Day 4

今日も近くで電車が走り抜ける音と一緒に蝉の大合唱が鳴り響く。

いつの間にか私の周りの季節は夏に変わって、淡いピンク色の桜は生命力溢れる緑色に模様替えしていた。

私は汗が背中を伝うのを感じながらも、花屋の仕事の真っ最中。

夏休みに入ってからは花屋の仕事する時間が増えて、自分でもすっかり仕事が板についてきたように思う。花屋の仕事は思っていたよりも大変だったけど、毎日綺麗な花が見れるのは嬉しい。

そう思いながら夏の向日葵を見つめていたら、すぐ隣で鈴の音がして、中学生くらいの女の子がお店を出ていくのが見えた。

「ありがとうございました!」

反射的に言う私とは反対に、女の子は無言で、目も合わさずにお店を後にする。

最近の常連さんだ。

肩まであるボブヘアーの髪は女の子の歩調に合わせて楽し気に揺れているが、女の子は、話もしなければ笑顔も見せない。ただお店の奥にある本棚の本を数時間見つめて帰るだけ。

少し不思議なお客さん。

「こんにちは。店員さん」

女の子に気を取られていたら、不意に誰かに肩を叩かれた。

私が慌てて振り向くと、そこにはもう1人の常連さんである、和彦さんが立っていた。そしてすぐ隣には一華さんの姿もある。

「いらっしゃいませ!」

「夏休みもお仕事ご苦労様。補習とか大丈夫?」

「はい。おかげさまで、回避しました・・・!」

白のロングTシャツと黒のスキニーパンツ、そしてさらりと重ね着したブルーのシャツがお洒落な和彦さんは、私の反応を見ると「学生は大変だねえ」と笑ってみせた。

私はというと、和彦さんと笑顔を交わしながらも、隣の一華さんに意識が自然と引き寄せられていた。

お医者さんという忙しい職業の一華さんは、当然のことながら、ヘアスタイルはいつもシンプルな1つ結び。けれども今日は、長い黒髪はギブソンタックにしてまとめ上げられている。耳の後ろから垂れる美しい黒髪と、真っ白で程よく細い首が、本当に芸術品のよう。

服装もドレープが華やかなトップスに紺色のスタイリッシュなパンツ、キラキラとビジューが光るハイヒールの組み合わせが、一華さんらしい。

「中にどうぞ」

私がそう言って夫婦を店中に案内すると、程よく冷房が効いた店内で待ちわびていた茉莉ちゃんが、全力で出迎える。

「いらっしゃいませ!!!! ・・・はあっ!?」

そして案の定、一華さんを見て恋する乙女のような表情を見せた。

そんな茉莉ちゃんに一華さんはたじたじ。

「一華さん・・・、結婚してください」

「茉莉ちゃん茉莉ちゃん。落ち着いて。旦那さんいるから」

私が突っ込むがその効果もなく、茉莉ちゃんは一華さんににじり寄る。一華さんは怪訝そうな顔をしながら後ろへ下がっていく。

2人が対照的すぎて、なんだかコミカルだった。

「あの、普段お化粧品はどこで。お洋服はどこで。というか、めっちゃ美肌!美白!!どこからその美貌は来たんですか!!!」

ヒートアップした茉莉ちゃんをなんとか鎮めた私は、茉莉ちゃんがこれ以上一華さんに近寄らないように奥のキッチンに行かせる。

そしてアイスコーヒーをグラスへ入れると、カウンター席で本を眺めていた夫婦に差し出した。

「どうぞ」

「お、いただきます」

「・・・いただきます」

2人は今日も同じタイミングでグラスを口へ近づけて、コーヒーを静かに飲んだ。

「今日は、一華さんお仕事お休みなんですね」

「うん」

いつぶりだろうか、一華さんは丸1日の休暇を手に入れたという。

貴重な1日を迷うことなくデートに使うことになった2人は、どこへ行こうか悩みに悩んだ。そして悩んだ末に、ここへ来てコーヒーを飲んで本でも見て、帰りに花でも買おうか?

