第39話 メメント・モリ

――汝、生を忘れることなかれ。

――汝、死を忘れることなかれ。

――汝、死を恐れよ。

――汝、死を受け入れたまえ。

――あらゆる生の目指す場所は死であり、安寧であり、記憶である。

――なればこそ汝、安寧を求めたる。


声が聞こえる。

頭の中に直接語りかけるように。

詩的な内容の言葉は水中で聞いているかのように響いて。

また別の声が、女性らしい声が、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


――目を閉じた瞬間の暗闇に。

――虚実と虚空に。

――それが写るのを恐れて。

――だからこそ人は、思い出を美化して。

――死者の想いを騙り、記憶を保持する。

――いつしか生者と亡者の境も曖昧になって。

――不幸が連鎖していく。

――あなたは星を見失った。

――だから暗い夜道は歩けない。


やはり言っていることが抽象的でよく分からない。

支離滅裂にさえ聞こえる祝詞は心を焼く。

でも確実に自分が焦っているのが手に取るようにわかる。

でも何故焦っているのか分からない。

何が図星なのだろうか。

でももう全てがどうでも良くなってきた。

ちょっと考えて分からないなら多分一生分からないだろうから。

揺蕩う意識はいとも簡単に忘れ去られる。

僅かに記憶に爪痕を残しながら。








ガタンゴトンと懐かしい振動にまるで振り子のように揺さぶられ、過去からの交信を待つ。

ウトウトと意識は朦朧としつつも、いつになっても訪れぬ夢との邂逅に若干の煩わしさを覚えながら次第に不思議な心地に包まれていく。


「(おい、遊起きろ。そろそろ着くぞ)」

「(……もうちょっと寝かせて)」

「(却下だ。起きろ)」


そう小声で言って寄越した元樹が遊の頭を叩くと遊は渋々と瞑っていた目を開ける。

寝惚けているのか半眼で睨めつけるように、さりとて力が篭っていないという奇妙な離れ業をしつつ状況を確認する。

電車の席に座ってそのまま眠ってしまっていたらしい。

見渡すといつの間に乗ってきたのか車内は人でごった返してきた。

遊達が乗ってきた時はガランどうで三人で近くに座る席を確保することも出来たのだが、ウトウトとしている間に過ぎた途中の駅で乗り込んできたのだろう。

前に遊が千佳と電車に乗ったのもこっちの方面であった。

多分皆目的地も同じ。

この路線は終点に近づけば近づくほど発展している地区に行くのだから。

あの心地よかった振動も電車があまりにも静かに減速するので堪能する間もなく目的地に着いてしまう。


『まもなく――――――お降りの際は足元にご注意ください―――まもなく――第四区です。お降り――』


車掌からのアナウンスを雑踏とともに聞き流し人の波は降りていく。

流石に電車内の人数が多いので人の荒波に揉まれながら三人は車外へ出ようとする。

三人で固まって移動していたはずなのに間を縫うように人の並が通り抜けるせいであっという間に孤立してしまう。


(うわぁ…若干汗くせぇ気がする。俺大丈夫かなっ…寝汗とかかいてないといいが。…早く…出たい、苦しい)


満員電車特有の悩みを患いつつ、出口から出ようとする。

ふとした瞬間の出来事であった。

人波に沿って偶々視線が流されただけだった。

電車の出口から駅のホームに降りた瞬間に見覚えのある黒髪が見えた。

人混みの中でその人は何故か際立つオーラを放っていた。

周りとは隔絶した存在感。

物語の世界から出てきたかのような可憐さ。

人間の集団の中に恐竜を混ぜるようなものだ。

それも大型の。

身長は大人と周りの同じくらい。

でも何故か目に止めてしまう何かがある。

艶のある黒髪。

何度見惚れたか分からない美しい横顔。

抜群のスタイル。

それら全てが強調されていると言っても過言ではない。

そんなことより何より。

そして、未だに会ったことがなかったという事実。

それが遊の歩みを停めた。

ありえない、と言いたかった。

でも心は沸き立っていった。

鼓動が早すぎるビートを刻む。

もう心臓がはち切れそうだ。

三人で話題にも上がらなかった人物が視界にありありと映ったのだから。

今まで音信不通で、連絡手段も乏しかったのに。


(―――凛華!)


