第41話 彼らの日常には

「ねぇ、遊くん。目覚めてよ。目を開けてよ…お願いだから…もう…限界だよ…寂しいよぉ…このまま眠ったまま、なんて嫌だよぉ…」


声がする。

答えなきゃいけない声がする。

その言葉に応えなきゃいけない、声がする。


「元樹君も、叶依ちゃんも、美智叔母さんも…みんな、心配してるよ?」


美智…俺の母さんの名前か。

、みんなか…、じゃないんだな…。

まぁ分かりきった事か。

それにしてもここはどこだ?

声が出ない…。

ただボコボコと口から泡が出るだけ。

でもその泡もすぐに海の青さに消えていく。

青すぎて周りも青く染まっている。

何も見えない。

青い暗闇に置き去りにされているみたいだ。

まぁ見えないのだから暗闇も海も変わらないか。

それにしても俺は現在進行形で溺れているのだろうか?

ゆっくりとだが確実に体が水底に沈んでいく。

四肢に力が入らず、眼は今にも閉じそうだ。

そんな状況でも声がする。

息は不思議と苦しくない。

でも長くここに留まりたくはない。

それどころか本能が全力でここを離れろと警鐘を鳴らしている。

でも人ってのは不思議と離れろと言われたら離れたく無くなるな。

カリギュラ効果って奴か。

でも何をするでもなくボコボコと口から機械的に吐き出されていく泡を見ていく。


『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまったよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』


聞き覚えのある、というか有名な話だなぁ。

小学校の教科書に今なお遺る童話の中で一、二を争うほど衝撃的な話。

高校生となった今でも何故あれが小学校の教科書に採用されていて、何を伝えたかったのか分からない。

著名人宮崎賢治の作品やまなし。

まだかの世界に魔法なんてなかった時代に書かれた幻燈の一つ。

あぁ、確かにこの光景は小学校でやまなしを音読した時に感じた場面だ。

とても似ている。

半ばその世界に入り込んでしまって授業を疎かにしたんだっけ。

それで注意されて、――あぁ、隣の席にいた凛華にくすくす笑われたんだっけ。

お前のあの時の笑顔が見たいよ。

みんなで笑いあっていたのに、いつの間にこんな事になったんだろうな。

大事なものは失って始めて大切さがわかるって事か。

平和って…こんなにも大事なものなんだな。

日常ってのは享受するのは本当に難しいものなんだな。

ありありと実感したよ。

そういう星のもとに生まれたのかな。


「ねぇ…なんでこうなっちゃったのかな…。私たち平穏に過ごしてきたよね…何も悪いことしてないよね…。なんで千佳ちゃんが…。遊君も、こんな事になっちゃうし。……遊君今どんな夢見ているの?千佳ちゃんも事件に巻き込まれてなくて、お父さんも殺されていないのかな…?三ヶ月も眠り続けるほど、幸せなんだろうね。こんな現実より」


その言葉とともに大きな気泡が遊の横を通った。

そこに映っていたのは降りしきる豪雨の中で

墓標の前で打たれるがままに立ち竦んでいる少年だった。

見たことがある。

俺はこれを

次に映るのは鉄パイプを振り下ろそうとする少年とオッドアイの男との争い。

父親との別れ。

少年への啖呵。

少女への叱咤激励。

全て、既視感がある。

というか忘れもしない光景。


「夢…理想と現実だったら確かに理想がいいよ…いいけど…でも、それで遊くんはいいの?」


…良くない。


「全てが丸く治まっていて、なんにも怖いことがないって妄想に逃げてて…悔しくないの…?」


悔しい…。


「そんな…こんな事じゃ!みんな救われないよ…誰も救われない…全部無駄だよ…」


無駄…。

無駄にしちゃダメだ。

意味を無意味にすることがどれだけ愚かな行いかなんて虫でもバクテリアでも知ってる。


「そして…何より…私を独りにしないで。世界のためじゃなくていいから…国のためじゃなくていいから…お願い。身近な人を守るってその為だけでいいから、帰ってきて…。心配で張り裂けそうなこの胸を優しく包み込んで安心させてよっ…!私の事、好きだって言ったくせに!」


