ガールズ・ワールズ・レコーディングス

黒岡衛星

ガールズ・ワールズ・レコーディングス

 パブリックエネミーを一人飼っている。


 祝詞際本文は十五の誕生日を前にして死ぬ。というのは『アカシックレコード写本』に共通する書き出しである。ありとあらゆる言語で書かれたその書物はあらゆる古書店に存在し、その増殖と翻訳の果てに古書店群を一つの組織へと押し上げた。

 世界規模家の一人娘、友達は十三歳の夏、バカンス先の香港で訪れた古書店にずらりと並ぶ『アカシックレコード写本』を前に初めてそれを知る事となった。


 祝詞際本文が初めて手紙をポストに投函した日、彼女の実家は全焼した。

 祝詞際本文が宛てた恋文は相手を心停止へと追いやった。

 祝詞際本文の提出した作文により国語の担当教諭が三人死んだ。


 世界規模友達は祝詞際本文の友人である。

「ねえ」

 世界規模グループはありとあらゆる技術力を蒐集し、その圧倒的な規模の高層ビル百五十二階ワンフロア丸ごとを祝詞際本文に捧げた。

「これ、そろそろ外してくれないかな」

「慌てないで。貴女の自由は求めるほど遠のいていくわ」

「哲学的だね。きみは銅像か何かなのかい」

 じゃらり、えらく重たげな金属音。

「貴女の目は飾り? まあ蝋人形にならなってあげてもいいわよ」

「三島か。きみは嫌いだと思っていたけど」

「美輪さま、わりと好きなの」


 祝詞際本文は異性装を好む。彼女は気障で、王子様や探偵といったモチーフを好んだ。世界規模友達は上品な、ごく上品な上流階級として最低限の身だしなみをいやみなく身に纏い、別段リアリストということも無ければ夢見がちなところもあまり見られなかった。彼女達が住まうビルには一つの街があったが、その一角を占拠し、与えられ、監視されながら、何不自由なく暮らしている。

「セカ、見てみなよ。世の中はこんなにも面白い」

「液晶の中にも蛙はいるのね。くだらないわ」

「そう言うなよ。きっとインターネットの中にはすべてがあって、気づかないうちに増えていって、あっという間に溺れてしまう。ぼくはそうであってほしい」

「繰り返すわよ。ほんとうに、くだらないわ。今すぐその液晶に頭を打ちつけて死んだらどうかしら」 

「きみが殺してくれるかい」

「わたしが手を下すまでもないわ」

 祝詞際本文、貴女は生きて生き続けるのだから。

 その言葉を隠したのは安い照れ、或いは決意の現れ故であろう。


「つらぽよ、って面白い響きだね。早速使ってみよう」

 祝詞際本文を貫く呪いは何故か電脳を拒絶した。PCを通して書かれる文言に殺傷力はなかった。いや、或いはモニタの前で二、三人死んでいたのかもしれないが、厳密に調べる必要が無かったという程度のものだ。彼女のペンとノートはここにあった。

「あはは! ばかみたいだ。ぼくはばかやろうだ」

 高価なオーディオセットの上でジャズ・ファンクが躍る中、高らかに笑い声が響く。それは中性とするにはあまりに女性的な声であった。


 古本屋は融合していった。時代のポップが『オール・ユー・ニード・イズ・ブック!』と高らかに謳い上げ、もはやそこに新刊書店は無く、電子書籍専門の古書店まで現れた。

「『アカシックレコード写本』ラテン語版、二版、三度コピー、ヤケ、スレ再現あり」

 全ての本は古書となった。新刊は世に出たときから古書として扱われ、古書は古書であるが故に最新のモードをまとう。古書に偽造された新刊、手垢が付かなければ売れない時代。無限の古書店という概念は束となり一つとなって『ワールド・トレード・ブック・センター』を名乗り、2027年5月5日に祝詞際本文を殺す、と宣言している。


 世界規模友達は薄々感づいていた。祝詞際本文の殺害を止められない、その予感を。祝詞際本文は十四歳になった。二人は二人だけのパーティを催し、クラッカーとシャンメリーのコルクが宙を舞い、ガムシロップから香水まで、ありとあらゆる甘い香りでフロアじゅうをべとべとにしてみせた。彼女達は生クリームとチョコレート・ディップ、シルクの下着と拘束衣を用いた倒錯的なセックスを契機に恋人として歩む事を決め、LANケーブルに繋がれた二台のPCで通信することを最初のデートに認定した。祝詞際本文は大いに笑い、世界規模友達はつまらなそうにそれを見つめ、幾度目かの情欲をそこに灯してみせた。


 一年。あまりにも短く、あまりに長い。四季折々の美しさが彼女達を邪魔してみせたが、その世界は閉じられている筈だった。世界規模友達は祝詞際本文を拘束したが、監視する事は出来ずにいたし、その事について随分と苛ついた。祝詞際本文は不登校児でしかなく、世界規模友達は単なる中学生でしか無いのだから。

 わたし、貴女が死ぬのを見られない。

 それは世界規模友達の絶望として、常に傍らにある感情だった。いっそ心中してしまいたい、わたしは貴女と死にたいの。等と安い言葉を吐きそうになった事が何度もあった。その都度彼女は胃液を戻し、涙は一滴たりとも浮かべなかった。


