第24話 在りし日の過去

早乙女 千佳という人間は可愛いものに目がなかった。

早乙女 千佳という人間は自身のコントロール下にない物が苦手であった。

言い方を変えると早乙女 千佳という人間は犬が怖かったとも言える。

早乙女 千佳という人間は恐ろしいものに立ち向かえない、勇気がない性格だった。

内気気味で話しかけられても内心若干テンパり、他人に話しかけに行くなんてことは以ての外。

クラスの中心には到底居れない

遊が早乙女 千佳という人間に関わったのも、深く関係が繋がったのも、個人として興味を持ったのも、偏に遊の気まぐれによって引き起こされた事象だった。







遊がまだ小学三年生の頃、学校が午前授業で終了して、暇を持て余した遊はいつもとは違うルートで公園に向かって遊んでから帰ろうとしていた。

いつもとは違う景色に柄にもなくワクワクしながら公園を探していると、曲がり角から甲高い悲鳴が聞こえてきた。


(うわ…マジかよ…いい加減にしてくれ)


心の中で相当酷いことを言っている遊。

聞こえなかったフリはさすがにどうかと思った遊は取り敢えず覗いてみることにした。


(何があったのか気になるし、最悪の場合知らぬが仏が有効だろ。小学校低学年だし。助けを呼ぶくらいか)


小学生に出来ることはたかが知れてる、とどこか達観した結論をだす。

本来この時期というのは自分自身に無限に等しい信頼を寄せ、なんでも出来ると錯覚する状態にあるだろう。

自身もそうだし、周りもそう教育を施すだろう。

遊はそっと塀を背に顔を出す。

すると見えた光景は赤いランドセルを背負った女子が大型の犬に押し倒されて、襲われているようだった。

その大型犬は小麦色の体毛を纏っている。


「や、やめ…」


どうやら女子生徒の力では退かすこともままならないらしく悲鳴を上げることしか出来ないらしい。


(んなっ!?想定よりはるかに酷い…どうする?大人呼ぶか?)


体格差もない。恐らく遊とそう年齢的にも変わらないだろう。


(いや、呼んでる時間は無さそうだな)


流石の遊も看過できる事態ではないので、背負っていたランドセルを放り投げて、全力で走り出す。


(取り敢えず、犬の注意をこっちに向けて話はそこからだ)


別に遊は人間が嫌いではないし、自分以外が不幸になって欲しい訳でもない。

間に合うか間に合わないか刹那の瀬戸際。

最善の行動と最悪の結果が脳裏にチラつき、せめぎ合う今際の際。


「い、いやぁ!」


犬が少女に顔を近づけて行き…


「無理ぃ…」


犬歯がキラリと輝く。


「…ヒッ!」


怯える少女。

どうやらこれは…。


「…ヒッ…イッ!ちょっと…や、やめ…くっ、くっ…くす、ぐったい…ッ!」


ぺろぺろと顔をざらついた舌で舐めて、少女に構って欲しいらしい。

犬は非常に嬉しそうだ。

尻尾が全てを物語っている。

つまるところただ単にジャレついてるだけだ。

そんな様子に遊は踏み出していた足をゆっくりと元に戻す。

二、三歩進んだところで様子を観察し始める。

犬はしっぽを千切れんばかりにブンブンと振って御満悦な様子。

少女はくすぐったそうにしているが、別に危機でもなんでもない。

遊の目がだんだんと細まっていき、ハイライトは消え、ついに馬鹿馬鹿しいとばかりに嘆息が漏れる。

先程までの気持ちとは正反対の感情を持て余し、怒りをため息に昇華させる。


「……帰ろ…」

「…だ、れ?」

「…いや、通りすがりの小学生だが。なんでこんな所で飼い犬とじゃれてんだ?」

「…自分の、力じゃ、どかせない、の、か、飼い犬じゃない、し…この子が、勝っ、手に…」


ピクっと遊の動きが止まる。


「…ならしょうがないけど、何をどうしたらこんなことになるんだ?」


遊はそう言って踵を返しかけた足を元に戻して歩み寄る。

そう言われてしまえば助けないわけには行かない。

まぁ単に飼い犬とジャレついていただけなら知ったもんかと踵を返す足を戻すことは無かったかもしれないが。


「ほら、お前、こっちにおいで」

「…」


パンパン、と手拍子を鳴らすも犬は首を傾げるばかりで一行に少女の上からどけようとしない。

諦めずにもう一度手拍子。

しかし変わらず反応無し。


(こ、こいつ!)


