百年について聞く




 魔術で大いに破壊した壁は、リーデリアが魔術で直した。何事もなかったかのように、完璧だ。

 エイデンが壊した学院の例の壁は、直されただろうか。


 長い階段を登って地下牢を出ると、外に出た。地上は、濃い橙に染まっていた。夕刻だ。


 牢の中で一日経ったわけではないだろうから、学院から連行された日と同じ日ではあるだろう。


「あ」


 そのとき、こちらにやって来る姿があった。

 学院の服で、ゆったり歩いてくる。金色の髪が輝く。置いてきた神だ。


「エイデン」

「あれ? やあ、リーデリア、ちょっと様子を見に来たところだったんだよ」

「きみ、どうやってここに……いや、いい」


 神の所業だ。王宮にこっそり入るなんて容易なことだろう。


「……師匠、誰ですか」


 弟子が、リーデリアと知り合いの様子のエイデンをうろんげに見る。


「弟子、彼はな、神だよ」

「はい?」


 まあ、こうもなる。しかし事実であり、他に言い様もないのでどうしたものかなと考えていたが、リーデリア、と呼びかけられて、前を見る。

 リーデリアの注意を引いたのは、エイデンだ。


「一度言ったのだけれど、聞く暇がなかった様子だったからまた言っておくよ。今日現れた神々は、私があの場から移動させて、お前が対峙した数分の間の記憶をてっとり早く飛ばしておいた」

