第14話 もし、八年前に手紙が書けたなら

荘厳と言っていいほど、几帳面に整えられたパーティー会場。

全力で走り回っても全く窮屈さを感じさせない部屋の広さ。

豪華絢爛とも言える調度品の数々。

古今東西から取り寄せた、色とりどりの食材。

様々な人種があちこちで料理片手に笑みを交換しあっている。

もう既に宴もたけなわ、大体の銘柄の酒やワインは空けられ、それでも尚、雰囲気や酒に呑まれた大人たちがさかずきを酌み交わしている。

ゆったりとした音楽が雰囲気を醸し出している。

その光景は時代錯誤感甚だしいが、お城で開かれる舞踏会のようだ。

これが高層ビル群の中にあるビルの一角の中身だと言うのだから驚くばかりだ。

天を衝く摩天楼は厳かに化粧をし、昼夜を問わず踊り明かす。

そんな場所に場違いな子供たちはいた。

数は大人たちの半分にも満たない。

誰も彼もが大人たちの事情に巻き込まれた御曹司たちだ。

御曹司と言ったが、若干名少女も混じってはいる。

このパーティーが始まってから幾ばくかの時間が経過したため、既に彼ら彼女らの役目である『挨拶』は終わっており、皆早く終わらないものかと飽き飽きとしている。

その中に遊はいた。

親たちはこれでもかと浴びるほど酒を飲んでおり、子供たちの物欲しそうな視線には見向きもせず、杯を掲げている。

その中に遊はいた。

子供たちはいつまでも杯を傾けている大人たちにしびれを切らして遂には家柄に囚われずに話すようになった。

そこには大人たちのように会話をするのに卑賎は関係あらず、子供たちならではの価値観でできたグループで親の帰りを待っていた。

遊は、その中にいた。

遊も既に挨拶した人の中で話したいなと思った人に話しかけようとしていた。

視界の端にチラリと撫で下ろしたような髪が移る。

振り返ると、そこには話しかけようとしてあと一歩及ばなかったような顔をした元樹が立っていた。


「あっ…」


くるりと体を翻して元樹の元へと行くと、気の抜けたような間抜けな声が口から漏れて来た。

遊は丁寧に尋ねる。


「あの、どうしたの?」

「いや、その…」


しどろもどろになって困り果てている元樹。

どうやら話しかけようとしたのだと察した遊は言い出しづらいならこちらから、と歩み寄る。


「何か話す?」

「…うん」


先程の緊張した顔とは打って変わって幸せそうに頷く元樹に遊も笑顔で話を始めた。









「――だから、そういう人達でも活躍出来るように、特別な才能なんてなくてもできるんだって証明したいんだ」

「す、すごい!すげぇ夢だよそれ!――あっ!」


感極まってつい素の口調が出てしまった元樹。

取り繕うにも、口から出た言葉は戻らない。


「ん?あ、別に丁寧語じゃなくていいよ――いや、いいぜ」


その様子に朗らかに笑って、優しくそれでいい、と遊は教えた。

こちらも態度を崩すことで相手が抵抗を感じないように。

それにあちらもにっこりと笑って話そうとしたその時。

二人の間に影が落ちる。


「元樹」


ワックスがけをしているだろうカチコチな髪にきっちりと整えられた顎髭が近寄りがたさを助長するような平均より少し背の高い男。

その黒縁眼鏡の奥の瞳は睨んでいるのかという程の迫力で元樹を見ていた。


「は、はい」


調、応じる元樹。

そこには畏怖のような感情が芽生えていた。


「何度言ったらわかるんだ。あそこではあの方が一番才覚に溢れていたのだ。他の者を差し置いてでもあの方の息子と縁を持つべきだ」

「その、通りです」


呆れたような強くはないがキツい言葉が投げかけられる。

叱られている。

元樹が萎れて、怒られている。

よりも、遊はその事実に憤りを覚えた。

まだ関係の浅い間柄のはずなのに。

会ってまだ間もないはずなのに、腸が煮えくり返る思いだった。


「それを不意にしてまで他の子と話すとは何事だ!…まぁ、恥ずかしがって誰にも話しかけられないよりはマシだが」

「ごめんなさい」

「はぁ…まぁいい。だが、元樹。何度も繰り返して言うがあの方々に挨拶するのが最優先事項だったのだ。それが

「はい…」

「分かったら挨拶周りを続けるぞ」


叱られたら、萎れて謝る。

言われたことには全肯定。

不満も心の奥底で押し殺して口に出す気配がない。

疑いも、反抗もする様子がない。

完全に父親の言いなりになっている。

まるで道具のような人生だ。

このまま行けば、もしかすると都合のいい道具のような人生にしかならないだろう。

決められたレールをただ走るだけのなんの面白みもない人生。

遊にはそれは酷く退屈そうに映った。

そして自分のことではないのに、その事実は遊は腹立たしかった。

元樹の代わりに酷く憤った。

ただその憤慨を知るよしもないと元樹の父親は彼の手を引っ張っていく。