そう言い合ってくれたらしい。

「いいんですか・・・、貴重なデートの場所がここで」

奥で茉莉ちゃんがため息交じりに行った時、一華さんが足元から紙袋を取り出して私に手渡した。白くて細い一華さんの手に私の手が包まれ、私は不覚にもドキドキしてしまう。

「これ、いつもボランティアに来てくれたり・・・、お店でお世話になってるお礼。お口に合うかはわからないけど・・・」

私と茉莉ちゃんは一華さんに許可をとって、もらった紙袋に入っていた箱を開けてみた。

するとそこには、夏の季節にぴったりな桃のムースタルトが入っていた。

艶やかな桃と真っ白なムースの色合いが綺麗だし、何よりとても高価そう。

こんないいものをいただいていいのかな。たかがボランティアだし、このお店も仕事として・・・。

「それ、一華の18番デザート。この季節になると毎年作るんだよな」

「・・・えっ、手作り!?」

「そ、そう。だからもしかしたら2人の口には合わないかもし」

「絶対合います!!!え、お店で買ったやつかと思ってた!」

「私も!」

茉莉ちゃんの勢いに今ばかりは加勢する。

私は冷蔵庫に大切に大切にそれをしまうと、カウンター越しに一華さんと和彦さんと一緒に会話を楽しんだ。桃のムースタルトの効果は絶大で、普段はあまり話してこなかった一華さんとの会話も弾む。

「一華さん、お料理も上手だなんて完璧ですね。いいなあ」

「そんな。全然完璧じゃないよ。料理もそうだし・・・、仕事の面でも」

「1番よく作る料理は?」

茉莉ちゃんの問いに、一華さんは動きを止めて少し考えた。隣で和彦さんは嬉しそうに微笑んでいる。

「・・・何だろう。あまり、普段は料理しないから・・・」

「一華はよく和食作ってくれるよね。こないだの休日も、茄子のはさみ揚げ、作ってくれたでしょ?あれ美味しかったよ」

「「いいなあ〰〰〰」」

「一華の作る料理の何がいいって、健康的なところ!さすがはお医者さんだよな。栄養バランス良くて助かります」

そう言う和彦さんの服の裾を引っ張りながら「本人の前でそういうことは言わないでいいの」と、一華さんは若干頬を赤くした。

いつもはカッコよくて少し距離を感じる一華さんだけど、なんだか今日は可愛い。

「和彦さんが羨ましい〰〰!女子2人だと太るメニューばっかり思いつくよね。今度から2人で、ダイエットする?」

「いいね」

「それはダメ」

女子2人暮らしの食生活の切実な悩みをこぼしたら、目の前にいた一華さんに静かに止められた。

その顔はもう「一華先生」。

一華さんは、固まる私達をゆっくりと見て

「10代の女の子は自分が太ってると思いがちだけど、実は全然そんなことないの。皆ほとんど標準。なのに無理に痩せようとしたり、痩せるように仕向けた食事を用意したり、お菓子を我慢したりするでしょう?それってすごい精神的にも身体的にも大きな負担なの。特に体が成長している今はね。下手したら栄養失調とか貧血とか、拒食症もあり得る。2人は今見た限りダイエットなんて必要ない体だと思うし、女の子なんだから貧血とかには気をつけな」

あっという間に診察をしてしまった。

あまりの神業に何も言えないでいたら、一華さんも我に返ったような表情をしてその場の空気をごまかすようにアイスコーヒーを一口飲んでから

「ごめんなさい・・・、仕事の話をしちゃって」

小さな声で謝った。

「いえ、そんな!参考になりました」

「でも、そう考えると怖いよね・・・、拒食症とか・・・」

私が思わず身震いをしながら言うと、和彦さんも一華さんの隣で言う。

「若い子に多いらしいねえ・・・。怖いよホント」

そして、一華さんも困ったような表情で続けた。

「最近、うちの心療内科にもそういう症状を抱えた学生がたくさん来てるみたい。拒食症とかに限らず、いじめとか・・・精神的ストレスで。私が学生のころ・・・どうだったかな」

一華さんのその言葉を聞いた時、夫婦2人が来店する直前にお店を去った女の子の後ろ姿が思い浮かんだ。

「・・・ごめん、また仕事の話だ」

「私達構いませんよ。ね、日菜」

「え?あ、もちろん」

「・・・本当にごめん、こういう時の為の話のネタがなくて・・」

「え、じゃあ私から質問してもいいですか?」

「茉莉ちゃん。今日は和彦さんと一華さんのデートなんだよ」

「ああ、いいよいいよ!どうぞ、茉莉ちゃん。たくさん質問して。俺は家に帰ってもたくさん質問できるから」

その後の茉莉ちゃんから繰り出されるマシンガンのような質問の数々に、一華さんは少し驚きながらも丁寧に答えてくれた。

やっぱり笑顔はないけれど、冷たいなんて思わない。むしろ温かさえ感じる。

そして2人は帰る時に

「和彦、ちょっと待って」

「うん?」

「彩恵にお花買っていい?」

一華さんの提案で、小さなブーケを彩恵ちゃんのために買っていった。お花は一華さんが数あるお花の中からセレクトする。和彦さんも「これ、喜びそうじゃないかな」とアドバイスを送っていた。

