4. 深淵てのは、覗いたり覗かれたりなんですよ、奥さーん。

「よいせっ」

 俺は積み重なった去年の教科書や買ったまま積んでいた本をどかして、それを掘り起こした。

 1年……までは経ってないが、何ヶ月ぶりかに取り出した、ノートPC。

 俺は一時、ネットのシミュレーションゲーム、いわゆるストラテジーと呼ばれる類いのゲームにハマっていた。

 2、3年前位からだっただろうか。

 両親が離婚するしないで毎晩のように揉めていた時期だ。

 元々父親はなかなか業の深いブラック企業に勤めていたから、子供の頃から数えても、あまり遊んだり話したりした記憶が無い。

 加えて、浮気していたことがどうやら母親にバレたようで、喧々囂々の騒ぎがあったりした。

 もっとも、父親の方は一方的に非を認めていたようだから、母親が怒りを吐き出してしまえば、後は逆に静かなもんだった。静かすぎて、気持ち悪くなるくらい家の中が冷え込んだりもしたわけだが。

 それほど壁の厚くないマンションだったから、俺はヘッドフォンをしてゲームに興じるくらいしか出来なかった。

 そしてそこで俺は、様々な人達と交流した。

 

 ネットの世界には、多種多様な人達がいた。

 サラリーマンもいれば主婦もいた。高校生も大学生も、多分俺と同じ中学生だっていたんじゃないだろうか。

 優しい人もいれば、クソみたいなヤツもいた。

 優しいと思っていた人がクソみたいなヤツだと分かったこともあったし、無愛想無関心な人だと思ってたら、貴重なアドバイスを惜しげも無くくれた人もいた。

 俺はその新しい世界で色々知り、それが少しずつ現実の煩わしさを癒やしてくれていたんだろう。

 結局両親の離婚が成立して、父親がマンションを出て行ってからも、しばらく俺はネットの住人だった。

 その後俺も無事に高校に入学し、母親の精神も落ち着いた頃、ゲームが過疎化していたのを機に、俺はノートPCを開かなくなった訳だが。


「……良し、動くな。」

 凄まじい量のアップデートを終えた後、無事にパソコンが動くことを確認した俺は、満足してまたパソコンの電源を落とす。

 先日田島から言われた文化祭の件で、一応何かの役に立つかと思って動作確認をしたのだ。

 18禁系のデータはもちろん消去済みだ。

 そんな物見つかったら、立石が鬼の首を取ったような顔になること間違い無しだ。

 フハハハハ。世の中には外付けHDDなるものだってあるんですよ、奥さーん。

 …ふと我に返ると、何もあの部の為に俺がここまでやる必要なんか無いんじゃないかと気付いた。

 まあ、いっか。備えあれば何とやらだ。


***


 正式にゲーム研究部が立ち上がってから、一週間が過ぎた。

 その間やって来たことと言えば……カードゲームしかしてないな。

 まあ流石に学校でTVゲームやるわけにもいかないし、特にそういう物をしたくて始めた訳でも無いから良いんだけど。

 いくらか不毛ではあると思っている。

 ……薄ら気付いてはいるんだ。

 つまり、言い訳とか切っ掛けとか言い方は何でも良いが、結局集まって益体も無い無駄話をしたいだけなんだ、俺達は。


 放課後になり、部室棟へ向かおうとしていると、タクと鉢合わせた。


「お、シバ。丁度良いとこに。」


「どした?」


「メールしようかと思ってたんだけど。今日はちょっと、部活パスするわ。」


「そっか。」

 誘った時にはあまり積極的じゃ無かったが、一週間毎日付き合ってくれたんだ。

 気兼ねなくサボって欲しい。

 ……いや、もしかして部活に出た方が何かしらをサボってることになるのか……?

 ちょっと、恐ろしいことに気づき掛けたかもしれない。俺今、深淵、覗いちゃった?


 部室に入ると、立石がパイプ椅子に座って雑誌を広げていた。


「あれ、日暮崎も休みか?」


「も?」

 立石が雑誌から顔も上げずに聞き返してくる。


「ああ、タクは今日パスだと。」


「ふーん。」

 特に気にならないのか、平坦な返事が返ってくる。

 俺も椅子を出してきて腰を降ろし、何とはなしにスマホのチェックなんかをしてみる。

 いくつかのDMを削除し、SNSを斜め見し、スマホをポケットに戻すと、立石がこちらを見ていた。


「どうした?」


「うん。」

 歯切れ悪く呟いたかと思うと、視線を左右に彷徨わせる。言葉を探しているような気配だ。

 しばらく待ってみると、ようやく話し始めた。


「……あのさ、マチの噂、聞いたこと、ある?」

 ああ、そのことか。


「あるよ。」


「そう。」

 それからまた沈黙が降りてくる。

 次の言葉をじっと待つのも気まずいので、棚に置いたカードゲームのパッケージの背中を眺めてみる。


「……その噂聞いて、どう思った?」


「どう…ってこともないな。

 でも、この部で少し話してみた限り、良いヤツじゃ無いか?

