Day 31

「いらっしゃいませ」

私は待ち望んでいたお客さんを、ロイヤルブルーのエプロンをつけて出迎えた。

お客さんは、彩恵ちゃんだ。

彩恵ちゃんは今日、桜ヶ丘病院を退院した。

退院後はやっぱり養護施設に移り住むことを希望して、これから出発なんだけど

「養護施設に移る前に、どうしても日菜ちゃんたちのお店に行きたいの」

って、言ってくれた。

今まで何人ものお客さんを迎えてきたけど、今回は本当に特別で、本当に心の底から嬉しくて、私も茉莉ちゃんも嬉しさで溢れそうな涙を抑えながら、笑顔で彩恵ちゃんにお店を案内する。

「わあ・・・、日菜ちゃんたちが話してくれてたとおり!すっごい素敵なお店!お花買っていってもいい?」

「もちろん!」

カウンター席から離れて、無邪気な笑顔で花を選び始める彩恵ちゃん。

出逢った時のような可愛いおさげはなく、綺麗な髪は肩で切りそろえられている。ずいぶんと大人っぽくなった彩恵ちゃんが特別に見えるのは、彩恵ちゃんが成長したからなのか、それとも・・・、今日で、お別れになるからなのか。

「・・・ねえ、彩恵ちゃん。一華さんとは・・・、会えた?」

さりげなく聞いた私の言葉に、彩恵ちゃんはハッとなって私の方に向き直ると、少し寂しげな笑顔で頷いた。

「診察があるから、ここには一緒に行けないって」

「そっか・・・」

「でも、ちゃんとお別れも言えたから」

そう言って、彩恵ちゃんはまた花を選び始めた。

答えを聞いて私と茉莉ちゃんはアイコンタクトをとる。

私は、一度深呼吸をしてから、もう一度彩恵ちゃんに尋ねた。

「いいの?彩恵ちゃん・・・」

「え?何が?」

「本当は、一華さんと・・・離れたくないんじゃない・・・?」

「・・・やだなぁ、日菜ちゃん。わたし、もうそんな小さい子じゃないし。一華先生だっていつまでもわたしがいたら困るでしょ?」

「もしも、困らないって一華さんが言ったら?」

「言うわけないよ。一華先生、今はもう新人のお医者さんじゃないもん。わたし以外にも患者さんがたくさんいる」

「じゃあ彩恵ちゃん、養護施設に行ったら・・・どうするの?」

「どう、って・・・。みんなと暮らすよ。あ、もしかしたら新しい家に行くかも」

そこまで言った彩恵ちゃんは、さすがに笑顔を消して、私と茉莉ちゃんを疑いの目で見つめてくる。

「本当にどうしたの、日菜ちゃん、茉莉ちゃん・・・。なんでそんなこと聞くの?」

「だって・・・、だって、彩恵ちゃん言ってたでしょう?「一華先生がお母さんになればいいのに」って・・・」

「あ・・・。あれは、冗談だよ!もう、2人とも」

「彩恵ちゃん」

「・・・」

「自分に嘘つかないで」

茉莉ちゃんの普段とは違う声のトーンに、彩恵ちゃんは押し黙った。

もうそこには笑顔がなくて、代わりにあるのは何かを我慢するような表情と、今にも泣き出してしまいそうな瞳。

数分経って彩恵ちゃんは、声を震わせながらようやく本音を話してくれた。

「・・・言えない。そんなわがまま・・・。言いたくないもん」

「・・・」

「今までたっくさん大変な思いさせてきた一華先生に、言えるわけない。一華先生は、絶対にわたしのことそんなふうに思ってないよ。それにもしもまた、わたしが病気になったら、今度は一華先生に嫌われるかもしれない。和彦さんだって・・・、なんでもないわたしと家族になって、わたしがまた病気になったりしたら、わたしのこと絶対嫌いになる」

本音を吐き出した彩恵ちゃんは、涙を堪えながら、私を見つめて言った。

「本当のお父さんとお母さんには嫌われたっていい。でも、一華先生と和彦さんだけには、絶対に嫌われたくないの」

彩恵ちゃんの言葉を聞いた茉莉ちゃんはゆっくりと頷く。そして、螺旋階段の方を見た。

「・・・だそうです。お二人とも」

刹那、彩恵ちゃんの動きが止まる。そして螺旋階段に隠れていた和彦さんと一華さんが、ゆっくりと階段を降りてきた。

身動きが取れなくなった彩恵ちゃんの前まで来た一華さんは、彩恵ちゃんの前でしゃがむと、

「彩恵の気持ちはわかった。だから、私の気持ちも、聞いて?」

俯く彩恵ちゃんに、とびきり優しく言った。

「私、すごく、すごく性格が悪い大人だから・・・、彩恵の手術が成功して元気になっていく姿を見て、何度も何度も「彩恵のお母さんになれたらいいのに」って思ってた。彩恵と離れたくないって思ってた。それに、私は彩恵のご両親と違って、彩恵のこと大好きでいる自信がある・・・って。ごめん、私は卑怯だから」

「・・・違う、違うよ」

「そんな性格悪い私、彩恵には絶対知られたくなかった。彩恵に嫌われるのが怖くて、私も彩恵に本当の気持ち言えなかったの。彩恵の幸せを願って、彩恵の選んだ道を応援してあげなくちゃって考えていたしね。でも、そうやって迷っていたら・・・和彦に怒られちゃった。「一華は弱いね」って」

彩恵ちゃんと目が合った和彦さんは、いつもの優しい笑顔を彩恵ちゃんに向けた。

「・・・彩恵」

一華さんが名前を呼んだ瞬間、彩恵ちゃんの涙が床に落ちる。一滴落ちた瞬間、他の涙も後を追うようにポタポタと床に縁を描いていく。

「私は彩恵のこと、何があっても嫌いにならない。もしもまた病気になっても、何度だって、私が治す。何があっても彩恵のこと置いていかないし、彩恵が大人になるまで彩恵のそばにいたい」

「・・・」

「彩恵のお母さんになりたいんだ」

ようやく言葉になった一華さんの願いが、私の中にもストンと落ちて、体になじんていくような感覚がする。

それはきっと、私もその言葉を待っていたからなんだろうな。

花の香りが流れる中、彩恵ちゃんはゆっくりと顔をあげて、声を振り絞って答えた。

「一華先生・・・」

「うん」

「・・・私も、私も・・・、一華先生が、お母さんがいい。お母さんに・・・、なってくれる・・・?」

彩恵ちゃんの答えを聞いた一華さんは、優しく彩恵ちゃんを抱きしめた。

泣きながら。

「もちろん」

幸せそうに答える一華さんに抱きしめられたまま、彩恵ちゃんは自分自身に言い聞かせるように呟く。

「・・・もう、私・・・、1人にならないかな・・・。1人になったり、しないかな」

そんな彩恵ちゃんに和彦さんがそっと寄り添うように声を掛けた。

「もう大丈夫だよ。彩恵ちゃん。絶対に彩恵ちゃんのこと、1人にしないから。今まで、よくがんばったね」

その言葉を聞いた彩恵ちゃんは、一華さんを抱きしめ返すと、お母さんに甘える小さな子のように、泣きじゃくっていた。

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