第5話 皐月の夜は更け、月光は満ち…… Part1

〈2122年 5月7日 8:47PM 第一次星片争奪戦終了まで残り約4時間〉

―グラウ―


「ううっ……はあぁっ…………」


 双眸に差し込む光は青白く、仰ぎ見る空は普段と同じ漆黒の色。この空間は皮膜により密閉されているためか普段より風の通りが少なく、どこか空気を重たく感じる。しかしそれが不味いというわけでもはない。境内に鬱蒼と茂る草木の緑と土の匂いとが鼻腔を通過し、俺の肺を安堵で満たしていく。


 ゼンに別れを告げ教会を去った後、神社ここに返ってくるまでの間、一度だけ世界防衛軍WGの部隊と鉢合わせはしたが――迅疾のネルケと鬼のソノミとの前に、奴らは敵には成り得なかった。そして神社に戻って来てからというもの、俺たちは来たるべき決戦に備え今度こそゆっくりと睡眠を取ることになった、

 ほんの数時間前はゼンと二人で横になっていた縁側に、ぽつねんと横になり……それから先の記憶はない。本当は有事に備えて薄ぼんやりとしているつもりだったのだが、どうやらここまでの戦いの疲労がかなり蓄積されていたらしい。不覚にも眠りこけてしまったようだ。


 さて、いったいどれだけ眠っていたことか。スマートフォンで時間を……と、そうであった。俺のスマートフォン――MetierS9RFはもうこの世に存在していないのであった。

 言わずもがなスマートフォンは現代社会の必需品。十代前半の頃ユスにプレゼントされて以降、腕時計はご無沙汰になってしまった。しかし次の作戦行動時には、万全を期して持ち込んだ方が良さそうか。


「――グラウ、起きてる?」


「ん?」


 耳を震わしたのは――愛嬌に満ちた優しい声。

 クリーム色の髪は出会った頃に比べれば少し乱れてしまっていて、身体のラインを艶かしくみせているボディストッキングは所々伝線している。しかしその蠱惑的な絶対の美貌は、何処も霞んでなどいなかった。

 彼女を例えるならば――立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。しかしその内面は……とても残念、とでも表現するのが相応しいだろう。


「ネルケか。ちょうど良い、今の時刻を教えてくれないか?」


「時刻?わかったわ!」


 無邪気な子供のように元気に答えてくれたと思ったら――どうして双丘の間を弄っているんだよ、この人っ!?の前だというのに無防備過ぎる。まったく、目のやり場に困るんだよ……。


「えっとね……8時50分よ。結界が消えるまでは残り約4時間ね」


 扇情的な音が止み、改めてネルケに向き直ると――彼女の白い手に年季の入った黄金の懐中時計が握られていた。それがどこから取り出されたかなんて…そういう……ことなんだよな?


「もう少し、まともな所にしまってはどうだ?」


「まともな所?うふふ、ヒンヤリとしてて気持ちいいのよ?グラウも触る?」


「……遠慮しておく」


 彼女の被服にはポケットが存在しない。だからそれをぶらぶらさせておくよりは、せめてそこ・・に埋めておいた方がマシなのかもしれないが……はぁ。

 これで一つ、とても大事なことを学んだ――ネルケに時間を尋ねるのは御法度であると。


「ふふふっ!」


 ネルケが懐中時計を眺めながらほっこりと笑みをこぼしている。とても柔和で……その表情を見ているだけで、心にさざ波が立ってしまう。


「大切なものなのか、それ?」


「ええ、もちろん!この懐中時計はわたしの宝物。これがわたしを支えてくれているといっても過言ではないの……ええ、これがあったから何度でも……あっ!気にしないでね、グラウ。取るに足らないわたしの事情だから」


 ネルケは少し決まりが悪そうな苦い笑みを浮かべ、懐中時計の蓋を閉じて再び双丘の奥深くへとしまいこんだ。彼女にも何か悩みがあるというのなら力になってやりたいが……無理に詮索するのもかえって迷惑になるかもしれない。


