いになることはなかったんだ!」


 血走った目で絶叫するアンソニーは、まるで死人を喰らうために墓場にさまよいでたモンスターのようだ。


 死にたいのに死にきれず、よみがえってしまった、悲しい孤独なモンスター……。


 タクミは、ささやく。

「それは、オリジナルの記憶ですよ。アンソニー。あなた自身のことじゃないんだ」


「だから言ったろうッ? 生まれながらに老いた心を持たされた者の苦しみなんて、君にはわからないと! 私は百二十年生きて、さらにこのうえ百年も生きなければならない。老人の妄執をかかえて。ゆがむなと言うほうがムリなんだッ!」


 血を吐くように叫ぶ彼を、誰も、まともに見ることができない。


 彼の苦悩がどんなものだか、百年の寿命しか生きない者には、決して知ることはできないから。

 それでも、常人の想像を絶するものだということだけは、わかるから。


「そうとも。私は彼女を愛した。記憶の複写を終え、研究所を退所する直前に、彼女の首をしめて殺した。

 死体は研究所で開発していた原子分解機に入れ、細胞ひとつ残らないように処分した。

 研究所にあった彼女のデータやサンプルも、すべて原子にもどした。

 そして、自分のためだけに残しておいた彼女の毛髪をかくし持って、なにくわぬ顔で研究所をあとにした。

 その後、てきとうな女を見つくろって殺した。そう。ダイアナだ。ダイアナの毛髪だと、いつわって、彼女をクローン再生した。何も知らない彼女を、私の花嫁にするために」


 アンソニーは両手で顔をおおった。

 冷たい納骨堂のゆかに、がっくりとひざをつく。

 肩がふるえているのは、泣いているからだろうか?


「……ダイアナ。私は自首するよ。裁判にかかれば、極刑になるだろう。地球送りの刑は、まぬがれない。誰もいない病んだ地球で、たった一人、疫病にかかって死んでいくんだ。私を哀れに思うなら、せめて最後に、キスしてくれないか?」


 涙をながして許しを乞うアンソニーは、すっかり改心して、自分の罪を悔いているように見えた。


 心優しいダイアナは、アンソニーのもとへ歩いていった。アンソニーの肩に、そっと手をかける。


 そのとき、タクミは見た。

 アンソニーの手が、すばやく床に落ちた鉄の矢をつかむのを。さっき、タクミが威嚇いかくで放った矢を。


「だめだッ! ダイアナ——」


 叫んでも、まにあわないことはわかっていた。

 何もかもがスローモーションのように、ゆっくり見える。


 悲鳴をあげて、あとずさるダイアナ。

 矢をダイアナの胸にかざすアンソニー。

 かけよるタクミ自身の伸ばした腕——


「ダイアナーッ!」


 もうダメだ。


 そう思った瞬間、空間がはじけた。

 よこなぐりに落雷が空気をひきさく。

 直後、アンソニーがカベぎわまで、ふっとんだ。

 念動力だと気づいたのは、声がしたからだ。


「イシスを殺して、自分も死ぬつもりだったのか? もう、あきらめろ」

 オシリスだ。

 オシリスは入口をふさぐマーティンをどかせ、優美な足どりで内部へ歩いてくる。


「イシス」

 ひろげた腕のなかへ、その人は走っていった。

「オシリス!」


 抱きあう恋人たちを、どんな思いで、アンソニーは見たのだろう。


 次の瞬間、アンソニーのにぎっていた矢は、彼自身の心臓につきたてられていた……。

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