第七話

 マリー・アントワネット号の改修はハーバー脇の乾ドックで行われた。


 しばらく出漁できないことをダベンポートは詫びたが、それは特に問題はないとジェームズは言う。あのような謎の船のいるところではシャーロットを安心して遊ばせる事ができないだろうというダベンポートの言葉を聞き、やはり密漁者はなんとかしなければならないと覚悟を決めたようだ。

 すでに後部甲板の電動ハッチは完成していた。大きなボタンを押すと後部甲板が左右に開き、中にアームストロング砲を設置するための架台が現れる。

 電動スライド式のアームストロング砲は別のスイッチで甲板にせり出す機構になっていた。さらに砲身も上下に首を振る。発明というほどの大層なものではなかったが、それでもこのスペースに複雑な機構を組み込んだクレール夫人の腕は確かだった。

「オラーイ、オラーイ……」

 夫人自らが指示し、チェーンブロックで吊ったアームストロング砲を架台の方にゆっくりと降ろしていく。アームストロング砲が予定の位置に乗ったところで夫人は連れてきた工員に指示し、これを六本の太いボルトで固定した。ゴリラのような工員達が大きなスパナを使い、全身の力を込めて巨大なナットを締め上げる。

 夫人がボタンを押すと、小さなアームストロング砲は静かに船体の上にせり出した。首振りも良好。これならそれなりの射程を狙えそうだ。

「さあ、あとはこれを仕舞うだけだけど……」

 夫人は別の大きなボタンを押した。全長七十二インチのアームストロング砲が船体に収容され、最後に左右からハッチが閉じる。

 閉じた状態は以前のマリー・アントワネット号とほとんど同じ見た目だった。

「できたわ!」

 夫人は嬉しそうに両手を合わせた。

「悪魔の漁船の完成ですわね」

 隣で傘を差したミセス・クラレンツァが皮肉っぽく夫人に言う。

「あら、とっても素敵な船よ。何しろ可愛らしいし」

 クレール夫人はぼやっと作業を見つめていたジェームズに話しかけた。

「この船はエンジンを換装してシュナイダープロペラを装備したために少し重心の位置が船首側に寄り過ぎていたと思いますの。私の計算ではこれで重心位置は船の中心、ブリッジの少し後ろあたりになったはずです。これで以前よりもずっと扱いやすい『じゃじゃ馬ちゃん』になったと思いますわ」

…………


 その日の夜、マリー・アントワネット号は早速出撃した。

 先日の偵察の感触では、密漁者は頻繁に南の入江に出入りしているようだ。

 ジェームズはキャプテンに指示をしてマリー・アントワネット号を入江の岩陰に待機させた。船内の照明を全て落とし、闇夜の中に船を忍ばせる。

「来ますかね」

 声を潜める必要まではないはずなのだが、ジェームズが小声になっている。

「君の話では海底にはあんな陶器がゴロゴロしているんだろう? だったら頻繁に出入りしていると思った方がいい」

 ダベンポートは双眼鏡を覗きながらジェームズに言った。

「そうですね……」

「ワクワクしますわね!」

 隣ではクレール夫人がまるで少女のように目を輝かせている。夫人はミセス・クラレンツァが止めるにも関わらず強引に船に乗り込んでしまったのだ。

「……坊っちゃま、来たようですぜ」

 その時、双眼鏡を覗いたまま船長がジェームズに呟いた。

「……また三隻、ですな」

「うん……」

「よしジェームズ君、後ろに行こう」

 ダベンポートは船長に何やら指示をしているジェームズに声をかけるとブリッジから駆け下りた。


 アームストロング砲はすでに射撃準備を完了して船尾に禍々しい姿を現していた。

 と、後ろからトタトタという足音がする。

「ジェームズ様、ダベンポート様、待って!」

 クレール夫人だ。

 両手でスカートの裾を持ち上げ、クレール夫人が後ろからついてくる。

 向こう見ずなクレール夫人の姿に呆れてダベンポートは立ち止まった。

「クレール夫人、ここは危ないからブリッジで待っていてください」

「嫌ですわ。あそこからじゃあ何も見えないんですもの」

「全く、しょうがないご婦人だ」

 ダベンポートは思わず肩を竦めた。クレール夫人を説き伏せるのを早々に諦め、砲台の照準器を覗き込むジェームズの隣に立つ。

 薄暗い海の上、月明かりを背景にして三隻の黒い船が佇んでいるのが双眼鏡の向こうに見える。

「船体を左に九十度回頭」

 照準器を覗きながら、ジェームズは伝声管越しに指示を出した。

『左九十度回頭、アイ』

 マリー・アントワネット号が武者震いするかのように船体を震わせる。

『機関順調』

 マリー・アントワネット号はシュナイダープロペラを唸らせながらゆっくりと回頭し始めた。

 元々港を走り回っていたタグボートだっただけあって、マリー・アントワネット号の機動性は普通の漁船とは別格だ。まるで独楽のようにその場で回転し、すぐに船尾を彼方の黒い船影に向ける。

「キャプテン、右に十度回頭」

『右十度回頭、アイ』

「……もう少し……もう少し……」

 ハンティングキャップを後ろ前に被ったジェームズの口元から呟きが漏れる。

 照準が、合った。

「撃て!」

 瞬間、引き綱が引かれアームストロング砲が咆哮を上げる。


 ドゥンッ


 アームストロング砲は小さな体に似合わない盛大な閃光を放つと、轟音と共に灼熱した砲弾を撃ち出した。


 ヒュウン……


 マリー・アントワネット号の放った砲弾がゆっくりと黒い船の船体中央に吸い込まれていく。

 砲弾は音もなく着弾すると、その場で花火のような火花を散らした。

「あ、当たりましたわ! いえーい」

 ダベンポートの隣でクレール夫人が小躍りする。

 やがて、その歓声をかき消すように海の向こうから着弾の鈍い音が響いてきた。

「よし、続けて第二射、撃て!」


 突然の砲撃に密漁船の乗組員達はパニックに陥った。マリー・アントワネット号の上からでも密漁船の上を船員達が右往左往しているのが見える。

「次弾装填!」

 その間にもマリー・アントワネット号は次々と砲撃を続けた。一隻、また一隻。黒い船からオレンジ色の炎が上がる。

 十分ほど砲撃を続けた頃、密漁船は三隻とも火災を起こして沈没しかけていた。

「ダベンポートさん、どうしますか?」

 ジェームズが照準器を覗き込んだままダベンポートに訊ねる。

 確かに頃合いだ。

「ああ、そろそろよかろう」

 ダベンポートはジェームズの肩を叩くとマリー・アントワネット号の砲撃を止めさせた。

「これ以上砲撃しても砲弾の無駄だ」

 海の向こうで三隻の黒い船が大きく傾いているのが見える。

 遠くの船火災に照らされながらダベンポートはジェームズに言った。

「彼らには生きていて貰わないとね。僕としては別にどちらでも構わないんだが、死なれると事情が判らなくなる。ジェームズ君、船から一本テレグラムを打ってくれないか? 王立海兵隊ロイヤル・ボート・サービスにご登場頂こうじゃないか。彼らの外輪船ならすぐに全員逮捕できるだろう」

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