「お2人にとって、彩恵ちゃんは本当に大切な女の子なんですね」

私が心の底から感じたことをそのまま伝えると、一華さんは一瞬だけ動きを止めて

「・・・そうだね。大切・・・かな」

静かにつぶやいて、花束が入った紙袋を受け取った。

一華さんが選んだ花束は、ラベンダーの紫色が美しかった。


「茉莉ちゃん〰〰」

真夏のお風呂上りに冷房を浴びながらソファーに横になるのは至福の時間だ。

夏になるたびに例外なくそう思う。

私はそんな至福の時間の最中、洗面台にいる茉莉ちゃんに問うた。

「最近来てるあの女の子、いつもお店で本読んでくれてるの?茉莉ちゃんあの子にコーヒー淹れたことある?」

「ああー、あの子のお母さんがこないだ来たよ」

「えっ、いつ?」

「日菜が終業式だった日の夕方。ゆき音ちゃんと遊びに出かけて、遅くまで帰ってこなかったから会わなかったんだね」

「なんでお母さん?」

そこまで聞いた時、茉莉ちゃんは洗面台からようやく出てきて、ソファーの上で広げていた私の足をどかせるとそのままソファーに体を預けてこう言った。

「あの女の子、学校行けてないんだって。ずーっと家にいたけど、ようやく最近出かけ始めて。行先がここだって分かったらしい」

心の中で「ああ、やっぱり」なんて思ってしまった自分がいた。

私はそんな自分が許せないような・・・、なんだかいけない気持ちになって何も言えなくなってしまう。

「だから、「うちの子をよろしくお願いします。ここが唯一の居場所だから、何か話しかけてやってくれ」ってお願いされた」

そんな私とは反対に茉莉ちゃんはあっさりしている。

「学校は残酷だねえ・・・、日菜は大丈夫?」

「・・・え、何が??」

「いじめとか」

「ないない!大丈夫だよ。心配しないで。」

「そう〰〰?あ、そういえば。ゆき音ちゃん、明後日からお泊りに来てくれるんでしょ?部屋片付いてる?」

と、言われた瞬間、私は慌てて自分の部屋へと駆けこんだ。そんな私を笑う茉莉ちゃんの明るい声が、後ろから響いた。



ゆき音は夏休み前から、

「夏休みに入ったら日菜の家に泊まりに行く!」

と言ってくれていた。

「桜が丘病院のボランティアも引き続き参加するしね」

終業式の放課後に一緒にクレープを食べていたゆき音は、約束していた日の時間通りに私のお店の前までやって来た。

「すごっ!こんなオシャレなところに住み込みとか、羨ましすぎるよ」

「こき使われてるよー。中入って!」

私達ははしゃぎながら店内に入ってそのままらせん階段を上がる。

そして私はゆき音を自分の部屋へ通すと、冷蔵庫からリンゴジュースを取り出して高校生ながら昼間から乾杯を交わした。

なんだか今、ようやく夏休みって感じがする!