瞳で捉えられたのは僅か三秒ばかりだったか。

それとも一秒、否それにも満たない刹那だったかもしれない。

でもその僅かな間でも遊は確かに見たのだ。

瞳にその美貌を焼き付けたのだ。

記憶に刻み込んだのだ。

それは砂上の楼閣でも真夏の幻覚でも真冬の幻想でも夢の産物でもなんでもない。

確固たる事実だ。


(凛華が、今そこにいる!)


意識した瞬間には駆け出そうとしていた。

逃してなるものかとまるで獲物を狩る狩人の如く走り出そうとして。

腕に軽い衝撃。

そして流れとは逆に引き戻される肉体。

走り出そうとしていたため体のバランスが崩れ後ろに倒れ込みそうになる。

しかしその要因となった者はそれを予期していたのかいとも容易く遊の姿勢を元に戻すと小声で怒鳴るという奇妙で器用なことをしてきた。


「(おい遊!何してんだー!)」

「(元樹!?てかそんな事より!凛華が!凛華が今居た!)」


焦りからか語彙力が皆無になっている遊。

他の乗客の邪魔にならない位置で少し離れて話し出す二人。


「(さっき出る時、確かに見たんだ!追いかけよう)」


そう言ってまた駆け出そうとする遊をもう一回同じ方法で止める元樹。

同じ部分を掴んで先程の繰り返しのようになっているのがとてもシュールだ。

今度は先程よりも両者の思い切りが良かったぶん痛そうだ。

尚当人たちは至って真面目でところ構わず漫才をしている訳では無い。


「(何すんだよ!早く追いかけないと見失っちまうって!)」

「(おまっ!目的を忘れたのか??違うだろ?さっさと行くぞ)」

「ハ?アイドル?」


困惑のあまり小声で喋るのをやめてしかも片言になる遊。

そして慌てて喋り出す。


「(おいおいおいおい冗談キツイって!凛華だぞ凛華。ほら、幼馴染…って言えるか分からんけど小さい頃から一緒にいたあの)」

「(すまん、誰だ?その慌てキョドり騒ぎように、てっきり人気アイドルかなんかだと思ったんだが違うのか?その人の大ファンとかじゃないのか?)」

「(確かにあいつのルックスはプロ顔負けでどんな絶世の美女にも引けを取らな…って!そうじゃなくて!分かんないの!?ウッソだろお前!…ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!そうだよな、そうだよなぁ!お前の言葉が心からの本音で嘘じゃねぇのは知ってる、てか分かった理解した。理解させられた。…まじかァ)」


意外と興奮して、感情をコントロールできていないのかもしれない。

早口で自己解決している遊は傍から見るとブツブツ独り言を言ってリアクションをとる滑稽な人に映った。

その所為か周りからの視線が痛い。

重要な手掛かりになるかどうかは分からないが、確実に調べたいことが増えた遊。

心のメモ帳に『この世界では凛華は生存している』という事と、『関わりはなかったらしい』ということを書き込む。

もうメモ帳は真っ黒だ。

病院に行ったらすぐにでもコンタクトを取ろうと思う遊であった。


「あ!二人とももう漫才は終わりました?」

「…いや叶依もいたんかい!」

「あーむ、うふふ、いまひたよー…あっこれ美味しゅいですね」

「なんで駅弁食いながら喋ってんだよ…てか今の間に買ってきたのか!?」

「しょーでしゅよー二人の分もありゅので食べましゅ?」

「食う、食うけど落ち着いたところで食おう?」

「やっぱり見知ったメンバーで出かけると叶依のマイペースさが際立つな。やっぱり血液型AB型なんじゃないか?」

「んふふ〜ざゃんねんながらO型なんでしゅよね〜元樹君もO型だったら良かったのに。でも血液型、ごくん。性格とは関係ないらしいですよ?」

「食いながら話してるから発音が怪しいな…それでも絵面が汚くないって器用だなマジで」

「よしとりあえず飯食うスペースまで移動して、腹ごしらえしたら病院に向かうぞ」


そうして三人は駅の出口へと向かっていった。

その背中随分と逞しくなった。

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