閑話 かつての師弟



 リーデリアは、ヴォルフが七歳のときに、彼に出会った。


 ヴォルフは親がおらず、祖父母に育てられていた子だった。リーデリアは二十いくらかのときに、ヴォルフに出会い、その才を見出だした。

 ヴォルフの祖父母は喜び、孫の将来のために彼を送り出した。


 少しの間、弟子となった少年には打ち解けてもらえなかった。


 とはいえ時は経ち、時折里帰りをさせながらほとんど首都での生活が続き、どれくらいか。


 見込んだ通りの才能をめきめきと発揮しはじめていた少年を、吹っ飛ばしたところだった。

 ごろごろと訓練場の地面を転がっていく弟子。


「……いってぇ」

「またわたしの勝ちだな」


 リーデリアは一歩としてその場から動かず、とどめに弟子を魔術で取り囲んだ。勝負はついた。


 この勝負はけっこうな頻度で行われているものだった。弟子の魔術の腕を上げるためと、図るためのものである。


 弟子は、薄青の瞳を悔しそうにさせて、リーデリアを見上げた。

 リーデリアは魔術を解き、歩み寄っていく。


「残念ながら、今回も望みを叶えるのはわたしの方だ」


 負けた方が、何でもいいから、勝った方の言うことをきく。


 本当に残念だ。我が弟子はいつになったら、自分から一本取れるのだろうか。今回はケーキにしようか。


 笑みが抑えきれず、そのまま手を差し出すと、弟子が手に掴まる。


「わたしは、ケーキを所望する」

「はいはい」

「弟子、返事は一度だ」

「はい。……師匠は会議でしょう。さっさと行ってきてください」

「そうしよう」


 弟子を引っ張り上げ、次の予定は会議なのに、訓練場を出る足取りが浮きそうになる。

 戻ればケーキが待っている。


 最初は菓子が目的ではなかったが、リーデリアが勝ちを重ねるごとに当然重なる弟子の負け。


 菓子を作れとの要求が時折挟まれ、回数が積み重ねられるごとに上達する弟子の菓子作りの腕。


 今では二回に一度程度の頻度でお菓子 (手作り) を要求している。完全に楽しみになっていた。


 何しろ美味しい。絶対に菓子作りの才能がある。いや弟子は絶対立派な魔術師になるが、クッキーだって、ケーキだって美味しい美味しい。

 才能はいくつあってもいいだろう。



 会議を終えると、ふんふんふん、と鼻唄を歌いながら部屋へ戻る道中、甘いにおいがした。


「おい、弟子」

「あ、師匠ではないですか。会議は終わりました」


 偏屈な顔をした師匠に出くわした。


 顔と同じ声をした師匠の元へ行くと、会議はどこ吹く風、部屋に籠って魔術式をいじくり回していただろう師匠は、ちらっと先の方に目をやった。


「また弟子に菓子を作らせたな」

「勝負に勝ちました。師匠も一緒にどうですか? わたしの弟子の菓子は絶品です」

「知っている──ではない」


 辛党の師匠は、ヴォルフの菓子は口に合うらしい。奇跡かもしれないと思ったものだ。


「リーデリア、菓子職人でも育てるつもりか」

「師匠は魔石の採掘人でも育てるつもりだったのですか?」


 リーデリアはこの師匠に魔石の採掘をしに行かせられたことがある。


「それはどこぞの弟子が言うことを聞かなかったからだろう。まったく、まだ若いのに弟子を取りおって」

「またそれですか。菓子作りは単なる勝負の結果の対価であり、菓子が美味しいのはヴォルフの才、わたしが勝負に勝つたびに菓子作りを望む頻度が高くなるのは無理もないことです。そして、ヴォルフは順調に成長しています。これは魔術の方のことです。わたしに教える才があったのかもしれません」

「馬鹿者、自惚れるな」

「師匠は弟子であるわたしを信用するべきです」

「信用はしている」

「え?」

「間違えた。私はもう行く」


 師匠は立ち去った。

 その背中に、リーデリアは言う。


「師匠、もう七年目に入るのですがー!」


 いい大人で、地位もあるのに、師匠にがみがみ言われるところを弟子に見られる弟子の気持ちを考えてくれ。


 まあ、あの師匠は弟子であるリーデリアが弟子を持てるほどではまだないと思っているのだろう。

 年齢にしても、弟子を取るには若すぎた。


 だが、ああ言いながらも結局は何だかんだ助言をしてくれるので、もはや「まだ若いのに弟子を取りおって」は口癖みたいなものだと思う。

 そのうち、もう若くないと返してやろう。


「さてと、わたしはケーキを食べに行こう」


 慣れたもので、リーデリアは意気揚々と部屋に戻った。



 部屋に戻ると、弟子が完全に準備して待っていた。

 ケーキを切り分けてもらうのをわくわくと待っていると、そういえばとリーデリアに言う。


「師匠の師匠に、先に差し上げました」

「何だと」


 ちょうど会ったため、とっさにあげたのだとか。

 しかし、リーデリアの師匠が辛党だと知っているヴォルフは少し眉を寄せる。


「師匠の師匠は、辛いものが好きですよね」


 とっさだったが、無理に押し付けたかもしれないと悩んでいるらしい。


 弟子、些細なことで悩むな。

 きみの師匠の師匠は、きみの菓子を美味に感じる舌を持っている。


 ところで、リーデリアは先程の師匠とのやり取りで思い出したことがあった。

 あの「菓子職人でも育てるつもりか」は、もしかしてそれくらい美味しかったということだったのか。

 ……先に食べられた。


 しかし、美味しさが損ねられるという現象が起こるわけでもない。

 満を持して、一口。


「極めてきたな、ヴォルフ!」


 称賛の目を向けたが、前で自作ケーキを食べている弟子は、甘いものを食べている顔ではない。

 どちらかと言うと、苦いものでも食べたようだ。


「どうした、嬉しそうじゃないな」

「……俺は菓子職人じゃなくて、魔術師を目指しているんですけど」

「菓子を作らされることが不満か?」

「不満ではないです。ただ、ケーキを作って褒められるのではなく、魔術の方で褒められたいです」

「褒めていないか?」

「割合の問題ですよ」

「ならばわたしに勝て」


 解決方法を提示する。


 菓子の割合を無くしたいのであれば、そうする他ない。美味しいものは美味しいのだ。


 その機会がなくなるのであればリーデリア的には残念だが、そうすればいい。


「わたしならいつでも相手をしてやる」


 全ては勝てれば、だ。

 笑えば、弟子は「……いつか、完敗させてやりますよ」と生意気な口を叩いた。


「まあとりあえず、ほら、美味しいものは苦そうに食べるな、ヴォルフ」


 弟子のフォークを引ったくり、一口、弟子の口の中に突っ込んでやった。


 口の中のケーキをどうにかしている弟子を見て、笑っていると、弟子も仕方無さそうに笑った。

 笑っている顔はやっぱりいい。



 ずっと、この先も、──死ぬまでこんな日常が続くと思っていた。




 突然の、そこら中に響き渡る音に、体が跳ねた。

 窓の向こうを見れば、ゴロゴロゴロ、と空が何かを言っている。気がつけば、窓の外は夜に限りなく近いほど暗くなっていた。


「天気が急変しましたね」

「……神々の機嫌が悪いのだろう」


 ひどくならなければ、いいが。





 


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