そう思いながらゆき音と話していたら、不意にドアがノックされて、茉莉ちゃんが現れた。

「お姉さん達。盛り上がってるところ悪いけれども、そろそろボランティアに向かう時間じゃないですか?」

「やっば!」

お互いにそう言い合って、最低限の荷物を鞄に詰めると、勢いよくらせん階段を駆け下りる。すると2階から茉莉ちゃんは身を乗り出して

「ボランティア終わったら寄り道しないで帰ってきてよ!ゆき音ちゃんもね」

私達のお母さんのような口ぶりで言うと、手を振って私達を見送った。

「一華さん!」

私が桜が丘病院に着いてまずしたこと。

それは、一華さんに先日貰った桃のムースタルトの御礼を伝えることだった。

看護師さんにお願いして一華さんを呼んでもらおうかと思っていたら、一華さんが偶然歩いているところを発見することが出来た私は、慌てて一華さんを呼び止める。

「あの、こないだのムースタルト、すっごくおいしかったです・・・!ありがとうございました!」

私が心からの感謝を伝えると、一華さんは

「お口に合ったようでよかった」

少し安心した表情で言う。

少しずつだけど、一華さんの感情の起伏が私でもわかるようになってきた。

「ダイエットのお話も参考になりました。無理なダイエットはやめます」

「うん。それがいいと思うよ」

たわいもない会話をしながら、私はいつも通り彩恵ちゃんの病室へ向かう。

一華さんのノックで彩恵ちゃんの部屋に入ると、彩恵ちゃんはいつものように、ベットの上のテーブルにノートを広げて勉強をしていた。

「たまには遊ぶのも大切だよ」

「一華先生も、たまには遊ぶのも大切だよ」

彩恵ちゃんはふくれっ面で一華さんに言いかえす。けれども私と目が合うと、いつものように笑顔で手を振ってくれた。

「はい。お手紙」

「ありがとう。今度は向日葵の封筒だ。あ、そうだ。こないだ一華先生がくれたラベンダーの花束すごくきれいだったの」

「今1番のおすすめ商品」

そう言うと、私達はくすくすと笑い合う。その様子をいつものように、一華さんは少し離れたところで見守っていた。

「遊ぶのも大切って言われても、わたし、遊ぶものがない。一華先生が買ってきてくれた本も全部読んじゃったんだよ」

彩恵ちゃんが指さす先には、小さいながらも本がぎっしりと詰められた本棚がある。私は彩恵ちゃんに許可を得てから、本棚にある本を一冊ずつ見せてもらった。

シリーズものがほとんど。女の子らしい、ファンタジー要素がいっぱいの本棚だ。その本棚の中に、一冊だけ絵本が紛れている。クマの絵が可愛い。

私も家に、似たような絵本があったなぁ。

「彩恵ちゃん。この絵本、お気に入りなの?」

「うん。お父さんが、入院するときに買ってくれたの」

「へぇ・・・」

「彩恵」

いつもの凛とした声に、思わず私まで一華さんの方を見ると

「新しい本」

一華さんは彩恵ちゃんの前にパッと新しい本を見せていた。彩恵ちゃんはその本を手に取ると、目にもとまらぬ速さでページをめくり始める。

その集中力に私は心底驚いた。

今、彩恵ちゃんは完全に物語の中。私が声をかけても気づかないだろう。

そういえば、最近新しいシリーズを読み始めたって手紙に書いていたっけ。3人の女の子が冒険をしていく話・・・って。

もしかして、今読んでる本はその続編なのかな?

このまま私がここにいても、彩恵ちゃんに気を使わせてしまうかもしれない。

そう思った私は、「友達のボランティア手伝ってくるね」と声をかけて、病室を出た。

「うん。来てくれてありがとう!」

彩恵ちゃんに手を振り返して病室を出た私は、そのままゆき音のもとへ向かうために、子供たちがはしゃいで通り抜ける廊下を歩き出す。

「日菜ちゃん」

すると、後ろから一華さんが呼び止めてきた。

なんだろう・・・?

首をかしげていると、

「ごめん、夕方・・・ちょっといい?」

私の背筋が思わず伸びしてしまう一言を、一華さんはなんだか申し訳なさそうな顔で告げた。


「ごめんね。時間を貰っちゃって・・・」

その日の夕方。

私は椅子とテーブルだけが用意されたシンプルな部屋に通された。

一華さんは申し訳なさそうに言うが、一華さんの方が私よりも時間はないはず。

私はそう思いながら「気になさらないでください・・・!」と言った。

でも、なんだろう・・・話って。

一華さんと2人っきりで対峙するなんて、なかなかない。

緊張するのを抑えきれずにいたら、一華さんがいつもの静かな声で話を切り出した。

「彩恵のことで、話しておきたいことがあって」

その言葉を聞いて、私は勝手に、彩恵ちゃんの病状が悪いのかと思い込んでしまった。

けれどもそれは、見当違いのようで・・・。

「彩恵の家族について・・・」

「・・・家族?」

「うん」

彩恵ちゃんの家族について、一華さんは教えてくれた。

「彩恵のお母さんは・・・、彩恵が生まれてすぐに他の男性と一緒になったの。生まれたばかりの彩恵と、彩恵のお姉さんと、彩恵のお父さんを置いてお母さんは家を出て行った。お父さんは、その後彩恵と彩恵のお姉さんの面倒を見ていたみたいなんだけど・・・」

