第二話

 一ヶ月後。


 ダベンポートはリリィを連れてマリー・アントワネット号が停泊しているハーバーに向かっていた。

 天気は快晴。入江を取り巻く高台の道路から朝日を反射する海面が見える。

「アシカって人に慣れるものなんですか?」

 ジェームズの仕立てた馬車の中でリリィがダベンポートに訊ねる。

「ああ、懐くと思うよ」

 ダベンポートは頷いた。

「動物管理部の身体検査も受けて、危険がないことはわかっている。その時に少々おクスリを処方してもらってね。まあジャンキーになるほどではないそうなんだが、心を開きやすくするクスリらしい。もともと人懐っこい生き物だからこれでイチコロだと思うね」

「魔法院の方は本当におクスリが好きですね」

 リリィがいたずらっぽい笑みを見せる。

 リリィが飼っている黒猫も確かに歌をうたうクスリを与えられていた。今はすっかりクスリは抜けたようだが、たまに窓辺で歌っているとドキッとする。

「まあ、そういうところだからね。それに妙な病原体も退治できる」

 ダベンポートはニヒルに笑うと窓の外に目をやった。

「ああ、見えてきた。マリー・アントワネット号だ」

 リリィに指差して見せる先には赤いストライプのずんぐりした船が停泊していた。

「さて、今日はアシカのショーを見せてもらおうじゃないか」


「やあ、お待ちしていましたよ」

 ダベンポート達の乗る馬車がマリー・アントワネット号の後ろに停車するとすぐにジェームズが駆け寄ってきた。

 ダベンポートの後から降りるリリィに右手を差し出す。

「やあ、お招きありがとう」

 ダベンポートとジェームズが握手を交わす。

「ご機嫌麗しゅう、ジェームズさん」

 リリィもその横でスカートをつまんで膝を曲げたが、すぐに

「アシカはどこですか?」

 と本題を切り出した。

 動物好きのリリィからしてみると、ジェームズよりもアシカの方が重大事のようだ。

「ははは、シャーロットならそこで寝ているよ」

 ジェームズはマリー・アントワネット号の隣に作られた筏を指差した。

 確かに、木でできた大きなデッキの上で小ぶりのアシカがあくびをしている。

「慣れたのかい?」

 ダベンポートがジェームズに訊ねる。

「それはもう! 何回海に落とされたか判りませんよ。シャーロットの愛情表現は大胆でね」

 ジェームズは苦笑して見せた。

「シャーロットって言うことは女の子なんですか?」

 リリィがアシカを見つめながら訊ねる。

「ああ、女の子だよ。男の子だと大きすぎるのでね、女の子にしたんだけど、モテすぎて困ってる」

「仲が良くていいですね」

「陸上ならね」

 ジェームズは肩を竦めた。

「顔はコリーみたいなんだけど、遊ぶのは海の中の方が好きみたいでね。何かというと落とされる……さあ、行こうか!」

 ジェームズは大声で船員達に声をかけた。

 すぐにエンジン音が高くなり、船の真下に取り付けられたシュナイダープロペラが回転を始める。

 先に立つジェームズを追うようにして、ダベンポートはリリィを支えながらマリー・アントワネット号に乗船した。

 船の周りが慌ただしくなったことに興奮して、シャーロットが筏の上で両手を叩く。

「アウ、アウッ!」

 シャーロットはドタドタと身をよじると、『トプンッ……』と言う思ったよりも小さな水音を立てて海中に滑り込んだ。

「ポートサイド!」

 舷梯タラップが船内に収容されたことを確認してからジェームズが指示を飛ばす。

「よし、シャーロットを追え!」

 エンジン音に負けないように大声を張り上げながら、ジェームズは船を港の出口へと向けた。


+ + +


 マリー・アントワネット号が順調に晴天の海を進んでいく。

「船底だと酔うかも知れない。ブリッジに上がりましょう」

 ジェームズは二人を誘うと船で一番高いブリッジに上がった。

 中には大きな舵輪、それにエンジンの計器類が並んでいる。一際新しそうな操作盤はおそらく石炭から石油エンジンに換装されたメインエンジンのものだろう。家のレンジもそれなりに複雑だったが船の計器とは比較にならない。

