第24話 彼女の正体

健斗のCEO就任披露パーティーで、東雲しののめ会長に会った。


少し緊張気味な健斗の手を取って、目を細めるように健斗を見る。


そんな風に東雲から視線を受けるのは15年ぶりだった。


「健斗くん、CEO就任おめでとう! 我々世代にまた新しい時代を見せてくれ、期待しているよ!」

そう言ってくれた。


気持ちが解放されて、「東雲のおじさん!」と口走ってしまいそうになるのを、健斗はぐっと押さえた。


東雲会長は、健斗をまじまじ見てその肩に手をかけた。


「本当に立派になって……良かったら、また、いつでも遊びに来なさい」


その言葉に、健斗は本当に救われた。


「おお、そうだ! 一度藤田と君と私の3人で飲もうか?」


懐かしさも感じる東雲の笑顔が、どんな人からの祝福よりも嬉しくて、心から感謝した。


もう心が、中学生だったあの頃に戻りそうになっている。


「おじさん……本当にありがとうございます!」


新たステージの幕開けに、物怖じしていた自分の、背中を押してもらったよう気がした。




パーティーを終えてから数日は、息つく暇もなかった。


論文の中間発表の時期が間近に迫っていて、かれんと会うどころか、寝る間も惜しんで論文に向き合った。


大学が夏休みで講義がないことが唯一の救いだったが、その分、会社には出なければならず、夕食は専らどこかの企業の取締役と、父である藤田会長を含めた会食が、ここしばらく続いている。


論文中間発表は思いのほか長引き、加えてメインに持ってきた『非線形関数解析』というテーマは、流行りの兆候があり、少し角度を変えたブラッシュアップが必要だと感じた。


その夜は、かれんとその母との初顔合わせの予定で、レストランまで予約してもらっていたのにも関わらず、無念にも間に合わなかった。


かれんは、理解は示してくれていたものの、夜になっても教官との付き合いに流れてまた連絡できず、パソコンの前で挙げ句、寝落ちしてしまって彼女への返信すら出来なかった。


彼女自身も多くのイベントを抱えたこの一週間、お互い会えば気は安らぐだろうが気は抜けてしまう。


「またかれんの居ない日々が続くのか……」


なんとなく憂鬱な週の始まりだった。


その日は、パワーランチのあと、運転手に頼んでとある場所で車を停めてもらった。


車から降りて、ガードレールに腰を下ろし、通りの向こうに見える屋敷を眺めた。


東雲しののめ家の近くは、今でもよく通る。

何か問題にぶち当たった時、何かの選択に迷った時も、何かが上手くいった時も、ここに来て、遠くに見えるりつの部屋の窓を眺める。

この願掛けにも似たルーティンが、何かに似てるなとふと思う。


 この感じは……そうか、かれんのカバンに

 付いている星のキーチェーンか。

 