彩恵ちゃんが4歳の時に発病して、この病院に運ばれた。

一度は容体が安定して家に戻った彩恵ちゃんと彩恵ちゃんのお父さんだけれども、お医者さんが彩恵ちゃんの病気の様子を見て入院を勧めたらしい。

そして入院当日。

お父さんと離れるのを泣き叫んで嫌がる彩恵ちゃんを病院に残したお父さんは、そのまま今日まで1度も、彩恵ちゃんの前に姿を現すどころか、この病院にも来ていないという。

「ここに来るのは彩恵の治療費だけ。噂だと、新しい家庭を持ったとか言われてるけど・・・どうかな」

「それって・・・!」

怒りを隠し切れない私とは反対に、一華さんは無表情のまま続けた。

「彩恵には、彩恵を待つ家族がいないの。病気が治っても帰る家はない・・・」

彩恵ちゃんは確か、まだ9歳。小学校4年生。そんな小さな子の現実にしては過酷すぎる。

病気を抱えていてただでさえ不安だろうに、その不安に寄り添ってくれる家族もいなければ、帰る家もないなんて・・・。

想像しただけで、寂しさや苦しさや辛さが募った。

「最近、彩恵が日菜ちゃんと仲良くしてくれているのを見て・・・、言っておいた方がいいかなと思ったの。何かがあった時にこのことを知らなかったら、日菜ちゃんは凄く優しいから傷つくと思うし・・・」

「そんな・・・」

「彩恵からも言いだすことはないだろうし・・・。今は、この病院の人達が彩恵の親代わりのようなものなの。だから何か・・・、彩恵が失礼をするようなことがあったら」

「彩恵ちゃんが失礼なことだなんて。そんなこと、絶対ありません」

彩恵ちゃんと知り合ったばかりの私が断言するのはおかしかったかな?

でも、本当に思うのだ。

彩恵ちゃんが失礼なことなんてするわけないし、むしろ・・・。

「楽しいです。彩恵ちゃんと話してるのは・・・。可愛くって、ときどきおませさんで。友達になれて嬉しいです」

私が自然と笑顔になるのを感じながら言うと、一華さんは

「ありがとう。本当にありがとう・・・。彩恵も喜ぶと思うから・・・、よろしくお願いします」

静かにおじぎをした。私は慌ててお辞儀をしながら「こちらこそ・・・」と返す。

同時に、一華さんのこういうところが本当に素敵だと思った。

相手が誰だろうが、たとえ私のような年下の子供だとしても、見下すことも手を抜いた対応をすることもなく丁寧に接してくれるところ。でも、ここの病院でお医者さん達や看護師さん達、果てには子供達にもよく思われていないなんて和彦さんは言っていたっけ。

実際ボランティアで病院を歩いていると、ふとしたところでそんな気配は分かった。

それでも・・・、私は、一華さんほどいい先生はいないと思う。

「あの子、友達もいないから・・・、本当に喜ぶと思う」

「えっ?そんな、嘘。だって彩恵ちゃんあんなにいい子なのに」

「引っ込み思案な性格と、周りの子供達よりずば抜けて大人なことと・・・、あとは、私が原因かな」

「え?」

「変わり者の先生とずっと一緒にいるんだもの。「おかしな子」って冷やかす子も、たまにいるから」

にわかにその言葉を信じきれない私だったが、翌週のボランティアで一華さんが言っていたことがよく分かった。その日は、いつも子供達が集って遊ぶような部屋「プレイルーム」で、向日葵を折り紙で作る子供達の姿があった。

出来上がった向日葵は子供達が両親や友達に渡すという。

私とゆき音もそのお手伝いをしていた時。

「ねえねえ、なんで彩恵ちゃんは2個作るのー?」

ある女の子の高い声に、私は反射的に振り向いた。彩恵ちゃんは暗くも明るくもない表情で、向日葵を作りながら

「一華先生と一華先生の旦那さんにあげるから」

シンプルに答える。

「なんで一華先生なの??」

「彩恵ちゃんっていつも一華先生と一緒にいるからだよ!なんで一華先生と一緒にいるの?一華先生全然優しくないしさ、笑わないしさ。他の先生みたいに一緒に遊んでくれないからつまんない!」