 祝詞際本文は拘束されることを好み、倒錯した性的な遊戯を好み、詩を詠むことを好んだ。

 彼女がウェブログへと投稿した詩はその全てに遺書、というタグを付けて管理した。

「できるだけばかばかしく死にたい」

 とは祝詞際本文の台詞だが、その言葉を聞いた世界規模友達は哀しみ、二人の倒錯的な時間はいくらか暴力性を増してしまった。無論、祝詞際本文は全てのそういった行為に悦んでみせた。


 世界規模友達は古書と戦う事を決意し、二人の時間のその他を、自らが自由に出来る時間の全てを捧げる勢いで読書を開始した。

 逃走と闘争の果てにある活字。あまりの忌々しさに焼き切ってしまいたくなる気持ちと戦いながら、彼女は読んだ。電脳の海に遊び続ける祝詞際本文を後目に、如何様をする事無く、正々堂々と、真っ向から、読み続けた。

 苦行、だろう。快楽は無い。ありとあらゆる古書を、古本を、古雑誌を、古新聞を、それを模したものを、読み続けた。

 偽物の読書。世界規模友達は活字に溺れる事を良しとしなかった。最愛の恋人にして既に古き友人、祝詞際本文を殺させないために。


 彼女が出来るのは読む事だけだった。

 彼女の言葉は人を殺す、それでも書く事を止められなかった。


 二人は踊った。あまりに悲しかった。キスをして、手を繋いだ。お互いの手は、肌は、あまりに心地よく、離れることを拒むようにくっついていた。


 ある日、『ワールド・トレード・ブック・センター』の書店員が集団自殺するという事件が起こった。彼や彼女達が祝詞際本文の詩を読んだのかはわからない。『ワールド・トレード・ブック・センター』はここへ来て分裂し、それらは七つの大罪とともに分類され、バベルの塔は崩落した、かに見えた。

 七つの『ワールド・トレード・ブック・センター』は大いなる哀しみに包まれた。そして『ワールド・トレード・ブック・センター』達は哀しみを共有することを覚えた。おずおずと差し出される哀しみの手を、とったのは果たして誰の手だったのだろう。 

 それは哀であり、愛だった。『ワールド・トレード・ブック・センター』達はもう一度一つになることを望んだ。融合するのではなく、繋がるのだと。


 祝詞際本文を殺さなければならない。

 それは逆恨みだろうか。目的意識だろうか。神に操られた世界の意志だろうか。

 世界規模友達はいつも通りの日常を過ごしていた。祝詞際本文もまた、いつもの日常を過ごそうとして、倒れた。

 毒を盛られたわけではない。二人は同じものを食べ、同じものを飲んでいたのだから。世界規模友達は健康体そのものであった。いずれ世界規模グループを背負わねばならない身である。入念に検査され、念の為二人に関わる数人のスタッフを一新させた。

 ただ、病気であった。不治の病などというものでは無く、凡庸なる風邪であると。

 世界規模友達は呪わなければならない、のだろうか。世界を、神を。病気であれば仕方ないのか、人の死は遅かれ早かれ訪れるの、だから。

 ふざけるな、と彼女は思う。声に出していたかもしれない。祝詞際本文は風邪薬を飲んだが、その全ては世界規模友達からの口移しによってもたらされた。

「キワ、一度しか言わないわよ。わたしは貴女が好きだから」

「ぼくの返事を聞きたい?」

「いいえ。ただ、確認したかっただけ」

「そうかい。残念だな」

「愛の言葉なら聞き飽きたわ。貴女の愛は安すぎるの」

「ぼくは死を生きているんだ。しょうがないさ」

「しょうがない? 死を生きている? 祝詞際本文にはプライドというものがないのかしら。仕方ないからもう一度だけ言ってあげる。わたしは貴女が好きなの。殺させはしない、殺されはしない。貴女は生き続けるのよ。この言葉にはわたしの中で、なんて陳腐で程度の低い枕詞は似合わないし認めないわ。永遠、よ。わたしは死ぬ気なんてこれっぽっちもなければ死ぬことなんて万に一つもありはしないけど、わたしのいない世界でもわたしを愛しなさい。貴女のいない世界はないの。ないのよ」

 世界規模友達が祝詞際本文にくちづけると、祝詞際本文は世界規模友達をひょいと抱えてもろともベッドへ倒れ込んだ。

「セカ、愛してる」

「聞き飽きたわ」


『バベルの再建』をスローガンに愛し合う『ワールド・トレード・ブック・センター』達。

世界規模友達はそこへ飛び込み、ただがむしゃらに読んだ。祝詞際本文はただメールで詩を届けた。

 何も起こりはしない。彼女は死ぬだろう。彼女は生きるだろう。二人は日常を記録していく。彼女が生きた様を、彼女達が愛した世界を、僕達は今、読んでいる。


「本文、貴女の詩、好きよ」

「友達、本を読む君の横顔が好きだよ」


 アカシック・レコード。

 祝詞際本文が記録されている。

 世界規模友達は歌う。

 人生、宇宙、すべての答えが刻まれた溝<グルーヴ>の狭間で、彼女達が祈っている。


 僕達は、それを。

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