凛華が悲しんでる。

心の底から、喉奥から慟哭を放っている。

俺がなんかしたから。

俺が絶望したから。

俺が夢を見たから。

俺が目覚めなかったから。

俺が逃げたから。

だからこそ目覚めて彼女に伝えなきゃ。

俺は膝を着いただけでまだ諦めていないと。

約束はまだ、違えていないと。

優しく語りかけたい。

情熱的に話したい。

ワクワクと冒険譚を綴りたい。

ここ何ヶ月かの歩いてきた軌跡を。

俺の成長の証を。

話したくて堪らないんだ。

もっと言えば認めて欲しいんだ。

俺も努力をしてきたんだって。

他の誰でもない、今不幸なお前に。

今孤独を感じている君に。

千佳に教えてもらったことを。

元樹に習ったことを。

叶依が体現していた事を。

辛い時でも支えてくれる友人が俺達にはいるって声を大にして言いたい。


「こんなこと、言うのは恥ずかしいんだけど…私ね、遊くんの事が好きだなって、一生そばに居たいなって、傍で支えてあげたいなって思ったのは出会って少ししてからなんだ」


凛華は目を伏せる。

ポツ、ポツ。

キラキラとした雫が零れ落ちていくような音がする。

でもとめどない言葉も溢れてきて。


「私が将来の夢の話でからかわれた時に、『素敵な夢だな』って笑顔で言ってくれて…とても嬉しかった。そして……そして『いつか父さんを必ず見つけ出す』って『魔法使いなんかに負けねぇ!』って啖呵切る姿がね…夢に真っ直ぐに向かっていく遊くんがとっても眩しくて素敵で傍に居たいなって思ったの。無理だ無理だなんて表でも陰でも言われ続けながらも諦めないその心が羨ましくて。でもその心の強さが脆そうで、いつも気負って辛そうに見えて。例えささやかでも、力になれたらなって。支えてあげられたらなって。それに無邪気な遊くんがもし仮に絶望したなら今度は私が恩返しをする番だって思ったから。遊くんは遊くんなりに不器用な優しさをいつも通り発揮しただけかもしれないけどね。その一言で救われる人も居るんだよ。…最初の方は性別の垣根を超えた気の許せる親友だったんだけど…他にも遊くんなりの優しさとか強さを見ていくうちにやっぱり好きなんだなぁって思ったの。だから告白を受け入れてくれた時とっても嬉しかった。小学生の終わり際だったけど、それ以上耐えるのはとても心地よくて、でも、辛かったの。無理してるように見えて。だからもっと頼って貰えるような関係になりたかった。…やっぱり一人で話してるだけじゃ伝えきれないよ。纏まらないよ…辛くて、悲しくて、言葉が支離滅裂になっちゃうよ。…まだ辛いことがあるなら私に全部話して…」


その言葉で今までの俺の行動は報われたよ。

その言葉で充分救われたよ。

やっぱり俺の彼女や友人は最高だな。

だからその期待を裏切らないようにさ。

頼むから動いてくれ。


──動け!動け!動け!動け!動け動け動け動け動け動け動け動けって!


「―――っ!今、手が動いて…」


少しずつ水面――だろうか?――が白くなっていき、やがてなにか像を写し始める。

それは病室なのだろうか。

ベットに横たわったような視界にいっぱい広がるのは美しい艶のある黒髪の美女。

そんな彼女凛華は瞳に涙を貯めながらこちらを覗き込んでいる。


「目は…空いてないけど…でも手は確かに動いた」


そう言って優しく俺の手を取り、恋人繋ぎをし始める凛華。

――ぶくぶくぶくぶく!

相も変わらず何も発せない。

ただ無意味に泡ができるだけだ。


「凛華さん!何したんですか!?」


バタバタと誰かが駆け込んでくる音。

スライド式の扉を壊さんばかりにスライドさせて入ってきたのは看護婦らしき人物だった。

茶髪のセミロングの髪型の麗人。

その人が凛華の襟首あたりを掴んで剛力を持って揺さぶる。

ガクン!ガクン!と音が首から悲鳴が聞こえそうなほどの力だ。

傍から見たら、折れてしまわないかとても心配だ。


「今まで彼をモニタリングしていましたが、混沌としていて全くよく分からなかったんです、でも!今し方モニタリングを再開したら、水色というか海だったんですよ!あの深淵みたいな黒じゃなくて淡い海の色なんですよ!今!な、何をなさったんですか!?」

「え、ぇぇえ、え、お、とりあえず落ち着いてください…。遊君に私の想いを語りかけただけ、ですよ?」

「そうですか…なるほど道理で目元が赤いわけですね」

「あっ…これは…」

「恥じることじゃありませんよ。辛いでしょう?彼氏…最愛の人が何ヶ月も昏睡なんて」

「……はい……私も、もうダメなんじゃないかと何度も思いました。でも、私の中でが彼を連れ戻すからって。だから彼が目を覚ます時まで一緒にいてって。彼をこれ以上絶望させないでって泣いてでも懇願して来るんです。…笑っちゃいますよね?そんななんの根拠もない言葉に支えられて今、私はここに居るんです。でも、これでやっと…今までの待ってきた時間が報われますね…」


そう言ってつーっと溜めていた涙を流し、思いっきり喜びを胸に焼き付ける凛華。

ごめんな。

でも絶対にそっちに行くから。

目覚めるから…待っていてくれ。

看護師も感極まったのか抱き寄せる。

…おいおい、それは目覚めた俺の役目だろ、なんて場違いな嫉妬が芽生える。

けれど、目覚めたいと思うほどに水面から遠のいていく。

もがけばもがくほど水面は遠くなっていって。

沈む速度も重力加速度を考慮したようになっていって。

いつしか蒼一色だった視界が白くなっていく。

いつしか落ちる速度も天元突破。

第二宇宙速度どころか光速とかそんな次元に突入した時、変化は訪れる。

突如速度はなくなり、視界が正常に戻る。

四肢を投げ出していた状態で沈んでいたはずなのに二本足で水の上に立っている。

ここも見覚えがある。

忘れもしない始まりの光景。

この奇妙な夢の始まり。

始まりで終わり。

下にはネオンとビル街。

その上にウユニ塩湖とかいうかつての遺産のような透き通った水。

昔、そのを見て、綺麗だなって思ったんだっけな。

そして、正面には――







「よぉ。ケジメはつけてきたか?弱虫



――自分が立っていた。

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