 ネルケが折角やって来てくれたというのに、ずっと寝っ転がっていては申し訳ない。身体を起こすとするか。


「隣、いいかしら?」


「ああ、構わないぜ」


 彼女は俺の左隣へと腰掛け、撫子のほの甘い香りがふわりと漂ってきた。

 これは良い機会だ。彼女に言っておかねばならないことがある。


「未だに俺は、あんたと何処かで出会ったことがあったのかと記憶を探っている。だが……思い当たる節が一つもないんだ。ネルケみたいな美人を見たら、絶対に忘れたりしないはずなんだがな……」


「わあ………!」


 ネルケは目をキラキラ破顔して……どうしたのだろうか?


「俺、変なことを言ったか?」


「ううん。グラウに美人って言われて嬉しかったの!だからこれからもわたしのことをたくさん誉めてね!もちろんわたしだけじゃなく、ソノミのこともよ?」


「おっ、おう?」


 なんだか面映ゆいな。ネルケと二人っきりで話すのは……これが初めてか。

 別に女性と一対一で会話することに免疫がないというわけではない。同じ佳人であるソノミと話す時でさえ緊張などしないのだが……やはり相手がネルケだからなのだろうか。こうして並んで座って会話をしているだけで、やけに鼓動が速くなってしまう。


「でも、グラウの記憶にないのも仕方ないかもしれないわね。もう8年も前のことだから」


「8年前……?」


 その頃の俺は……まさか――ネルケは、俺の過去を知っているのか!?


「グラウはあの頃から、ずっと裏社会で働いていたわよね」


「!?」


 その通りだが……鎌をかけているというわけではなく、ネルケには確信があるようだ。

 しかし、どうしてそのことを知っている?ユスの知り合いか?それとも――


「グラウ――あなたがわたしを救ってくれたのよ」


「…………は?」


「むぅ~~~っ!ここまで言っても思い出してはくれないのね!!」


 頬を膨れられても、俺はただ呆然とすることしか出来ない。

 俺の脳には――誰かを救ったなどという記憶は一つもない。


「俺は悪人だ。人を殺して金を稼ぐような外道。誰かから奪うことはあっても、誰かを救うなどという正義とは無縁」


 俺はずっとそういう存在だ。これまでの行いに、誇れることなど一つもない。

 それなのに――ネルケは首を横に振ってきた。


「いいえ、あなたはわたしを助けてくれた――わたしの婚約者と父を殺してくれた!」


「なっ!!」


 俺がネルケの婚約者と父親を……!?

 それが事実なら……彼女は俺を恨んで当然のはず。それなのに、どうして助けただなんて――彼女の俺への好意はやはり偽りか。それならば、これまでの彼女の行動の全てに説明がつく。


「ネルケ……どうやらあんたには俺を殺す資格があるようだな。だが――悪いな。争奪戦の前ならまだしも、今の俺は死ぬわけにはいかないんだ。ある男ルコンから妹のことを任され、それにゼンのためにも俺は生きなければ――」


 ここに来る前であれば……長生きしようなどということは願いもしなかった。しかし、今は終われない。果たさねばならない約束が2つ……3つある。

 俺の必死の懇願に対し、ネルケは両手を伸ばしてきて――痛っ!!急に頬をつねってきた。


「グラウぅ~~!人の話をちゃんと聞いていた?わたしはあなたに感謝こそすれど、あなたを亡き者にしようなんてこれっぽっちも思ってない!わたしなしじゃ生きられないような身体にしてやろうとは思っているけれど!」


「っ!俺を油断させた隙に仕留めようという腹づもりではないと?」


「もしわたしが本気であなたの命を狙っていたのなら――もう既にあなたは死んでいるわ。それが何よりの証拠にならないかしら?」


「……確かに」


 非常に説得力がある。

 ネルケの実力は本物だ。彼女が本気を出せば……いや、そもそもネルケがキスをしてきたあのとき、彼女は俺の喉笛を掻き切ることが出来ていたはず。それをしなかったということは……ネルケは俺に殺意など抱いていない?