うんうん、と頷き合う女の子達を、側で見守っていた看護師さんが優しく注意していた。

その時

「・・・一華先生は優しいよ。一緒に遊んでくれないのは、お仕事だけじゃなくて勉強も頑張ってるからだよ。優しいよ。 ・・・わたしのお母さんよりずっと・・・」

誰にも聞こえないような小さな声で言った彩恵ちゃんに、私はたまらず声を掛けた。

「彩恵ちゃん」

「・・・あ・・・」

「できた?向日葵」

首を横に振る彩恵ちゃんの手をひいて、私はゆき音のもとへ行く。

ゆき音は「あれ?」と、私の姿を見て少し驚いた顔をしたが、私の隣に立つ彩恵ちゃんを見ると

「彩恵ちゃん!日菜からよく話は聞いてたよ。はじめまして」

「・・・はじめまして・・・」

彩恵ちゃんの隣に座って、向日葵の折り方を丁寧に教えてくれた。

彩恵ちゃんは、最初こそはゆき音の様子を不安げにうかがっていたけれど、向日葵が出来上がりに近づいていくにつれて、ゆき音に対する緊張も解けてきたみたい。

向日葵が完成した彩恵ちゃんは、嬉しそうにゆき音と手を合わせていた。

「その向日葵、一華さんに渡しにいこっか」

そう言ってゆき音と2人で一華さんを探しながら病院の廊下を歩いている時、彩恵ちゃんが不意に、こんなことを問うてきた。

「日菜ちゃん達、一華先生のこと嫌いじゃないの?」

「うん。嫌いじゃないよ。大好き」

自分で言って、後から恥ずかしさがじわじわと来るのを感じた。

それでも彩恵ちゃんにとっては最大級に嬉しい言葉だったみたい。

みるみる頬をピンク色にさせて

「わたしも大好き、一華先生」

と、はしゃいだ声で言う。そして私の隣を歩くゆき音に、視線で答えを急かすところが可愛いこと。

「私も大好きだよ〰。綺麗だよね」

ああ、そっか。同い年の子達とは大好きな一華さんの話がしたくでもできないのか。

そう思った瞬間切なくなった。

「あ、一華先生」

そんな時「噂をすれば」ってやつなのか、一華さんが真っ白な白衣を身にまとって颯爽とこちらへ歩いてくるのが見える。

いつ見ても、オーラーと気品がハンパじゃないな。さすが。

「最初会ったときは、驚きで腰が抜けるかと思った。拝みたくなる美しさだわー。一華さん見てたら、女子力上がる気がする」

「それな」

ゆき音の言葉に賛同しながら、女子高生2人が羨望のまなざしを注ぐ中、彩恵ちゃんに駆け寄った一華さんはいつも通り彩恵ちゃんと目線を合わせると、彩恵ちゃんの小さな手に握られた向日葵に気づく。

「どうしたの、これ」

「みんなで作ったの。一華先生と和彦さんにあげるね。こっち、一華先生の」

どれどれ。

そう思ってゆき音と彩恵ちゃんが差し出した向日葵を覗き込むと、種の部分を表現している中央には彩恵ちゃんの可愛い字が綴られてあった。

『いちか先生が、もっとにこにこできますように』

ちなみに和彦さんの向日葵には『いちか先生のことずっと大好きでいてね』と書かれてある。

この向日葵、めちゃくちゃ可愛い。もうキュンキュンしちゃうよ。

そう思っていたら、目の前で鼻をすする音が聞こえてきた。驚いてゆき音とほぼ同じタイミングで顔を上げると、そこには真っ白な頬にぽろぽろと涙をこぼす一華さんの姿が。

「一華先生、 ・・・嫌だった?」

「違う。違うから・・・、違くて・・・」

我が子が卒業式を迎えたのかと聞きたくなるくらいの姿に、和彦さんが言っていた「泣き虫な一華」という言葉を思い出して、ちょっと笑いそうになってしまう。

私とは反対に彩恵ちゃんは、突然の一華さんの涙の真意がわからず、首をかしげてしまっている。

「・・・ありがと、彩恵。嬉しい」

それでも涙で震えた一華さんからの言葉を聞いて、一気に安心しきったような笑顔を取り戻した。

「一華先生また泣いてる。泣き虫だね。いっぱい泣いてたから、笑えなくなっちゃったのかな」

彩恵ちゃんの言葉に「そうなのかな」と、小さく答える一華さん。

一華さんは、優しく彩恵ちゃんの小さな体を抱きしめて、彩恵ちゃんの頭を本当に愛おしそうに抱き寄せながらおまじないのように言う。

「大丈夫。彩恵は大丈夫だよ」

一華さんに抱きしめられた彩恵ちゃんは決して一華さんを抱きしめ返さずに、何も言わず、表情も変えずに、ただ一華さんの白衣に頬を寄せていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る