実際に乗ってみましょう

第14話 本当にママチャリより速いのでござるか?

 サイクリングロード。それは自転車が走りやすいように、自転車用に整備した道である。名目上は、の話だが。

 実際には、歩行者の侵入を禁止するような法整備は出来ていない。そのため自動車がいないことを除けば、ただの狭い道といった印象になるだろう。

 それでも、自転車にとっては楽園だ。

 なにしろ重量の重い車体が通らないため、アスファルトが綺麗に保たれるのだ。おかげでロードバイクのようなタイヤの細い車体は、いつも以上に速度を出せる。いや、ようやく本領を発揮できるというのが正しいか。


 だからこそ、その集団は気持ちよくサイクリングをしていた。そのはずだった。

 自転車を趣味とする地元のチーム……といっても、年に何度か草レースに出るだけのおじさんたちだが、彼らもまた、こうして速度を出すことを楽しみにしていた。

 自動車では味わえない体力の消費や、全身で感じる風。それらが一体となって、まるで翼を生やして飛んでいるような感覚になる。遠くに見える町並みを置き去りにして走る。本当に、鳥になったような気分だ。

 どんな鳥になった気分か……

 おそらく、カラスに目をつけられたスズメだろう。


「ちくしょう!どうして追いついてくるんだ?」

「速度上げて。リーダー」

「やってる。やってるんだが……」


 彼らの本日の目的は、あくまでサイクリングだ。レースではない。なので他の自転車と競争する理由などないのだが、

「なんで、俺たちに執拗に突き纏うんだよ。あのママチャリの女の子は!」

 相手が女。そして車体がママチャリなら、話は全く別になる。

 ロード乗りとしてのプライドがある。レーシングパンツとジャージに身を包み、流線型のヘルメットとスポーツサングラスで武装した集団。誰が見ても「本格的」と解る格好で、ママチャリに抜かれることだけはあってはならない。

 だからこそ……


「急げ。負けるわけにはいかないぞ」

「やってるけど、速度が上がらないんだって。変速ギアが故障したみたいだ」

「いや、壊れてませんよ。後ろから見てると解ります」

「ええい。無駄話は終わりだ。これ以上の醜態は……あああっ!」


 ついに、その少女に追いつかれてしまう。後ろにピタッと着かれた。まるで煽られているような感覚だ。

「おや、もうおしまいでござるかな?」

 間延びした少女の声に、似つかわしくない『ござる』という語尾。見た感じは、ただの女子高生といった風貌だ。背筋を伸ばし、軽く前かがみになって一文字(いちもんじ)ハンドルを握っている。

 短めのレーパンに、長いTシャツ。そして風に揺れるセミロングの茶髪。黒い自転車のカゴには、クマのぬいぐるみ。

 その姿は、このサイクリングロードでは有名だった。

「まさか、あいつが噂の『輪学わなびの殺戮ベア』なのか……」



 この輪学市のサイクリングロードには、恐怖のママチャリが出る。その車体はロードバイク並みに速い。

 それだけならいい。気にしなければ追い抜かれるだけだ。ただ、彼女と一緒に走った人たちはみな、言う。

『水中に引き込まれるような感覚を味わった。気付いたら息ができなくなっていた』

 その言葉通り、倒れる人が続出。気付いたら病院に運ばれていたなどという話もある。

『クマのぬいぐるみを、カゴに入れた自転車だ。もし遭遇してもかかわるな』

 そんな話を、このチームも聞いていた。だがあまりにも嘘くさいので、ただの都市伝説だと思っていた。

 まさか本当に――




「覇ぁっ!」


 少女が一声上げる。ビリビリと痺れるような声が、周囲に反響して耳に残る。

「な、なん……だ?」

「くる……し、い。息がっ――」

「がっ、あ、ば……」

 その声を聞いたもの全員、呼吸が止まる。

 いくら息を吸い込んだところで、まったく酸素が来ない。自転車は泥の沼でも進むかのように重くなり、脚は痺れて回らない。

 視界がぼやける。今、自分の車体は垂直だろうか?傾いてないだろうか?


 ガシャン――


 それを疑ったものから順に、地面に倒れていく。先ほどまで吊っていた糸が切れるように、一台。また一台。

「うっぷ、おえぇぇええ!」

「バカ、吐くな。お、俺だって我慢して……うげぇ!」

 他のメンバーも体調不良が重なり、ついにはブレーキをかけて道を譲ってしまう。

(嘘だ。嘘だ。うちのチームが、こんな小娘相手に……それも、原因不明のやられ方で……)

 リーダーは一人、走り続ける。その横を、女がにこやかに通った。

「楽しかったでござる。これに懲りず、また遊びに来てくれると嬉しいのじゃが?」

 その姿は、本当に優雅だった。ただママチャリを漕いでいるだけ。はたから見たらそう見えるだろう。

 そのえげつない速度を、並走するリーダーは見ていた。

(俺の車体が、50km/hだぞ……それを抜くのか?ママチャリで、こんな……)

 驚愕の速さだった。ロードなら当たり前に出る速度で、クロスバイクでも頑張れば出せる。しかしママチャリでこの記録は、なかなか出せるものではない。

「それでは、拙者はこれにてドロン、でござるよ」

 リーダーを追い抜いた少女が、そのまま彼を置き去りにする。さっきメーターに映った50km/hが本当なら、今の彼女は一体どれほど……




「ふう、楽しかったでござるな。お主もそうであろう?からあげ」

 クマのぬいぐるみを軽く撫でて、話しかける。当然だが、ぬいぐるみは何も返してこない。それでも、

「ふふふっ、分かっておる。もう一人ほど沈めたら、今日はおうちに帰ろうぞ」

 まるで会話が成立しているかのように、話し続けていた。


「ん?あれは……」

 視界の端に、2台の自転車が映る。丁度サイクリングに来たらしい男女。大学生だろうか。いい自転車に乗っている。

 一人はGIOS AIRONEアイローネで、もう一人がBianchi ROMAローマだ。

「ルリ姉ではないか。友人連れ……まして男連れなど珍しいでござるな」

 女の方は知り合い。しかし男の方は見たこともない。何やら親しげな様子だ。

「むー。よし、あの男を潰そうぞ。のう、からあげ?」

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