「飛ばした?」

「うん。我に返った彼らはまた喧嘩を始めただろうね。リーデリアに攻撃されたことは一欠片も覚えていないよ」

「そんなことが出来るのか」

「私の方が力が強いし、単に飛ばすだけなら単純作業だからね。それに数分程度なんて一瞬の記憶だ。他の人間にもそうしようか?」

「それはいい」


 人間には干渉してくれなくていい。

 とはいえ、あの神々がどうしたかということと、何かしてもおかしくないと懸念していたところだった。神々が覚えていなければ怒りによって天候変動が起こることはない。

 礼を言っておいた。


「そうなると、あれだな、あとはヴォルフの『要求されたときに、処罰すれば良い』という方便が通れば、効くな」

「え?」


 隣の弟子を見て言うと、弟子は「え?」という顔をした。何だ、忘れたのか。


「きみが、確かそういうことを、わたしを牢から出してくれる前に言っていただろう」


 公開処刑だと宣告してきた白い服の者たちに。

 あれはそのときのとっさのものだったのだろうが、神々が覚えていないのであれば処罰される心配はない。


 そこまで言ってヴォルフは思い出したようになった。「ああ、あれはそのときの方便ではなかったのですが……」とか呟き、最後には「それなら良かったです」と言った。


「それにしても記憶を飛ばすとは、……そういうところに働きかけた魔術はないな、ヴォルフ」

「そうですね。そんなものが出来れば、使い勝手が良さそうですね」

「何に使うつもりだきみは」

「それより、師匠」

「ん?」

「神、とはどういうことですか。全く飲み込めません」


 透き通る薄青の目が、エイデンを見た。


 エイデンはお決まりで、にこりと微笑んだ。

 この笑顔を見れば、今までは誰もが見とれるか、つまり何の害もないように見ていたのだが、ヴォルフは警戒した目をしていた。


「そうだな……エイデンが来たことだ。学院に荷物を取りに行くのは後回しにして、先にどういうことか、長い話をしよう」


 ここまでに深くはまだ話していない、リーデリアに百年前に起きたことと、百年間どうしていたのかということ。

 そして、同じく、弟子のことを。



 ヴォルフが所有している部屋が近いらしく、リーデリアはエイデンと共についていった。

 同じく王宮の敷地にあった──今もあるかは分からない──リーデリアの部屋の近くにあるものではない。

 それとも、弟子はもうあの部屋は使っていないのだろうか。


 室内の椅子に落ち着いたところで、リーデリアは百年前、教会に行ってからのことを話した。


 神──同じ部屋にいるエイデンを雨を降らせた神だと勘違いして、魔術を向け、魔力を使い果たして死ぬはずだったことから始まり。


 しかし、不老不死の魔術を使ったことと神による手伝いがあったことで、死は免れたが、目覚めると百年後だった。


 魔術式が捻れたのだろう、この姿になっていたことと、エイデンが人間の世界を見ると言って一緒に行くことになったということまで。

 あとは首都に向かって、学院に入って今に至るだけだ。


 そして、弟子の方はどういうことになっていると現状を尋ねた。


「魔術師の最高位に、貴族!」


 聞くと、我ながら声が跳ね上がった。


 何と、弟子ヴォルフ・カルヴァートは魔術師ではもうこれ以上行けないだろうというところまで出世していた。


 魔術師における最高位を賜り、さらに一代限りとはいえ爵位ももらったと。異例すぎる。


「出世したな」


 魔術師の最高位という、かつて自分があった地位に弟子もいったというのは、驚きであり、とても感慨深い。

 そして、それ以上の出世。リーデリアは笑う。


「それなりに。権限が無ければ不自由をすることもありますから」


 事も無げに言う弟子は、予想以上の大物だったようだ。

 その姿、服装と腰にあるものを見て、リーデリアはもう一つ異なった立場について尋ねる。


「それと、魔術騎士になったのか」


 元々、彼は剣は身につけていなかった。

 剣を佩くことを許されているのは、騎士の類いのみだ。


 そして、服装のデザインに既視感があると思って当てはまったものがあった。『白騎士隊』と呼ばれる魔術騎士たちの服だ。


 ヴォルフが身につける服は黒いが、金色の飾りといい、ほぼ同じだ。


「はい」

「きみは、魔術騎士に向いていると言われていたからな」


 こんな姿を見られるとは。


「やはり、魔術騎士になりたい気持ちもあったのか?」

「……いえ、単に途中で違う道を歩んでみるのもありだと思った結果、こうなりました」

「そうなのか?」


 はい、と弟子が言うのだからそうなのだろう。

 何はともあれ感慨深く眺めずにはいられない。そうやってリーデリアが見つめていると、ヴォルフの方が「そうでした」と何事か思い出したように声を出した。


「話は変わりますが、師匠の家は立ち入り禁止にしてあります」

「見たよ。……ん、してあります?」

「はい。途中までは師匠が帰ってくるまで保留とされていたのですが、その後俺がそのように」

「あれは、わたしが住んでいたときのままということか?」

「はい」


 家を見に行くと、立ち入り禁止になっていた。

 後に住んだ者が何かしでかしたのではないかと考えるくらいの立ち入り禁止のやり方で、百年という時が経って他の手に渡っている可能性が高いと判断していたリーデリアはそう考えていた。


 しかしそうではなく、この弟子が、リーデリアの家をそのまま保存してくれていた。


「それは、予想していなかった。何から何まですまないな、ヴォルフ。ありがとう」

「俺が勝手にしたことです」


 百年の時を挟み、何から何まで自由にはいかないリーデリアは、百年の間にも再会してからも弟子に世話になりっぱなしだ。

 これではどちらが師匠なのか分からない。


 それにしても、家がそのままであるということは……確か、家には……。


「……家に入ったか?」

「すみません」


 問いは、管理してくれていた弟子に対して百年の間に無断で入ったな、という意味で発したのではなかった。元々弟子も出入りしていた家だ。


 弟子が、百年経った今もここにいる理由を考えての問いだった。

 弟子が口にした、不老不死の魔術。

 これからじっくり聞こうと思っていたが、不老不死の魔術式は、リーデリアが私的に開発していた。


 ヴォルフが新たに開発したという可能性より、リーデリアの家にあったものでも使用したのではないかとちょっと思って聞いてみたのだが、当たったらしい。


 弟子は頭を下げた。けれど、リーデリアには怒る気はない。


「きみは冒険者だな」


 むしろ、感嘆に近いような気分だった。


「わたしの留守中はトラップだらけの家に入ることも、研究しかけの魔術式を使うことも」


 トラップは百年も経てば、力が続かず無くなっているだろうが、この弟子の姿ではトラップの効力が続いているときに入ったはずだ。


 本来、あの不老不死の魔術式は使った瞬間から体の時が止まり、不死の効果も加わるという方向で組み立てていた。……いや、待て。それなら、つまり、そもそも弟子が今ここにいるということは。


