『再会に喜びを』

再会する



 リーデリアは、王宮の牢に入れられた。

 地下にある、灯りがなければ、暗い場所だ。太陽の光が入らない、暗闇で塗り潰されるような場所。


「神々を攻撃など、前代未聞だ。陛下にご報告するまでもなく、何らかの罰を、神々がお怒りになられる前に、一刻も早く……」


 白い服を来た魔術師たちが去ると、灯りもなくなり、真っ暗になった。

 何も見えない。

 自分の手さえも見えない。


「……誰かいるかー」


 声はよく響いた。

 だが、返る声はなかった。


 ここに放り込まれるまでに見た牢には、誰も入っていなかった。人の気配もない。

 ここは、余程の重罪人が入れられる牢のようだ。


 鉄格子に触れると冷たく、揺さぶってみるとがちゃがちゃ言う。

 立て付けが悪いのではなく、単に出入りする部分だからだ。錠前もついでにがちゃがちゃ言う。


 今のところ無理に出る気はないので、リーデリアは鉄格子から離れて後ろに下がっていく。壁際へ。


 無理に出ると言っても、どうせ魔術対策はしてあるに決まっている。つまり、余程の腕力自慢でなければ出られない可能性が高い。


「痛っ」


 下がりすぎて、壁にぶつかった。

 思ったより狭い。


 壁に触れようと思ったが、前で枷をつけられている手は、右と左がぴったりくっついているし、後ろまでは持っていけそうになくて止めた。


 大人しく、壁に背を預ける。

 目を閉じても、見える世界は変わらなかった。




 ──忘れていた。


 どうして忘れていることができたのだろう。

 百年も前とされるあの日、その土地へ行ったのは偶然だった。


 用事で、弟子と共に首都の外に遠出していた。思い返せば、首都を出るときから雨は降っていた。


 そのときは、最初は小雨だった。植物、土を潤わせ、恵みを与える雨。まだ、そのときは。

 用事が終わった日には、雨は強くなっていた。強く、強く。


 嫌な予感がした。来るときに通ってきたところに、小さな町がなかったか。

 雨で道が悪くなっているだろうと、行きとは異なる道を使うところを、同じ道で戻った。


 進むにつれて、悪路は増し、終いには道という形もなくなり、土砂で埋もれていた。

 そして、一旦馬を安全な場所に置いて足で向かった先で、人里が濁流に飲まれた様を見た。


 ──許せなかった


 天候を意のままにする神々が、あれほどの雨を降らせたこと。人々が死んだこと。それまで耳にしていたことも耳に甦ってくるようだった。


 何も人間に実りばかりを与え、甘やかしてくれと言っているのではない。殺してくれるなと、なぜ殺すほどのものにしなければならないのかと思った。


 そうでなくても人は死ぬ。

 それにも関わらず、なぜ。


 今日だってそうだ。明らかに人を何とも思っていないように、気にすることなく、人には影響が強すぎる力を持って喧嘩をするのは馬鹿なのか。


 心が騒いだ。止めろと叫びたいのはリーデリアの方だった。


 神にしてみれば、人はものに過ぎないのかもしれない。それは、もう、考えた。理解はできないが、考え至ることはできる。


 だが、人の側にしてみれば、勘弁しろと思う。自分たちはものじゃない。もの扱いするな、生きているし、死にたい者などいない。──命を奪うな。





 足音がした。

 どれくらいの時をそのままで過ごしたのか。リーデリアが思っているよりも長い時が過ぎたのかもしれない。彼らが、その決定を持ってきたから。


 でも、もしかすると彼らがその決定を下すのが早かったのかもしれない。もしくは、もっと上の人間が。


 灯りが、牢の前の通路を照らし、牢の中も少し照らすが、リーデリアの元までは届かない。

 白い服の者たちが、立っている。


「公開処刑が決まった」

「……公開処刑とは、それこそ前代未聞だと思うが」

「前代未聞のことを行ったのだ。神々によく見えるように、罰さなければならない」

「ああ、何だ……」


 きみたちは、恐れているんだ。神々の怒りが落ちることを。


 それは、そうだろう。相手は人の手など及ばぬ力を持った絶対的な存在であり、人間の世界を一変させる存在だ。


 リーデリアは同じことを繰り返した。

 怒りに支配され、中途半端なことをし、人々の不安を煽った。嗚呼、もっと上手くやれるのに。

 処刑とは実感が湧かない。


「処刑は一時間後だ。それまで自らの罪を悔いるが──」

