第48話 Reviver

何度、自分の醜さに敗北して、その度にこの先の光景を忘れ去ってしまったのだろう。

何度書き換えていたのだろう。

都合のいいように捻じ曲げていたのだろう。

そうして、幾夜の中に嘆き、暁に涙した事か。

しかし、今日は希望と共に朝焼けに立つ。

深い絶望の底から這い上がったのだ。

深い絶望で濡れた床も赤く乾いていく、垂れていく赤い涙で花が咲く。

一粒の砂に世界を見、一輪の花に未来を視る。

絶望に明日を見せつけるように今日を生きていく。

不確かな明日を確かに踏みしめて行く。

だから、先の光景を見に行かねばならない。

何があったのか思い出さねばならない。

だから遊は別れを告げて、屋上を後にする。

摩天楼の中に入って階段を降り、静かでそれでいて賑やかなパーティ会場へと入って行く。

あの日の結末が、遊を待っている。










「父さん…遊……僕は、――俺は…」


苦しそうに元樹は言い淀んでいる。

言葉が出そうで、出ない。

喉から先に出せそうなのに、出せない。

自由になりたい心と、今まで従順だった心が鬩ぎ合い、言葉は次第に水泡のように消えていく。

いざ言おうとしているのに、躊躇ってしまう自分がいる。

だからこそ、自分はダメなのだ。

だから、いつまでも他人の顔色を窺う操り人形に過ぎないのだと自嘲する。

だから、荒唐無稽な夢を語れる大馬鹿者に感銘を受けたのだ。

自分の理想を彼に重ねて。

憧れていた。

そこに行けば、なりたい自分になれる気がした。

しかし、彼には届かない。

大きな溝がそこにはある。

それに尻すぼみして、歩み出せないから結局進展も進歩もない。

同じことをなぞるだけ。

だから、届かない。

溝が埋まらないから、距離が離れる。

あるものをあるものとしてただ享受するのではなくて、自分の糧とするそのあり方。

困難な状況にも負けないその精神力。

周りの目を気にしない胆力。

どれをとっても自分は遊に劣っているだろう。

欲望をより良い形に昇華させ、出力して良い結果を生み出す。

欲望の出し方が上手い。

欲の発散の仕方に舌を巻く。

それに対して自分はどうか。

欲望を上手く処理できず、ただ鬱憤を溜めるだけ。

そうして、肝心な時にその欲に振り回されて結局、尻拭いを誰かに頼む。

二兎追うものは一兎も得ずだなんてよく言ったものだ。

もし仮に、勇気ある一歩を踏み出せたら。

そのまま走っていられるだろうか。

彼とともに。

彼とともに歩めるのなら、どれだけ素敵なことか。

今までよりもずっと鮮烈で貴重な体験ができるだろう。

人生により満足できるだろう。

死んでいるような現状のこの状況から復活できるだろう。

そうしたら第二の誕生を迎え、生きる為に生きるのだ。


(──だから、神様。この声が聞こえているのなら僕に勇気を下さい。死の淵から蘇ることが出来る力をください。──どうか。──どうか。後戻りできないような致命的な進歩を)


神は声を出さない。

神は答えない。

そして、神はサイコロを振らない。

何故なら全知全能にとっては、人が起こす行動など予測可能だからだ。

わかりきっていることをいちいち声に出して言わない。

しかし、彼は──塚原遊は人間だから、言葉を用いて救いあげる。


「元樹…俺は、自由になっていいと思う。お前はお前だ。他人の道具じゃない。そう運命さだめづけられたものじゃない。反抗したって何したって…お前に後悔さえなければ、…極論、それでいい。お前が幸せなら、それで良い」


もちろん、その言葉に待ったをかける者もいた。


「君は…例えば、それで元樹が人殺しをしてもいいと言うのかね」

「違う!違う!あんたは自分の子供が殺人に手を染めるって言いたいのか?」

「まさか。キチンと教育すればそんなことは起こりえない。そう、私の手で教育するのだから。しかし、それを君が邪魔する。人というものは楽な方へと逃げるものだ。非行少年なんかもそうだろう?グレて、人の道徳を守らない。もし元樹が一度でも自分の意思で殺人を犯してみろ。『殺人は癖になる』。殺人が人を快楽殺人犯倫理観の壊れた快楽主義者にする訳では無い。ただ、殺人という安易な問題の解決方法を覚えてしまったら二度と、人は他の道を選ばない…後悔しても命は取り戻せない。その殺人という行動に対して後悔しないならば、人としての心は取り戻せない。だから、教育するのだ。間違え方を知れば、人はそれを避ける」


極論ではあるが、決してないとは言い切れない。

その言葉に一定の正しさを遊は認めて。

でもそれでも対処法に納得がいかないようだった。

だから、糾弾をする。

少年らしい純粋さで。

諦めを知らないで。


「だからって飼い殺しはいい事なのか…そんなの、死んでるのと同じじゃないか」

「躾をしなければ、人は悪に染まる。道徳がなければ、夜警がいなければ、法で縛らなければ人は暴走する。本来自由というものは、自身の行動に責任を持つという責任に雁字搦めにされるに等しい。幼くして、その責任を負える筈もない」