 俺にはそれで充分なんだが。」

 俺は相変わらずゴキブリポーカーとお見合いしながらそんなことを言った。


「そっか。」

 少し待ってみたが話は終わりっぽいので、俺は鞄から今日の課題を取り出し、ここで片付けることにした。

 今夜はバイトが入っているのだ。


「真面目か!」

 立石のツッコミもスルーする。

 どうせお前だって家に帰ったらするくせに。


「……そういえば、テスト近いね。」


「そうだな。」

 カリカリ……


「でも夏休みも近いね。」


「そうだな。」

 カリカリ……


「せっかくだし、夏休み何かしたいね。ゲー研として。」


「そうだな。」

 カリカリ……


「真面目か!」


「なんだよ!

 話は聞いてますー。」

 顔を上げると、少しだけ立石が膨れていた。

 おぉ、流石自称美少女。ちょっと可愛いぞ。


「……はぁ。

 マチの事なんだけど。」

 またそれか…。

 でも今度はスムースに話が続いた。


「あのね、マチの噂って、まるっきりの嘘でも無いの。」


「ふーん?」


「中には根も葉もない物もいっぱいあると思うんだけど。

 …あの子ね、男性依存症なの。」

 …それってファンタジーな病気じゃ無かったのか…。

 正しくは恋愛依存症というヤツだろう。


「あの子、実家が裕福でしょう?

 親の愛情に飢えたまま成長しちゃったのかな。

 年の離れたお兄さんがいるらしいんだけど、それも何か拗らせる原因かもね。」

 自分の家庭事情も上手く説明できないのに、人様の家庭事情に首を突っ込む気は毛頭無い。

 だが、立石はそうでは無いらしい。


「お前……お前にとって、日暮崎は大事な友達なんだな。」

 一瞬素直な感想を言って立石を怒らせそうだったので、少し軌道修正して言い方を変えた。


「まあね。」

 少しおどけた表情をして見せて、照れ隠しする立石。

 何を思ったか、立石は自分のスマホを取り出し、何か操作する。

 そして、徐に俺に画面を見せてきた。

 そこには、とても可愛らしいイラスト。

 何のキャラクターか分からないが、犬を抱いた美少女のキャラ絵だった。


「可愛いな…?」

 どういうリアクションが正しいのか分からん。教えて、リアクション先生!


「上手いでしょ?」


「ああ。」


「私が描いたの。」


「へえ。

 ……って、えええ?!」

 俺は思わずスマホを奪い取り、ガン見する。

 いやいや、プロ並みなんてもんじゃ無いぞ、これ。

 満更でも無さそうな顔でやんわりと俺からスマホを取り返し、また操作して違う絵を次々表示する。

 そのどれもが、途轍もないクオリティだった。


「昔から、絵を描くの得意だったの。」


「なら、漫研とか美術部の方が良かったんじゃ無いのか?」


「ううん。人と一緒に描く気なんてないもの。」

 きっと、俺の今の表情を絵文字で表現するなら、『ポカーン』って感じのヤツだ。


「子供の頃から、漫画家になりたかったの。

 で、友達に落書きを見せてたらおだてられちゃって。

 密かに描いてた漫画を見せたことあったの。小学校の時に。

 凄く仲の良い子だったし、絶対に秘密ね、って言って。ちょっとエッチなヤツ。小学生のエッチだから、キスとかハグとか、それくらいのだけど。

 ……次の日学校行ったら、全員が知ってた。

 見せろって、すごい人数に囲まれたわ。見ても無いくせに、エロ女とか言ってくるヤツもいたし。」

 話しているうちに当時の感情を思い出したのか、少し立石の目が潤んでいる。

 

「当然、私は漫画見せた子に抗議したわ。

 でも、梨のつぶてってヤツで、その子は全然悪びれていなかった。気にもしてないっていうか。

 むしろ、私が皆に広めてあげたんだから、感謝しろってばかりだったわ。

 それで、大げんかして。クラスの雰囲気も最悪になって。

 しばらく、誰とも口きかなかったわ。

 ……そんな時、マチだけなの。

 私の友達でいてくれたのは。」

 長い独白で喉が渇いたらしく、鞄からペットボトルのお茶を出して飲み干していく。

 こんな時に不謹慎かも知れないが、ごくごくと動く喉元をセクシーだと思ってしまった。


「そうか。」

 俺にはそれくらいしか、言葉に出来なかった。

 そして言葉にはしないけれど、分かったことが一つある。

 立石が人に壁を作っている理由だ。

 あまり認めたくないが、この部って類友ってヤツなのかも…。

 おっと、また深淵を覗いちゃった?

 今日は厄日だ。


「……それで、それがお前が日暮崎をこの部に誘った理由か?

 もしかして、日暮崎の為にこの部を作ったのか?」


「ふふ。流石にそこまでじゃないわ。

 色々口実になると思ったから、居場所が欲しかったのは事実。

 …でも、マチにも少し同級生と集まって、普通の高校生をして欲しかったってのは、やっぱあるかも。」


「そうか。」


「真面目か!」


「気に入っちゃったんだ、それ?」

 柄にも無いことを話したせいか、気まずさを隠すようにまた雑誌に戻った立石を見て、俺も課題を片付けるのに専念する事にした。

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