仕方なく後ろに回り込んで、脇から手を差し込んで持ち上げようとする。


「おい?!ちょっとこっちに!コイって!んっ!?重!」


やはりと言うべきか体格差もないのに持ち上げられるはずもなかった。

何度も持ち上げようとするが、犬は正に動かざること山の如し。

小学生程度の力では持ち上がらないだろう。

いち、にの、さん!で持ち上げようとしようとも、力を溜めてから持ち上げようとも、ビクともしない。

それどころか気持ちよさそうに欠伸までかく始末。

まるで『お前の力じゃ無理無理』と言われているようだ。

のんびりとしたその態度が遊の感情を逆撫でした。


「コンのっ!犬っころがァァァ!」


そう言い放つと、遊は真後ろから真横に移動し、全体重を駆使して、犬と縺れあうように少女の上から退けることに成功した。

一つ重大な問題を上げるとすればその際に遊は犬の下敷きになった事だろう。

ちょうど先程までの構図と同じように。


「おいっ!…退けろ!」

「ワン!」


ぺろぺろぺろ。犬はまたもや嬉しそうに顔を舐め始める。

その姿にすっかり毒気を抜かれた遊。

しかしどうしたものか、さっきまで助ける側だったはずが今度は助けられる側に回ってしまったようだ。

体を動かそうにも重心が押さえられてしまい、上手く力が入らない。


「クソっ!なんだって俺がこんな目に…人に親切にした途端にこれかよ」


どうやら事情は知らないまでも遊は見捨てようとしたことを忘れ去っていたらしい。

これもある意味因果応報か。


「退け、退けって!…」


辛うじて手は動かせるので、辺りに何かないかと見えない状態で手探りをする。

すると手に棒状の何かが当たった。


(しめた!これでこいつの気を逸らせば…)


手を限界まで伸ばして、掴み取った棒状の何かを思いっきり右側へ投擲する。

と言っても小学校低学年程度の力で、しかも仰向けに倒れた状態での投擲なので、飛距離はもちろんない。

しかし動物の性か犬の興味は遊から飛んでいった棒状の何かに移ったようだった。


「やっと退けたか…」


はぁ、と再三ため息をつきながらパンパン、と服に付着した汚れを叩き落としてしみじみ言う。


「あ、あの…助けてくれて、その、ありがと」


おずおずと先程の少女が礼を言ってくる。

照れているのか、それとも内気なのか俯き気味で目元辺りが綺麗な茶髪に隠れてしまっている。

別に遊は御礼を期待していた訳では無いが素直に面と向かって感謝を告げられると。


(助けた甲斐はあったか)


と満足できるほどにはいいことをしたのかもしれない。

公園で一人遊ぶことは出来なかったが、人間として一皮剥けた自分に苦笑しながらも、よくやったと謎の達成感が胸中を渦巻いている。

取り敢えず遊はかけるべき言葉を掛けて、さっさと公園に行くことに決めた。


「何でこうなったか詳しくはわかんないけど次は気をつけろよ」

「うん、あっ!?その名前…私は早乙女千佳。あなたは…?」


どうやらまだ引き留められるらしい。

それも常識的な事だろう。

見ず知らずの人のことは誰でも気になるものだ。

それが恩人の事であれば尚更その傾向は強いだろう。


「ん?あぁ…塚原遊」


めんどくさそうに返す遊。

態度にでかでかとめんどくさいと出しているがそれでも律儀に返すところがなんとも遊らしい。

総合点としては不快感を全面に押し出しているのでもちろんマイナスだ。

関係ない、とバッサリ切り捨てられないところは彼らしい。


「つかはら、ゆう…小学生って言ってたけど何年生?何組?」

「三年一組」

「一組か…私は三組。やっぱり知らない人。なんで遊は私を助けたの?」

「なんでも何もあんな場面に出くわしたら様子を伺うし、助けてって遠回しにでも言われたら助けるだろ」

「私、なんかを?」

「誰でも。普通だろ」

「そっか…普通か」

「?…まぁ今後気をつけろよ」


放り投げたランドセルを背負って来た道を引き返そうとすると


「あれ…私のリコーダーが」


散らばったランドセルの中身を回収していた千佳が首を傾げている。


「どうした?」

「私のリコーダーがなくて」


そう言えば、と遊は回想する。

棒状の何かを掴んで投げたが、


(あ、まさか)


「ワン!」


犬は先程までのテンションでそこらを駆け回っている。

その口に咥えている物は、リコーダーのようだった。


「「あ…」」


どうやら犬との格闘ならぬ鬼ごっこはこの先も続きそうであった。







2

今、自分の目の前で繰り広げられたやり取りが信じられない。

少年はなんと名乗った?少女もなんと名乗った?

何故幼き日の自分と千佳が居るのだろう。

てっきり遊は千佳達とは高校デビューしてから出来たら友達と思っていたのだが。

つい今しがた話していた内容が事実、本当に起こっていた過去だと言うなら遊はそれすらも忘れていたのだ。


「…いや、嘘だろ…こんなことある訳ない。こんな!それも…」


そこで遊は思いっきり息を吸い込んで吐き出す容量で言葉を絞り出す


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