Day 7

その言葉に渦を巻くのが完全にストップした私は、数回目を瞬きして「いえ・・・」と呟く。

そんな様子はみじんも見られなかったし、あの勉強熱心な彩恵ちゃんが簡単に休むとは思えない。

一華さんは私の反応を見ると、小さくため息をついた。

「困ったな・・・、なんでだろう」

「一華さんには何も?」

「うん。何度私が聞いてもダメでね・・・。日菜ちゃんなら、って少し思ったの」

「・・・よかったら、私も彩恵ちゃんに聞いてみましょうか?」

私はそう提案して、いつもの彩恵ちゃんの病室のドアを開けた。ドアを開けると、いつも開放的で真っ白な部屋に、彩恵ちゃん1人がいる。今日もそうだった。

彩恵ちゃんは私の姿に顔を上げたが、一華さんを見るとすぐに顔を伏せてしまった。

そんな彩恵ちゃんの前に、私はしゃがんで尋ねる。

「・・・一華さんから聞いたよ・・・。院内学級、行ってないの?」

「・・・うん・・・」

「・・・どうして・・・?」

彩恵ちゃんはしばらく俯いていたが、ようやく小さな声を発した。


ナースステーションにいた看護師さんに聞いたら、一華さんは外来患者さんの診察に出かけて、夕方からは入院患者さんの回診があると返事が返ってきたので、私はゆき音と一緒に子供たちに読み聞かせをしたり、食堂でスマホを見たりして時間をつぶしていた。途中で現れた茉莉ちゃんには、ここで待たなければいけない理由を話して、先に家へ戻ってもらった。

これは直接、言わなきゃ。

そう思った。

「日菜ちゃん」

夏の長い陽が落ちた食堂に、一華さんが息を切らしながらやって来た。

「ごめんね、こんなに待たせて・・・。あ、もうこんな時間。夜ご飯は・・・?」

きっと忙しい合間を縫って急いできてくれたに違いない。

私は一華さんの雰囲気につられて、つい椅子から立ち上がりながら

「あ、まだ・・・」

と、短く答える。

「夕飯おごるよ。なにがいい?」

「え、そんな!」

「ううん、いいよ」

結局私は一華さんのご厚意に甘えて、オムライスをごちそうになることにした。私の目の前に座った一華さんは生姜焼き定食をテーブルに置く。

でも、一華さんは・・・、今きっと夕飯どころじゃないよね。

私はそう思ってスプーンを置いて、彩恵ちゃんの話を一華さんに切り出すことにした。

「彩恵ちゃんから、院内学級に行かなくなった理由・・・話してもらえました」

そのひと言で一華さんは箸を持っていた手を止めて、まっすぐに私を見つめてくる。

「なんて言ってた・・・?」

「劇だそうです」


「・・・今度、院内学級に通ってる友達で、劇やることになったの・・・」

院内学級の生徒で行うことになった劇「オズの魔法使い」。

それぞれ生徒に役が割り振られることになったのだが、生徒の中で女の子は彩恵ちゃんともう1人の子だけ。

どちらかがドロシー・・・、主役になることは明らかだった。

彩恵ちゃんはじゃんけんで一度は運よく主役を逃れた。もともと引っ込み思案で人前に出るのが嫌いな彩恵ちゃんは、主役回避に大いに喜んでいた。

けれども翌日、もう1人の女の子のお母さんが現れて先生達に言ったらしい。

「うちの子、そういう人前に出るのが苦手で・・・。負担を掛けたくないんです。もう1人女の子はいるんですよね?」


そんな親御さんからの申し出に先生も、お医者さんも看護師さんも断るはずがない。

そうして、彩恵ちゃんに主役が手渡された・・・。

「こないだの練習も・・・、みんなに、声が小さくて聞こえない、って笑われた・・・」

彩恵ちゃんは泣き出しそうな表情で、私に言っていた。

それを伝えると、目の前の一華さんは何も言わずに視線を落とした。

「なんで・・・、私に言ってくれなかったのかな・・・」

誰に言うでもなく呟かれた一華さんの心の言葉は、白いご飯から立ち上る湯気に溶けていく。

「遠慮させちゃったかな」

「・・・大好きだから・・・」

「・・・え?」

「一華さんのこと、彩恵ちゃん・・・大好きだから、言わなかったんだと思います。彩恵ちゃん言ってました。「私が悲しいって知ったら、きっと一華先生は私よりも悲しくなる」って・・・」

真っ白で一華さんもいない病室で、彩恵ちゃんは私に向かって懸命に自分の気持ちを言葉にしてくれた。

「一華先生に悲しい思いさせたくない。それに・・・、一華先生、すごい忙しいから。お医者さんって忙しいんでしょう・・・?一華先生のこともっと忙しくさせちゃう・・・」

でも本当は誰よりも一華さんを頼りたかったはずだ。一華さんに話したかったはず。

「・・・なんか、私が語るのもおかしいですよね。すみません」

「ううん。そんなことない・・・、そんなことないよ。ありがとう」

彩恵ちゃんが院内学級へ行きたがらない理由をようやく知れた一華さんは、どこか安心したような表情をする。

そして綺麗な白い手を合わせて「いただきます」と箸を持った。

そんな一華さんにつられるようにして、私もオムライスを頬張った。

「そういえば・・・、奈々美ちゃんって、日菜ちゃんのカフェに来てたんだね」

オムライスの最後のひと口を前にして、私は思わず動きを止めてしまった。

私の頭の中に、奈々美ちゃんと一緒にいた時間の風景が流れる。

そしてあの、奈々美ちゃんをのせたストレッチャーが動く音も・・・。

「日菜ちゃんはすごく優しいから、たぶん今・・・、すごく悩んでいるんじゃないかなって思って・・・」

「・・・」

「奈々美ちゃんは、最悪の選択をしてしまった。けれどもそれは・・・、奈々美ちゃんが決めたことだから。日菜ちゃんが奈々美ちゃんの支えになろうとしてくれていたことは、奈々美ちゃんも気づいていたと思う。今回は、ギリギリのところで命を救うことはできた。だから・・・、これから、どうしていくかだね」

「これから・・・」

そこまで言った一華さんは、

「・・・そうだよね・・・」

と、小さく、でも自分に再確認させるように呟くと、

「日菜ちゃん、ごめん・・・、この後大丈夫?」

「大丈夫ですけど・・・」

「彩恵と話がしたい。仲介役してくれないかな・・・?」

今まで聞いた一華さんの声の中で、1番弱くて。でも「守りたい」という心の思いが聞こえる声で頼み事をしてくれた。

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