 けれど未だ納得がいかない。どうして大切な人間二人の命を奪ったはずの俺に感謝などする?

 それを訊ねるよりも前に……もうそろそろ限界だ。


「ネルケ、とりあえず……つねるのを止めてはくれないか?」


「あっ、ごめんね」


 ネルケの手は離れていったが、頬は依然としてひりひりと痛む。

 俺なんかと比べたらずっと小さな手。しかしそこには、男性に負けず劣らずの相当の握力が宿っている。

 ネルケもソノミと同じで――異能力一辺倒ではない。その美貌も強さも、彼女の努力の結晶なのだろう。


「それで……俺はここまであんたの話を聞いたというのに、何一つピンと来てはいない……殺した相手のことなど、いちいち覚えてはいないからか」


「そうね……それなら、わたしの話に付き合ってくれるかしら?」


 頷くと、ネルケは自らの膝の上をポンポンと叩いてきて……どういう意味だ?


「ほら、ここに頭を乗せて?」


「………っ!」


 膝枕……だと!?男性が女性にして欲しいことランキングの上位に入りそうなことを、ネルケが俺に?

 落ち着け、俺!俺たちはそんなに親密な間柄ではない。あくまで仲間同士であってそれ以上の関係ではないだろう。だから、許されるはずもないのであって……。

 いや、でも、待てよ……数時間前、ソノミを逃してしまった後……確かネルケに起こされたよな?あの時、それどころじゃなくて気付かなかったが――俺、既にネルケに膝枕されたことがある?


「グラウ……大丈夫?顔が真っ赤になっているけれど?」


「いっ、いや、大丈夫だ!結論を出すためにもう少しだけ時間をくれ!!」


「結論……?うふふ、照れているグラウも可愛いわね♪」


 どうする……。やはり丁重にお断りさせていただくべきなのか?俺たちは健全な関係を徐々に築きつつあるのであって、膝枕などしてもらったらベクトルが明後日の方を向いてしまうかもしれない。

 いや、でも……わかっている。俺も――それを望んでいる。俺だって男なのだからしてもらいたいさ、ネルケに膝枕を。

 だがあくまで体裁は“どうせ俺が「うん」と頷くまでネルケは満足しないだろうから”。よし、これでいこう――


「ネルケ……失礼する」


「どうぞ、グラウっ♪」


 結局御託など並べられず――身体を横にし、ネルケの膝の上へと頭を落ち着けた。

 これは……やばいな。薄いストッキング地を通して、ネルケの体温をはっきりと感じる。肌が互いに触れ合っているためか、気持ちまで暖まるようだ。おみ足は引き締まっていることもありほど柔らかく、疲れが癒えていくようだ――


「感想は?」


「羽化登仙の境地だ」


「ウカトウセン……?よくわからないけれど、気持ちよさそうなら何よりね!それじゃあ――」


 ネルケの声に耳を傾ける。静寂の神社に響く彼女の声音は、ハープのように透き通っている――


※※※※※

小話 至高の膝枕


グラウ:(ネルケに膝枕されていることを意識してしまうと、気がそわそわして落ち着かなくなる……)


ネルケ:グラウ、どう?わたしの膝枕は?


グラウ:あっ、あぁ……最高だ。癒される


ネルケ:えへへ……グラウ専用なんだから当然ね!でも、これだけじゃ何か物足りないわね……


グラウ:いっ、いや、もう十分だ。十分満足している!


ネルケ:そんなに?てへへ……嬉しいなぁ♪本当はね、グラウ。この体勢なら耳掻きとかしてあげたいけれど、綿棒なんてここにはないしね。だから――!


グラウ:っ!?


ネルケ:頭を撫でてあげるね!どう?


グラウ:良い、とても良い気分だ(昔ユスにもこんなことをしてもらっていたっけ。だから……安心するのかな?)

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