「…」


ちらりと此方を伺う元樹の視線は申し訳なさそうだった。

その背中を遊は見つめていた。


『――掛けてあげましょう?魔法の言葉を。彼が反抗できるような勇気を持てる魔法を』


甘い声が、耳元で何事かを囁いて来た。

遊にはそれが元樹を励ましてやれと言っている気がした。









気がつくと、目の前には小さくなりつつある背中があった。

先程までは映画館の巨大なモニターで映画を見ているような夢を見ているような酩酊感に似た感覚があったのだが、今は違う。

たしかに地に足をつけている感覚がある。

平衡感覚がおかしくなっているということもない。

おかしい、と思う。

列車の時から思うのだが、夢を見ている時というのは体は寝ている訳で、夢の中で立っているとすると現実の体は少なからず立っているような姿勢は維持できない。

つまり、平衡感覚に齟齬が生じ、上手く正面を見据えられなかったり、視界がブレてしまうはずである。

なのに、それが全くない。

夢だと意識していないならいざ知らず、明晰夢に近いこの状態で視界がまともというのは遊にとってとても珍しい事だった。

これは夢と言うよりは、さっきが完成した映像を見る側だとしたら今は舞台に立っていると言った所だろうか。

感覚は現実に近しい。

だから遊は夢だと未だに確信ができない。

どちらかと言うと、


(本当に、常にテープの回っているドラマの撮影みたいだ)


つまり遊は、という事で。

演技次第でどのようなドラマも生み出すことができるだろう。

もちろん、元樹が親の言いなりを辞めると言った事も可能性としてはある。

そうしてグレて、校則ガン無視のあのスタイルになっていくのだ。

筋書きは完璧。

あとは実行する演者次第。


(オールバックじゃないとかそれはそれでダサいな。服に着られてる感じがする。…それも、纏ってる雰囲気が違うからかな。やっぱあいつはあのスタイルが一番だな)


今の彼にはオールバックになっている時のようなオーラがない。

ならば、取り付けてあげればいい。


「元樹ッ!」


その名を叫ばんばかりに呼ぶ。

その声はパーティー会場によく響いた。

その行為に一気に周りの視線が集中するが、知った事ではない。

羞恥や外聞などお構い無しに伝えたいことを伝えるという鋼の意思で。


「ッ!」


元樹が驚き、こちらを振り向く。

信じられないものを見た、と。

その眼差しは期待していた。

、と。


「元樹…親の言うことを素直に聞くのはいい。だがな、お前は道具じゃないんだ。親の便利な道具じゃないんだ。お前にはお前の人生を選ぶ権利がある」

「…え?」

「元樹、お前はどうしたいんだ?髪をオールバックにしてグレてもいい。損得勘定抜きで興味のある相手に話しかけてもいい。魔法使いをめざしたっていい!俺はお前の人生を肯定する。だから、言いなりになってんじゃねぇよ!」

「君、うちの元樹を誑かすのを辞めてくれないか。そもそも私は元樹のためを思って、元樹にとって最善の選択をしているに過ぎない。それを道具として扱っているなどと、戯言は辞めてくれ」


やれやれと肩を竦めてその男は言う。

その言葉は遊の感情に油を注いでいく。

最低限のマナーであるはずの敬語すらも使うのを忘れて怒鳴る。


「最善ってなぁ…選びとるものであっても与えられるもんじゃねぇ!与えるのは奪うのと同義だ!そう言ってその行為を続けていけば元樹は肝心な時に選択を出来なくなるぞ!」

「そうならないために教育をするのだよ。時が来れば、自ずと選びとるようになるさ。自由に、ね」

「いいや、ならないね。そもそも成れないね!それに教育って言ってもそれはあんたの価値観の刷り込みだ!その時が来て決断する時も、元樹はあんたの回答をなぞるだけだ!そんなの自由意思じゃない。そんなの、人間の生き方じゃない!」

「人の生き方、ね。そんなに小さいのに知ったような口を聞く。君が何を言おうが、これは元樹にとっての最善だ。人間誰だって自由に選ぶなら、楽な方、簡単な方、最善の方に行く。違うかい?」

「違う、それはあんたにとっての最善だ!奪うあんたからしたら、奪われる立場の気持ちなんて理解できないよな。自由自由と言っておきながら、あれもダメ、これもダメ、ここはこうしなさいなんて道筋を一本に絞ってたらな…そりゃあ自由なんて呼ばねぇんだ!」

「だからさっきから言っているだろう。これが最善だと。元樹はまだ世間を知らない。だからこそ教育者であり、保護者である私がしっかりと教えなければならないのだ。元樹、今のお前ならばわかるだろう?どちらの意見に賛同するべきか」

「父さん…遊……僕は、――俺は…」



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