「ああ、違うな。きみが今生きているということは、魔術式が正しく働いたということだ。まさか、あの魔術式を完成させたのか」


 ここまで考えていて、今まで思い至らなかったことが遅かった。

 弟子は、あの魔術式を完成させたというのか。

 リーデリアは前のめりになった。


「いいえ」


 しかし、ヴォルフはあっさりと首を横に振った。


「そんな余裕はありませんでした。それに、俺では無理ですよ」

「……そのまま、使ったのか?」

「はい」


 同じ魔術式?

 それなら、普通であれば、その魔術式は発動するはずがない。


「成功したことにも驚きましたが、若返ったので、驚きましたよ」

「若返った?」

「はい。ちょうど、師匠のように」

「……ヴォルフ、その魔術式を使ってから現在で何年経った」

「八十年くらいですね」

「体の歳は、本当に重ねていないということか」

「はい。そうであれば、俺は今よぼよぼのおじいさんの姿のはずですね」

「……なるほど。不老は間違いなく働いているわけだな」


 しかし、どういうことだ。


 リーデリアの術式をそのまま使った。つまり、リーデリアが使った術式と同じなのだろう。

 リーデリアが百年も目覚めなかったが、百年間のリーデリアの知らない話を聞く限り、ヴォルフの方はそんなことはなかったという素振りだ。


 やはり、リーデリアの魔力が枯渇していたことによるのか。

 不完全な術式で、若返った部分は同じだが、捻れ方が異なったのか、あるいは──そもそもあの魔術式は若返るような効果があって、それも含め全てが奇跡的に上手くいったのか。奇跡はないな。


 共通点として若返ったという捻れ方は、この際いい。失敗するとき、同じ捻れ方をするということは、中々にある。


 百年意識があったなかったという問題も、魔術を成立させるための魔力が、使用しようとした時点で満足にあったかどうかによったと考えておけばいい。


 だが、根本的なところが分からない。

 あの魔術式は、魔力が足りたからと言ってそのままではのだ。あんな、非現実的な魔術。

 ──弟子も、働かないはずの部分を、何かで埋めたのか?


 黙るリーデリアに、ヴォルフは首を傾げている。


「まあ、いいか。わたしがいて、きみがいる。これが事実だ」

「はい」


 ヴォルフは、嬉しそうに笑った。


「よく家の中のトラップを抜けたな。あれは外に出すつもりは全くなかったから、かなり厳重にしていたはずだ」

「師匠の弟子ですから」


 完全に私的に研究していたものだから、王宮には持ち込まずに家にしか置いていなかった。


 弟子は、よく分からないことを言って、やはり何でもないように笑んだ。それはそれで悔しい。


 そこで、リーデリアはすっかり置いてきぼりにしているエイデンを思い出した。見ると、エイデンは全然気にした様子もなくこちらを眺めていた。


 この神は、リーデリアが考え、これから言うことについてどういった反応をし、どうするのだろう。


「話を、先に進めよう」

「まだ何か?」

「これがけっこうな重要事項だよ、弟子。わたしには、ある目的がある」

「目的、ですか」


 そう、とリーデリアは頷いた。


「わたしは、神々を消そうと思っている」


 弟子の動きが止まった。


 神は微笑みを崩し、一瞬驚いた表情を覗かせたが、すぐにまた微笑んだ。気のせいか、さっきよりも深く。






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