狂気 第二章

 帰宅には真夜中だった。

 両親もろうこんぱいしている。

 疲弊しているがせんぜんとして熟睡するわけにもゆかない。ひとり息子が陰陰滅滅たる閉鎖病棟にて人生のしゆうえんまでもんぜつびやくする想像はあいまいとしながらも圧倒的であった。いずれにせよ息子が閉鎖病棟で生活するためにせつけんやら歯ブラシやら着替えの普段着やらを用意しなければならない。明日また救生病院にばくしんし生活用品を譲渡するために両親は息子の部屋にちんにゆうした。当人の発狂よりっていなかったので息子の部屋は蛍光灯がかくやくとしていた。フローリングのうえにはこうかんの書物がひろげてある。否〈しやしんファイル〉だ。父親が掌握し母親とともにひもとく。いくばくかのぺーじには付箋が添付されている。幼稚園時代から小学生時代までの寡少なる家族旅行のしやしんである。れんえんたるくじらなみの海岸にて家族は微笑している。たるこいびと岬の突端で家族は微笑している。フィッシャーマンズケープの店舗でいくら丼をらいながら家族は微笑している。

 両親はいまも微笑しながらきよしている。

 ていをすすりあげた父親は〈しやしんファイル〉をステンレス製の本棚にもどした。沈黙のどうこくをする母親は片掌でなみだをぬぐいながら息子の〈だいがくノート〉を父親に譲渡する。父親いわく〈かえろう〉と。〈清貴を一生ひとりにはできん〉と。〈家族みんなでまたこの家にかえろう〉と。父親は〈けいかく〉を母親にれきした。なみだでそうぼうをきらめかせた母親はぜんとしており造次てんぱいもなく微笑しながら首肯した。両親は生活用品の準備もほうてきしてインターネット回線のつながる居間にきびすをかえした。PCを起動する。インターネットの通販サイトをいくばくしようようかつして薬剤を購入する。ひとしなみに暖房器具を注文する。クレジットカード決済で明日を到着日としておうどきに時間帯設定をしておいた。いんもうの準備は完遂したが両親は神経がこうようしてにおちいることもできない。顔面そうはくのふたりはよもすがらあんたんたる寝室のとんのなかで息子が誕生してからの人生を物語りあった。

 れいめいまで物語りあった。

 せいひつたるふつぎようどきが到来するとよもすがらまんじりともしなかった両親は滅紫色に疲弊したもとをこすってしようりつした。廉価のデジタル時計は午前五時三〇分あたりを提示している。閉鎖病棟の起床時間は午前六時頃とうろおぼえながら記憶していた。〈ひさしぶりの家族旅行だたのしみだなあ〉と父親がいうと〈何年ぶりかな〉と母親がいった。じんぜんと徹夜したもののふたりはかくしやくたるあしどりで入口のとびらを施錠しスズキ・ワゴンRに搭乗した。ふたりは沈黙していたがくちもとは微笑していた。午前六時に救生病院へほうちやくすると受付で閉鎖病棟の息子への面会をきゆうする。ホールだけそこはかとない照明がついている時間帯だ。受付の心理カウンセラーはちゆうしながらふたりを急性期病棟へきようどうする。えんえん長蛇たる廊下の最涯ての入口で面会の確認をしてけんじんなるドアを開放してもらうとふたりは息子のするびようじよくまいしんした。せきれきとした個室のとびらをあけてもらうと絶叫しつづけている息子を母親が抱擁して父親がてのひらをさしのべる。父親いわく〈清貴ひさしぶりの家族旅行だぞ〉と。

 両親は息子を出口にきようどうした。

 しゆもなくきつきようした夜勤の看護師たちが遠捲きに患者を保護せんとしようしゆしてきた。いわく〈おとうさんおかあさん息子さんはまだ寛解してませんよ〉と。父親はする。いわく〈お医者さんが一生出られねえといったんだ寛解もなにもありゃしない〉と。看護師いわく〈御両親の許可があれば退院させられますがまずは担当医と面会して御料金をはらいいただかないと〉と。一番診察室で神宮寺医師がきゆうきよ診察してくれることになる。ほうこうしつづける患者を幾度かべつけんしながら神宮寺医師はカルテをせわしなくめくっている。やがてカルテにいつ語でぬえてきごうすると両親を凝視した。いわく〈どうなさるおつもりで〉と。微笑する父親いわく〈家にかえるんですそのまえに家族旅行もしたいんです〉と。両腕をくみながら虚空を見詰めた神宮寺医師はまた両親を凝視した。いわく〈いやわたしはまったく賛成ですそれも人生です〉と。〈清貴君はひとに危害をくわえる心配はないでしょう〉と。〈人間は人間として生きて死ぬべきです〉と。

 三人は病院からりよにでた。

 父親いわく〈人生最高の一日だ〉と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る