「躾は、夢も見せないのか!?希望も、ただ壊すだけのためにあるのか!?」


それに父親はふっと笑って。

言い聞かせるように謳った。


「理想は見せるさ…しかし、夢は醒ますものだろう?」


堂々と言い放った。

勝者が決まったかのような言い方で。

事実、遊はそれに何も言い返せない。

それを正しいと認めるほどの理性があるから。

理性があるから、頓珍漢とんちんかんな答えは返せない。

わかってしまったらもう駄々を捏ねることも出来ない。

どこまでも純粋で、愚直で、不器用だ。

でも、遊も──そして元樹もその理屈に納得できない。

理性で理解しても、感情で理解できない。

言い返さなければ、気が済まない。

ただ黙っているだけでは治らない。

遊は元樹の為に憤っているのに。

———どうしたらその気持ちを裏切ることができるのだろう?


「違います!…いや、違う!」

「何が違うと言うんだ」


勇気のある少年は言い放った。

己が畏れを抱く存在に。

違うと言い放つと、すっと息を吸い込む。

次の一言に魂を賭けるような気持ちで。

相手の心を穿つように。

力を溜めて。

──溜めて。

──溜めて。

──溜めて。

────解き放つ。


「夢は見るものでも、諦めるものでもなくて、叶えるものだから」

「元樹、残念だが夢を見たまま現実は生きられない。甘い幻想を抱いたままでは手柄は手に入らない。叶いもしないガラクタなど捨て置け、そうして開いた手で必死に現実に、強い相手にしがみ付け。寄らば大樹の陰。長いものには巻かれろ。郷に入っては郷に従え。それがこの世界という現実だ」


だが、突き出した言葉は、人生経験という盾に阻まれて届かない。


「そんなことをして子供の夢を壊す奴の言葉を俺は信じない。…確かに俺の夢も、何もかも、この世界で叶えることは難しい。難しいことを続けるのは苦しいさ。困難にぶち当たって挫折しそうにもなる。苦しみから逃げるのが悪か、苦しみに立ち向かうのが愚かかなんて、誰にもわからない。…でも、自ら困難に挑戦しようとする奴の足を引っ張る奴は紛れもない悪だ。啓蒙を騙る邪悪だ」

「邪悪ではない、偽善だ」

「本心からの行動ではないと?」

「そうだ。誰がこんなことを好き好んでやるものか。人の心を折ることなど。———それも大切な子供の純粋さを汚すなど。しかし、誰かが教えねばならない。取り返しのつかなくなる前に。その為ならば愛しい存在に恨まれたって憎まれたって構わない」


男は、愛していると言った。

そう、愛ゆえの行動だったのだ。

ただ過保護に、愛の表現の仕方が歪んだだけ。

この男にとって、元樹に理想の行動を強いるのは歯を磨けと子供に叱るのと同じなのだ。


「棘をとっただけの優しさなんて、本人の成長を妨げるだけだ。何で、そんなに早いんだ。現実が辛いなら、諦めなきゃいけないのか?…挑戦もしてはダメなのか?」

「私は、そのたった一度の挑戦で、大切なものが落ちぶれていく様を見たくない。だから私が幸せに————」

「———父さん、あなたが俺のことをよく考えてくれていたのはよく分かったよ。確かに、教えてもらったことはどれも俺の役に立ってる。でも、ごめんなさい…俺は…束縛された人生に意味を感じられない。楽しさがないんだ。決められたレールを行くだけの人生なんて枷だ。だから俺は、遊に憧れたんだ。夢を追って走り続けられるその在り方に」

「————」

「だからごめんなさい。だから俺はあなたの期待を裏切ります。裏切って自分の手で幸せを見つけに行きます。怯懦に打ち震えても、偽善に貶められようとも、俺は、俺の意思で生きていく。俺の意思で、あなたや母さんを頼って精一杯生きていきます。だから、止めないでください。そして都合のいい話だけれどもし、もしこの生き方が成功したら、遊に謝れ!」

「…そうか、私は知らず知らずのうちに抑圧をしていたのか。…これでいいと思っていたが…はあ。妻にも謝らなければな。…だが、私はまだ認めてはいないぞ元樹。お前が世界で一番幸せになって、私に証明してみろ。その夢の叶え方を」

「…ッ!」


思わずも元樹は泣いた。

今までは父親の言うことに従って無感動に生きてきた分、余計に涙がこぼれた。

涙で前が見えなくて、拭っていたら父親が遊に近づいていくのを見逃した。


「塚原遊くん、だったかな。…さっきはすまない。謝って済む事ではないが、謝罪させてくれ。私の人生の宝物だから、少し熱くなってしまった。本当にすまない。そして厚かましいお願いだが、元樹を支えてやってほしい。あの子は抱え込んでしまうから」

「ええ。あなたが、元樹を思っていることは伝わりました。任せてください夜喍 宏輝こうきさん。俺たちはきっと幸せを掴んで見せますよ」


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