「失礼、その前に前代未聞の罪人というものを確かめさせてもらおう」


 新たな靴音に気がつくのは、遅かっただろうか。 

 目の前にいる白服たちは立ち止まっているのに、足音が近づいてきた。


 処刑という単語を頭の中で転がしながらも、少し不思議に思ったリーデリアだったが、割り込んだ声が何となく耳に馴染んだ気がした。なぜだろう。


 強く引っかかり、処刑のことは頭の隅に心当たりを探るリーデリアの前で、白服の魔術師たちは驚いた様子になる。


「カルヴァート卿」


 一人が口にしたそれは、名字だ。

 リーデリアの思考が止まった。カルヴァート。そう言ったか。


 途端にどこかで急き始めた心とは裏腹に、何事かを確かめようと反応した顔はゆっくりと上げるはめになった。


 白い服とは正反対の色が映った。

 黒い服を身につけた者が複数、一人を先頭にして入り口の方向から来たようだが、リーデリアは一人を捉えたきり目を離せなくなった。


 先頭に立ち、一番に見る姿。リーデリアが目を見開けば、視線が交差した目も、溢れんばかりに見開かれる。


 牢を見るその男の、耳飾りの小さな石が揺れた。口が、動き、一言。声を出さずに、形作った。


 数秒だっただろう。けれど、しばらく目を合わせたままだった気もする。


 牢を覗きリーデリアを目にした者は後ろを振り向き、こちらに背を向けた。後ろ姿だけで、顔が見えなくなる。リーデリアは視線が動かせない。

 あの顔は、姿は、まさか、まさか──。


「この人をここから出せ」

「は? カルヴァート卿、今、何と?」

「この人をここから出すように言ったんだ」

「カルヴァート卿、あなたはその者が何をしたかご存知ないのだ。それは、あろうことか神々に魔術を放った。そのため、これから処刑され──」


 瞬きの間だった。

 剣が抜かれ、それがすれすれで壁に刺されたこと。

 パラ、と壁の欠片が落ちて、ほぼ全員が瞬きした。


「この人を、処刑する?」


 底冷えする声が、背中を向ける者から聞こえる。


「笑えない冗談だ。どうしてもそうするつもりと言うならば、その前に俺がお前たちをどうにかしなければならないようだ」


 壁と刃が不吉な音を立て、その場のほとんどの視線はそちらに流れた。

 だが、リーデリアは剣を持たない方の手が動いたことに気がついた。何か、魔術を使う気だ。


「──ヴォルフ、やめろ」


 思わず、囁くように言った言葉に、背中がぴくりと揺れた。


 名前に、反応した。それなら、彼は本当に。


 見る先で、黒い背中を見せる人物が次に突然動いた。剣がすぐ側にある者が震えるが──彼は、剣を鞘に収めただけだった。


「彼女の身柄は俺が預かる」

「え、……え?」

「神々からは何の怒りの言葉も降りてきていない。心が広い神々のことだ、人間に何かされたとしても、何も気にしていないのかもしれない」

「しかし──」

「陛下には俺から話を通す。もしも神々に要求されたならば、そのとき処罰すれば良いことだ。そのときは俺は止めない」


 「……まあ、そのときは身代わりを用意するが」という低い呟きが聞こえた気がした。


 そこから完全に場を丸め込み、白い服の魔術師も、黒い服の者もその場から去らせた人物は、ようやっと再びリーデリアの方を向いた。


 膝をつき、座るリーデリアに視線を合わせるようにした。魔術の白い灯りがあるため、顔は、改めてよく見える。


 髪は月が特別大きく、明るい夜の空の紺。瞳は、曇りなき薄い青。


 リーデリアは出会ったとき、なんと美しい瞳なのかと思った。そんなに美しい瞳は、彼に出会って以来、見たことがない。神々でさえも勝てないとリーデリアは思っている。


「──弟子、か?」


 その姿を、見間違えるはずがない。

 だが、そんな口調にならざるを得なかった。


「はい、師匠」


 弟子、ヴォルフ・カルヴァートは、少し成長したようだが若い姿で、朗らかに、嬉しそうに笑った。






 ──百年、経ったのに。


「まだ、生きていたのか」

「不老不死の魔術を少し」


 あまりの聞き方だったろうが、弟子は気にした様子もなかった。


 リーデリアがその答えに、どういうことかと尋ね返す前に、ヴォルフはひどく焦がれた瞬間がやって来たような声音を出した。


「あなたの帰りを、待っていました」


 少し、掠れた声だった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る