第七話 宗教

宗教 第一章

 わたしはせきをおこす。

 これはたか高次のせきではない物語だ。

 ほうはくたるアオーレ長岡の大型会場は興奮の坩るつぼとなっており今日の中越プロレス特別試合のらんしようぎようぼうしている。やがて一方からビートルズの「ラブ・ミー・ドゥー」の爆音とともに鳥類のコスプレをしたレスラーが登場し反対側からレッド・ツェッペリンの「天国への階段」の交響とともにナルシスティックな巨漢が現前した。ふたりはリング上でたいする。〈ザ・ニッポニアニッポン対たか高次戦です〉と司会が紹介するとたか高次はリング外の愛妻からマイクを譲渡してもらいする。〈おれと恭子は結婚したこの試合は結婚祝いに恭子にささげるおれは絶対勝つ〉と。会場には万雷の拍手がめきリング上のザ・ニッポニアニッポンはうつゆうたるふうぼうとうしなれてよこにふっている。たか高次が愛妻にマイクをかえすとゴングがひびき試合開始となった。事前に盟約したとおりの出来レースでたか側のがいせんとする予定だった。予定はくるう。しようけつをきわめるとうじようの途中でザ・ニッポニアニッポンがバックドロップをらわせたたか高次の後頭部が不自然にわんきよくした。

 悲劇ははじまった。

 いんしんたる会場はせいひつとなってゆきプロレス・ファンたちはじゆつてきそくいんしながらたか高次を見守っている。たかはリング上にたおれたままでザ・ニッポニアニッポンはべんしている。レフェリーストップがかかりリングドクターがリング上にとうはんすると造次てんぱいもなくさいはいたるレスラーたちに担架にかつがれて会場から退出していった。いくばくかして救急車がほうちやくすると愛妻とともに搭乗しせきそうごう病院に搬送される。中越プロレスの興行が祝日だったこともあり病院には専門の医師が寡少で応急措置をとったのち集中治療室にて手術をぎようぼうすることとなる。二日後百戦錬磨の外科医の執刀により手術が遂行された。おうよりにもおちずにひもすがらよもすがらだんを介抱してきた愛妻は手術室のまえの長椅子でとうしながらやがて熟睡してしまった。四時間後に覚醒すると長椅子に外科医が鎮座しながらかんとして微笑していた。いやな微笑だ。外科医はいう。〈手術の結果予想していたとおりけいつい損傷がみとめられました現在のところ全身が確認され会話もむずかしい状態です万策はつくしますが一生寝たきりとおもってください〉と。

 愛妻はどうこくした。

 ばんこんさくせつの状況にはくの集中治療室にてだんのかたわらに鎮座しきよするしかなかった。いんもうの器機で延命されているだんとともにし落涙しては沈黙するだんに物語った。〈大丈夫なおるからね〉と。〈またプロレスもできるよ〉と。〈せきはおこるんだよ〉と。愛妻は看護師をひんせきしてみずかだんはいせつほうじよまで遂行した。二週間後せいひつなる集中治療室にささやきがひびいた。せきではないが一時的に意識をかいふくしただんなにがしでんせんとしている。きつきようした愛妻はみみをそばだてて傾聴した。だんいわく〈めいわく〉と。〈だから〉と。〈ころせ〉とのことである。愛妻はきようがくしながらげつこうした。愛妻は絶叫する。〈なにが迷惑だよあんたが死ぬのが一番迷惑だよ絶対によくしてあげるからねわたしの人生すべてあんたにささげるよ〉と。といえどだんいんほうこうをききとれなかったようだ。ふたたび沈黙しただんそうぼうめいもくして熟睡しはじめた。絶叫に気付いた看護師がひとり集中治療室のドアをひらいて手招きした。愛妻が肉薄すると看護師はしようじゆする。いわく〈たかさん全身はけっして不治のやまいではありませんわたしなりにですがいくつか有力な方法がありまして――〉と。

 愛妻はでいねいにはまる。

 黙識心通の看護師のきようどうにより百術千慮してゆく。看護師が〈中国では漢方薬や民間療法で全身が治癒したという報告がありますそのほかにも完治まではゆかなくとも針治療が有効ともきいています〉というので愛妻は日本列島津津浦浦をしようようかつして名医とさんぎようされる人物たちにかいこうしていった。つゆいささか高額でも医師の雰囲気がせいかくならばくだんの看護師のそうするとおり東洋医療民間治療代替治療針治療といった医術をだんにほどこしてもらった。だんは治癒しない。幼稚園時代の同級生だという女性から電話でれんらくがあった。幼稚園時代のさいはいなど失念していたが〈あなたのだんさんいま大変でしょう全身ですってね東洋医療も民間療法も駄目だったんでしょう〉というので〈なんでわかるんですか〉とかえした。自称同級生は〈わたしたちの尊師がお見通しでしてねだんさんをれんびんしてなおしてあげたいというのですよ尊師ならばなおせるはずですよいままでも全身の患者さんを何人もなおしてきたんですからね一回おはなししませんか〉という。

 愛妻はせきをねがった。

 ほんとうの悲劇がはじまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る