株札&はいすくーるがーる!

文子夕夏

羅刹篇

第1話:忘却の天才

 五月、上旬。花ヶ岡高等学校一年七組の教室にて。


「次は四時間目かぁ……ねぇねぇ、要ちゃん。今日の放課後は暇だよね?」


「今日? むっちゃ暇だわぁ。何? カラオケとか?」


 最近ようやく歌えるようになった曲があるんだよねぇ――友膳要ゆうぜんかなめはスマートフォンをマイクに見立て、の部分を歌おうとした。熱唱の振りを、しかし倉光早希くらみつさきは「ブッブー」と口を尖らせ制止する。


「要ちゃん、一緒に先週申し込んだでしょ? 忘れた?」


「先週……? あぁーっと……えぇーっと……」


 だから宿題も忘れるんでしょう――早希は呆れたように溜息を吐いた。要は課題提出の亡失が激しい。一応は本人も気に掛けており、手の甲に「課題」と書き記すも、妙なところで素直な要はすぐに手を石鹸で洗い……。


 果たして記憶ごと、綺麗さっぱりと洗い流すのだった。


「行ったじゃん、放課後に! 花ヶ岡名物金花会にさ!」


 金花会――このワードが要の古びた記憶を叩き起こした。




 そうだ、私は確かに先週の金曜日……早希と金花会に行ったじゃないか! 行って…………あっ。




「行ったわ、私。何だったら紙に名前書いたわ。『入会します』って」


 早希はホッと胸を撫で下ろす。友人に早くも痴呆が始まったのかと気に病んでいるようだった。


「でしょー? 今日は金曜日だから、《金花会》も開いているじゃん? 忘れたら駄目だよ、約束だからね!」


 タイミングを見計らったのか、授業開始のチャイムが鳴る。早希は「手の甲に書いておけ」と指示を出し、自席へと戻って行く。


「……良し、これで大丈夫っしょ」


 ニッコリと笑み、マジックペンを置いた要。手の甲には大きく「きんかかい」と書かれていた。


 彼女にとって、正確な漢字などどうでも良かった。友人と向かう場所――それを憶えていれば問題は無い。


 後は、彼女がトイレに行った際……を念入りに洗わなければ、だが。




「あぁーもう! 要ちゃんの脳みそ、絶対スムージーで出来ているじゃん! お腹壊すぐらい飲むからいけないんだよ!」


「うぅ……」


 時は移ろい、放課後となった。


 全ての授業が終了し、ガヤガヤと生徒が行き交う廊下を――要と早希は歩いていた。要のネクタイを犬のように引っ張る早希は、「全くもう!」と憤慨していた。


「そりゃあトイレに行ったら手を洗うよ、百歩譲ってメモを洗い流したのも仕方無いよ。でもね、すっかり忘れて図書室で漫画読むってどういう事なのさ!」


 早希の言う通り……要は「放課後の約束」を結果としてすっぽかし、図書室で漫画を読み耽っていたところを、怒り狂った彼女に発見されたのだった。


「いや、そのね……? 歴史苦手だからさ、伝記漫画シリーズで入門しようと……」


 要が読んでいたのは『清水次郎長』編である。今後の三年間において、偉大な博徒が歴史の授業で深く掘り下げられる事は考えにくい。要は選択ミスを犯した。


「じゃあせめて、『徳川家康』とか、『織田信長』とか! 授業に出そうなものから読みなよ!」


 言い返す事も出来ず、ションボリとした子犬――もしくは要――は、間も無く目当ての教室へ到着した。閉じられた引き戸の向こうからは、賑やかな声が漏れ出している。


「ほら、ネクタイ直して」


「早希が引っ張ったのにぃ……」


 ブツブツと文句を言いながらも、手鏡でネクタイを整える要。


「良いね、じゃあ入ろっか」


 ガラリと早希が戸を開ける。彼女の後ろから覗き込むように、要も少し背伸びをした。




 沢山の生徒。打たれる札の音。一喜一憂の驚声。柔らかであり、妙に張り詰めた空気……。




「いらっしゃいませ」


 丁寧な一礼で以て、下級生の二人を歓待する女子生徒がいた。要は同性でありながら、気恥ずかしくなるような美貌の先輩の顔だけは憶えていた。


 確か、この人が一番はず。名前は……斗路とうじさん、だっけ?


「あぁ、先週お越し下さった……」


 ニッコリと微笑む美しき先輩――斗路は、要と早希の事を記憶していた。思わず要は誇らしくなり、「そうです」と早希の後ろでピョンと跳ねた。


「倉光さんと、友膳さん……でしたよね?」


 ご用意しております――鍵付きの大きな木箱を開けた斗路は、所狭しと収まる巾着袋から迷う事無く二つ取り上げ、要達の前に置いた。


「おぉ……何か神々しいね」


「うん、触って良いのかなぁ」


 物珍しい宝物を眺めるような二人に、斗路は目を細めて言った。


「お納め下さいませ。巾着袋とその中身は、今からお二人の専有品で御座います。貯めてお買い物に使われるも良し、技術とちょっぴりの博才を混ぜて打つも良し……ご自由にお使い頂けるのですから」


「あ、あの……!」


 要が目を輝かせて斗路に問うた。


「はい?」


「開けても良いんですよね」


「えぇ、勿論で御座います」


 要と早希は巾着袋に手を差し入れ……碁石程の大きさの――《花石》を観察した。


 花ヶ岡高校の校章が刻まれたそれは、年季は感じられるものの良く手入れがされているらしく、天井の照明をキラリと反射した。


「綺麗……すっごいねぇ」


 早希の感想にコクコクと頷く要。斗路もそんな二人が微笑ましいのか、クスクスと笑っていた。


「花石の管理は会計部で……と以前お話しましたが、何も出納業務だけではありません。椿油を使い、お預かりした花石を磨き上げております」


「へぇー……手間が掛かっているんだなぁ」


 要は手の中で輝く花石に語り掛けるように言った。


 ところで――斗路が思い出したように問うた。


「今日はどうされますか? お初の方々に向けた講習会を、あちらで行っていますが……」


「えっ、本当ですか? 要ちゃん、勿論受けていくでしょ?」


「うん……行く、よぉ」


 要は未だに花石の魅力に取り憑かれていた。構わず早希は彼女の首根っこを掴み、講習会の方へと歩き出した。


「お楽しみ下さいね」


 斗路はヒラヒラと手を振り、持ち場である受付に戻った。

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