中学の時は、本を片手に自転車に腰掛けながら、窓から生き返ったりつが手を振ってくれはしないか、と半日ここで過ごしたこともあった。


しかし、そばには行けない……


ずっとその門に近づくことも、インターホンに触れることも出来なかった。


あの日以来……


先日、東雲会長と会えたことで、健斗の中に新たな希望が生まれた。


近い将来、あのりつの部屋で、りつと向き合って話しかけることが、出来るかもしれないと思った。



「そろそろ時間ですので、社に戻りましょう」


車の中から声をかけられた。


「はい」


車の後部座席に乗り込む。


「付き合わせてしまって、すみませんでした」


「いえいえ、構いませんよ!」


秘書兼運転手の栗山さんが明るく返してくれる。

妙な場所に停車しても、何も聞かなかった。


「栗山さん、さっき停めてもらったところなんですが……」


「はい、東雲会長のお宅ですね?」


「え、ええ、ご存知でしたか」


「藤田会長からご友人だと聞いていましたので。就任パーティーにもいらっしゃってましたもんね。お嬢さんも少しだけいらしたと聞きましたが。お知り合いですか?」


健斗が背もたれから起き上がって栗山に近づいた。


「え?! 今なんと?!」


「東雲会長とお話されてましたよね?」


「はい、そうですが……その後の……」


「ああ、お嬢さんですか? ご用事があったようで、すぐにお帰りになられたと聞きましたが……お会いになりましたか?」


「いえ……」


健斗は動悸が治まらず、そっとシートにもたれた。



『JFM』の本社に到着した。

そのエレベーターホールで偶然、『東雲コーポレーション』の経営企画部支部長とすれちがった。


「栗山さん、先に行っててください」


「わかりました」


少し追いかけて声をかける。

「あの、すみません」


「あ、これは! 藤田社長!」


「東雲コーポレーションの企画営業部長の竹内さんですよね?」


「名前まで覚えて頂けるなんて光栄です! 改めまして、CEO就任おめでとうございます!」


「ありがとうございます」


「今後とも、『東雲コーポレーション』をよろしくお願いします」

なんとも腰の低い人だった。


「ちょっとお聞きしたいことが……」


「はい、なんでしょうか?」


健斗は動悸を押さえながら聞いた。

「あの日、東雲会長のお嬢さんは……」


「ああ、パーティーには来られてなかったんじゃないでしょうかね……えっと……どうでしたかねぇ? あ、今回は担当外でしたしね。すみません。定かじゃなくて」


「いえ、ありがとうございました」

お互いお辞儀をしてわかれた。



エレベーター内で、健斗は息を整える。

東雲しののめ花梨かりんか……」


その名前を、久しぶりに口にした。

少し引っ掛かる言葉があった。


「今回は担当外……? どういう意味だ?」



まだ慣れない社長室には、

『chief executive officer 藤田健斗』と書かれた、真新しいネームプレートが置かれていた。


なんともピンと来ない。

違和感さえ感じていた。


電話が鳴る。

「はい、とうさ……会長。わかりました。向かいます。では1時間後に」


就任後しばらくは、昼夜問わず、あらゆる場所で会合や会席がある。


栗山に頼み事をすることにした。

花梨かりんの事だ。


「栗山さん、すみませんが、調べて欲しいことがあって……」



携帯にかれんからのメッセージはない。


彼女もこの状況を把握してくれていて、こちらからの連絡を待っていてくれる。


ビジネスにかけては彼女の方が先輩だ。


相手の状況を把握しているからこそ、決して邪魔せず、最善のタイミングで接してくれる。


彼女に連絡したい気持ちを抑えて、父と取引先の役員の待つ店へ向かう。


 俺はかれんに会いたくてたまらない

 のに……

 全く、自制心のあるオンナだな!

 かれんを見ていると、時々自分の

 ガキっぽさにがっかりする……



会談を終え、取引先常務を父と共に見送る。


「どうだ健斗、慣れない生活はキツいだろう?」


「いや、まだ何もしてないからどうってことないけど、それよりは何をすべきかを早くわかるようになりたいよ」


「お前らしいな」


父は、頼もしいと言わんばかりに、彼の肩を叩いた。


栗山の運転する車に、二人で乗り込んで帰る。


「健斗、たまには家にも帰ってきなさい。私も一人だと寂しい夜もあるからね」


「わかったよ。お休み、父さん」


健斗の実家でもある藤田の家に父を降ろし、車を走らせてほどなく、栗山が聞いた。


「今夜は社長のご自宅の方にお送りすればよいのでしょうか?」


「ええ、よろしくお願いします」


同じ調子で栗山が続ける。


「先ほど、社長がお食事なさっているときに連絡が来たのですが……いえ、調べてほしいとおっしゃっていた件です」


健斗は唾を飲み込んだ。 


「お嬢さんはかれんさんとおっしゃって……」


健斗が口を挟む。


東雲しののめ花梨かりんさんじゃありませんか?」


「いや…… “かれん” さんだったと思いますよ。確か名字も違います。離婚された東雲会長の奥様の姓を名乗っていると。離婚のタイミングで “かれん” さん、と改名されているようです。あと、これはちょっと別の筋から聞いたのですが……お兄さんを亡くしたショックから、かれんさんは現在も記憶喪失だとか……ご本人はお兄さん存在も、昔の名前も覚えていないそうです」


健斗は声が出なかった。

目は見開いたままだ。


「社長、まだ詳しく調べますか?」


健斗は声を絞り出した。

「いや、充分です……」


健斗はぎゅっと目をつぶった。


これまで自分が歩んできた険しい道のりや、心を潰されるような残酷な記憶が脳裏に甦り、容赦なく健斗に襲いかかる。

 

 記憶の中で泣き叫んでいる少女。

 こんな思いをするのは、俺だけで

 充分だ。

 彼女には……


 彼女の平穏な生活を、乱しては

 ならない……


ポケットから携帯を取り出し、かれんにメッセージを送った。


指先が震えていた。


「しばらく忙しくて会えない」

そう書くのがやっとだった。


「栗山さん……すみませんが行き先を変更したいのですが」


彼女を感じるあの家には、今日は帰れない。

あの川沿いの道も、コンビニも……

今は見たくない。

そう思った。


「構いませんよ、どちらですか?」


「ああ……やっぱり今夜もホテルに戻ります」


「承知しました」



第24話 彼女の正体 -終-


→第25話 三崎さゆりと藤田健斗

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