「ふわーっ」

 リリィの口元から思わずため息が漏れる。

「お茶を入れましょうか?」

 ジェームズはそんなリリィの様子をにこやかに見つめながらダベンポートに声をかけた。

「ああ、いいね。しかし、お茶の用意がブリッジにあるのかい?」

「当たり前ですよ。お茶がなければ始まらない」

 ジェームズがお茶の葉っぱを計量しながらポットに入れる。

 流石に乗り慣れている。船が揺れてもジェームズの身体が揺れる様子はない。

 ダベンポートは片手で身体を支えながら前方に目をやった。

「……さて、シャーロットはどこに行ったかね?」

「そこにいますよ。ほら、船の真ん前」

 ジェームズはティーポットにお湯を注ぐとダベンポートに言った。

「シャーロットって速いんですねえ」

 ダベンポートよりも早くシャーロットの姿を認めたリリィがジェームズに言う。

「ああ、この船よりもずっと速いよ」

 ジェームズはリリィに言った。

「魚を見つけるとずっと先に泳いで行って僕たちを呼んでくれるんだ」

 マリー・アントワネット号が岬を周り、ジェームズがいつも漁場にしている南の入江へと向かう。

 と、不意にシャーロットは頭を下げると猛烈なスピードで泳ぎ始めた。身体をくねらすようにしながら左の方向へと泳いで行く。

「キャプテン、シャーロットが獲物を見つけたようだ。後を追ってくれ」

「シャーロット追尾了解、アイ」

 古ぼけた海軍帽を被った髭面の老人が舵輪を回し、船首をシャーロットの方へ向ける。

 すぐに船は鳥山の中に飛び込んだ。周り中をカモメが飛んでいる。

「網を降ろせ!」

 ジェームズは後尾甲板ですでに準備していた船員に声をかけた。

「了解!」

 船員の一人が赤いレバーを操作し大きな網を海に落とす。船は網を引きながら大きく周り始めた。

「シャーロットを捕まえるなよ! シャーロットの位置を確認しながら網を出してくれ!」

「判ってまさあ!」

 やがて船が一周し、網の端が閉じた。

「網を上げろ!」

 リリィが青い瞳を大きく見開く中、魚がぎっしりと詰まった網がウインチで上がってくる。

 もう一人の船員が白いレバーを操作すると、甲板の一部が開き、生簀の水面が現れた。

「よし、良いタラだ」

 ジェームズの顔に笑みが溢れる。

「よし、もう一ラウンド行こう!」


 結局その後三回網を打ち、マリー・アントワネット号の生簀は満タンになった。

 ついでに落とした釣り針にもカレイが掛かり、今日は豊漁だ。

「よし、じゃあ帰ろうか」

 マリー・アントワネット号はその場で百八十度会頭すると帰港し始めた。シャーロットは夕日の差す船の隣でのんびりと泳いでいる。港に帰れば大好物のタラをもらえることが判っているのだろう。時折ジャンプしたり、手を叩いたりして遊んでいる。

「シャーロット、頑張っているんですね」

 リリィは感に堪えないといった様子でジェームズに言った。

「ああ」

 ジェームズが頰を綻ばせる。

「シャーロットが来てから漁獲量が少なくとも二割は増えたよ。何しろすぐに魚の群を見つけてくれるからね。僕たちは大助かりだ」

 ふと、ジェームズはダベンポートに右手を差し出した。

「感謝します、ダベンポートさん。アシカと聞いて戸惑ったけど、おかげで大助かりです」

「なに」

 ダベンポートは微笑んだ。

「どうやら今日は新鮮なタラを楽しめそうだ。この程度のことで美味しい魚を食べられるのならいつでも相談に乗るよ」

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